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カルマの解消と使命の覚醒について

今日はカルマの解消と使命の覚醒についてのお話です。ヒーリングを学んでいたとき、カルマの解消と使命の覚醒は同時に行う必要がある、と教わりました。それがなぜなのか、についてです。私には、辛い出来事により、精神的、霊的な問題を抱えるというカルマがありました。そのカルマがあったからこそ、私はヒーリングを学び始め、シャーマンにもなり、癒しに関する学びを深めることができました。(使命の覚醒)自分が癒されていないときは、自分と同じように問題を抱えている人を癒したい!という気持ちが強くなりました。(これも使命の覚醒)でも、ある程度自分自身が癒されて、自由度が増してくると、本当にヒーラーになるべきなんだろうか?っていう迷いも実は出てきたのです。不思議ですよね。自分が癒されてなかったときは、癒されていないからこそ、癒しの重要性をすごく感じていたんですけど、自由度が増してくると、あれ?私は必ずしもヒーラーになる必要はないのかもしれない、カルマに囚われなくても、他の可能性だって私にもあるのかもしれない、と思えてきたんです。カルマって学びの種だから、カルマであったものが解消されてくると、あれ?私って今すごく自由だけれど、何のために生きているんだっけ?ってなってしまうのです。だから、カルマがなくなれば幸せになるか、というとそうでもなくて、カルマであったものを失い自由になっても、カルマから得たギフト(学びや能力や叡智)の活用性を深めることができてなかったり、使命の覚醒の度合いが弱いと、とってもぼんやりとしてしまうんです。それまではカルマがあったからこそ、どうにか自分を変えなきゃと思っていたもの、原動力になっ
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8月17日開催☆17の日の無償シャーマニックヒーリングイベント

暑い夏、みなさまいかがお過ごしですか? 私はお盆休みに父やおじいちゃん、おばあちゃんが眠るお墓へお墓参りに行きました。いつもより亡くなった人たちを身近に感じ、ミディアムシップをしながら対話をしたりもしていました。亡くなった人への私たちができるシャーマニックな癒しとは、祈りであり、対話(コミュニケーション)であり、生きていたころの生命の輝きを祝福してあげるということだなぁと感じていました。 暑い夏、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩がぴったりだなぁと感じます。日々「いま生きているということ」を自分の体で感じながら、同時に、今は天国にいる人たちもまた「生きていたのだ」ということを感じたりもします。ときに喜びや笑いを分かち合って、悲しみや暗闇を共有して、ときにお互いの弱さや愚かさにうんざりしたこともあったけれど、そんな日々をいつまでも懐かしんで愛していたいなと思います。 亡き人の笑顔と温もり、私に与えてくれた愛、そうしたものをちゃんと受け取って、たくましく生きていきたいなと思うのでした。さて、今月も17の日の無償シャーマニックヒーリングイベントを8月17日22時から開催いたします。(ご参加のお礼をお伝えできておりませんでしたが、前回ご参加くださった皆様、どうもありがとうございました!)悩みの問題解決において、お祓い・浄化によって心を整えることがとても重要なケースがあります。忙しい日々の中で少しでも気軽に、気楽にスピリチュアルなセルフケアの機会を提供していきたいなと思い、毎月シャーマニックヒーリングのイベントを開催しています。 今回の無償シャーマニックヒーリングイベントは、リーブスのカ
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コミュニケーションの断絶と恨みの感情について

最近、シャーマンワークをしながら、人間が持つ恨みの感情について考察しています。恨みの念が相手をコントロールしたいレベルまで強くなるとそれは呪いになります。そしてそれが発生する条件には「コミュニケーションの断絶」があるように感じます。自分の抱えている思いが、感情が、どうにも相手に届くことがない。声は届いても、相手のハートに決して届かず、受け取ってもらえない。だからこそ、どうにか分かってほしくて相手を縛るのだと思います。重たい感情が対話によって癒えることも、昇華されることもない。「もっとあなたがこうであったなら、幸せな今があったかもしれない」その可能性をただちゃんと受け取って感じてほしい。そういう思いが恨みにはあります。呪いが解かれるときというのは、その思いに対して誠実に向き合えたときなのだと思います。もちろん何もかも全ての責任を背負う必要はどこにもなくて、背負う必要があるのは自分の分だけです。シャーマンによって呪いを解くこともできるけれど、全ての関わる人、関わってきた人に対して誠実に向き合うことが開運の道なのだと感じたのでした。🌿記事に無条件の愛のヒーリングを流しています🌿
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無償シャーマニックヒーリングイベントの御礼

※別ブログで開催した無償シャーマニックヒーリングイベントの御礼の記事です。☆3月17日開催☆17の日の無償シャーマニックヒーリングイベントにご参加くださった皆様、どうもありがとうございました。17日は奇しくも、彼岸の入りの日でしたね。私も天国にいる家族に想いを馳せていました。Nostalghia 〜Kiyomizu〜 by 川上ミネイベントの前に川上ミネさんのピアノミュージックを聴いていました。この曲は京都大原で暮らし、活動されていたイギリス出身のベニシアさんのNHK番組でも使われていたので、聴いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。私はベニシアさんの番組で川上ミネさんの曲とともに美しい大原の風景を見るたびに、優しく、でも少し切なくもあるこの音色、大切なことを思い出してしまいそうな感覚に少しだけ抵抗も感じていました。大切なことを思い出したら、泣いてしまいそう。泣いたら、立ち止まってしまうのかな、私また明日から歩けるのかな、そんなことを感じながら、大切なことを思い出さない方が都合がいいと心を閉じたままにしてしまうことってあるよね、とこの曲を聴きながら感じていました。でも、この曲をイベント前に聴いていた時に、もっとこの曲の美しさを、愛を受け取ればいいだけだったのだな、そこに身を委ねればいいだけだったと感じたのでした。私の中の愛し愛されていた日々の記憶にこの音色が届くことを許して、この音楽とともに旅をすればよかったのだ、と思ったのです。世界に溢れている美しい光、心を見つめることを助けてくれる音楽の力を借りながら、もっとあの時だって思いっきり泣いてもよかったよね、と。忙しく日々を
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山:生きることと死ぬことについて

世界第2位の標高を誇る山K2で日本人の登山家、平出和也さんと中島健郎さんが滑落されたというニュースが報道されてからずっとお二人のことが気になっていましたが、30日には救助の打ち切りの報道が新たにあり、なんだか言葉では言い表せないような辛さを感じています 私はお二人のことについて詳しいわけではないのですが、登山が趣味だった時期もあり、インスタでも登山家や登山好きな人、山関連のアカウントを結構フォローしていて、お二人に寄せたメッセージもあがってきたりしています。 K2の登頂を目指すというだけでも凡人には計り知れないほどハードなものでしょうが、それも前人未到(未踏)のルートでの挑戦だったようで、どのような思いで今回の挑戦をされたのかなと、ふとした瞬間に何度も何度も感じていました。 死と隣り合わせの登山・登攀・・・きっと、素人がちょっと思いを巡らせてみて横からとやかく言うのとは全然違うレベルのエネルギーと時間を注いで、自分の人生や自分にとっての登山、生きること・死ぬことについて向き合われてきたんだろうなと思いました。 そんな登山家たちにとっての山に足を踏み入れる一歩一歩の重みを感じていると、私にとって生きるって何だろう?と感じずにはいられませんでした。 そして、それを日々十分には考えられていないんだな、ということを感じました。   新たな夢を追いかけること、新たな挑戦をすること・・・今の自分の限界や体力・能力や年齢のことを見つめながら、夢を追いかけずに後悔することと、夢を追いかけてそこで敗れる可能性との両方を日々感じながら、大切な決断、選択をお二人はされていったのではないかと思いました
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