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⑧ 告白

こんばんは~夜勤明け休みで夕方まで爆睡(-_-)zzzしていたタカ3@です。 朝仕事が終わり、月1で行っているお寺に以前お世話になったお寺の住職先生が遠くから来ているとの事で、しばらくぶりに会って、短い時間でしたがお話をしてきました。(数年前に移動で違うお寺へと移動されてしまいました)ここで何度かお話させて頂いてますが、僕自身・・・正直言って宗教は信じてはおりません。 それは、幼い頃に母親から色々な宗教をさせられて、子供ながらに「宗教してたら幸せになるの?!」「宗教してない人は幸せにはなれないの?!」と、思っていたし実際に母親を見ていても幸せな人生だとは思えなかったからです。 そんな僕が何故、月1でお寺に行っているかといえば先祖供養と思っていってます。 いわゆる「回向」(えこう)をさせてもらってます。 信じていない宗教ですが、自分が今現在生きているのは、先祖のおかげだと思っているからです。 宗教的には、「ご先祖さまがいたからこそ、今の自分がいる」      「ご先祖さまは子孫の幸せは願っている」と、聞いたからです。宗教的な考えとしては「ご先祖さまは、根っこ」なんだとか・・・。根があり、幹があり、葉っぱがある。 葉っぱは子孫なんだとか。 確かに親や祖父、曾祖父等・・・ご先祖様がいてくれて、受け継がれてきたおかげで、自分が今生きているのは確かですよね。 誰一人欠けても、僕は生まれてこなかったとは思います。 そう思うからこそ、月1ですがお寺に先祖供養と思い、供養のためにお金を納めています。(大した額ではありませんが・・・・)話が大分、脱線しましたが今日のブログのテーマ「告白」です。ど
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宗教で幽霊は違う?

宗教の違いによる幽霊・悪霊・悪魔の受け入れ方の違い幽霊や悪霊、悪魔といった超自然的存在は、宗教や文化によって異なる解釈がされてきました。異なる信仰を持つ人々が、自らの宗教の枠を超えた異なる概念の霊的存在を「見る」「感じる」ことがあるのか、という問いは非常に興味深いものです。本記事では、仏教とキリスト教(特にカトリック)を中心に、超自然的存在に対する受け入れ方の違いを考察し、異なる宗教的背景を持つ人が他宗教の霊的存在を体験する可能性について掘り下げていきます。1. 宗教ごとの霊的存在の捉え方仏教における霊的存在仏教では、霊的存在は主に「餓鬼」「地縛霊」「天部の神々」「仏・菩薩」などの形で捉えられます。特に死者の霊がこの世に留まることは、輪廻転生の過程において未練を持つ者や、悪業を積んだ者が成るものとされます。また、怨霊や亡霊といった概念もあり、これは主に日本独自の仏教観や神道と融合した信仰に由来します。キリスト教(カトリック)における霊的存在カトリックでは、死者の魂は天国・煉獄・地獄のいずれかに行くとされ、この世に彷徨うことは基本的にないと考えられています。ただし、悪魔や堕天使(サタンを含む)の影響によって人間が試練を受けることはあり得るとされ、悪魔祓い(エクソシズム)も存在します。カトリックでは「悪魔の存在は実在するもの」として扱われ、信仰を持つ人にとっては明確な脅威となるのです。2. 異なる宗教の霊的存在を体験する可能性心理的・文化的影響人間の霊的体験は、その人の文化的背景や信念によって大きく影響を受けます。たとえば、仏教徒の日本人が欧米に住み、カトリックの影響を強く受けた環
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デザイナーの一年・・

冬の夜空を見上げる時の不思議感覚・・この広い宇宙の存在がわずか直径20cmにも満たない頭脳で認識が出来る。外部から入ってくる視覚情報は目という機能を通じて網膜に映り込み脳に伝達されて空に浮かぶ月を認識する。 この感覚は画像を認識するという能力は実は単純ではなく、脳ではなく何か別な機能が私たちにあるのではないかと考えさせられるのだ。 宇宙大の何か、それを「心」というのかもしれない、所謂「潜在意識」の世界なのかもしれない・・・ 今年一年そんなことを考えていた・・・無限大の宇宙と同期しているのは私たちの心なのかもしれない。 見える世界は見えない世界にあるバイブレーションによって創造される それはおそらく量子力学の世界観何だろうか・・・と考え続けた一年。
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