自ら分けられたもの・・・自分
おはようございます。私たちは本当に様々なことを体験します。苦しいだったり、悲しいだったり、楽しいだったり・・・その出来事としての現れは、元一つから成される結果。以前も少し触れたけれど、そこに主観でジャッジはできないのです。苦しみ=今に対するジャッジ=抵抗という風にも言えますよね。現れる世界に対し、ジャッジが生まれたら・・・そこには、”思い込み、囚われ”があることを気づかせてくれていて一つ解放するチャンスに恵まれているのです。その苦しみを感じる”自分”・・・『自分』という言葉。そのことについて語られていることになるほどな・・・と感じることがあったのでシェアします*^^*自分・・・自らを分けると書いて自分。ということは、自らを分けられたものが自分ということでもあるのでこの”自分と思ってる者”私であれば、”私はサラです”と思う者も自らを分けられたものだのですよね。自らの分身。大元は背後に大いなるわたしという意識として在る。その在るいう意識の分けられたもの、”私”であり、”貴方”であり、椅子、机、山、太陽・・・見えるもの全て。全てが繋がってるということも見えるものは、私含めて自らを分けられたものたちなのだと感じています。生命、光、愛とも表現される意識。そうイメージとしてでも、少しでも感じることができれば”私は”と表現したとき、少し広がったような、見えるものを大切に感じるような心地が生まれてくるように思います。自らを分けたものに対し、湧いてくる感情・・・苦しみがあるのであれば、何か気づかせてくれてる。どんな憎しいと感じる人も、同じ生命、光、愛の表現として現れている者たち、そして、”私”を
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