祈ることは「意に乗る」こと
私たちは、時折、神社やお寺で手を合わせ「健康で1年が過ごせますように」「合格できますように」と祈ります年始や受験の季節になると、特にこうした祈りを捧げる場面が増えるでしょうしかし、祈るとは本来どういう行為なのでしょうか?神様や仏様にお願いをすることだと思われがちですが実はその祈りの矛先は、他でもない「自分自身」に向けられているのです祈るとき、私たちは神様や仏様の姿を心に描いていますけれど、その対象を通して自分の心の中を見つめていることに気付いているでしょうか?たとえば「健康で1年を過ごせますように」と祈るときその祈りの裏には「自分は健康でいたい」「そのためにはどう行動すべきだろうか」という暗示が込められていますこれは、自分自身に対するメッセージであり心の奥底にある願望を形にしたものなのです同じことは「合格できますように」という祈りにも当てはまります一見、神様や仏様に試験の合格をお願いしているように見えますが実際には「これだけ勉強したのだから、大丈夫だよね?」と自分に語りかけ安心感を得ようとしているのですこうした祈りは、他者への依存ではなく自分自身の努力を再確認しそれを肯定する行為だと言えるでしょうこのように考えると、祈りとは「意」に「乗る」ことつまり、自分の意思に乗って行動することを促すための儀式なのです祈る行為を通じて、私たちは自分の中にある目標や願いを整理しそれを現実にするための行動を始める決意を固めているのです「健康でいたい」という願いを持つ人は祈ることでその意識が高まり自然と健康的な生活習慣を選び取るようになります「合格したい」という思いを抱く人は祈ることで自分の努力を
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