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導士はなぜ「剣」を持っていることが多い?

80年代から香港のキョンシー映画好きな方は一度は「霊幻道士」という映画シリーズを見たことがあるでしょう。中では各儀式に必ず剣が登場し、木剣から銅銭から出来た剣まであります。映画はさておき、この剣は重大な意味を持ち、「七星劍」「靈劍」「青龍劍」「斬妖劍」「惠劍」、歴史書物ではいろんな呼び方があります。我々は一般的に「法剣」と呼んでおり、私の経験では赤い糸で銅銭を結んで剣の形にした銅銭剣が最も多い。重さもかなりあり、たまに魔除けとして飾る方もいるぐらいです。実際の儀式では必ず使う訳ではありません。法剣は主に魔や悪霊等を退治する際に使用します。また、この剣は天との繋がりであり、神から力を借りて悪霊退治したりします。そして、歴史背景として、当時は乱世の世でもあり、実際に身を守る武器でもありました。以外かもしれませんが、私が関わる儀式は法剣よりはベル(神仙、地獄使者、祖先や守護霊等を呼び寄せのために鳴らす)のが多いです。平和が一番です。平和ではないお話はまた別途の機会で。映画の話に少し戻りますが、主役の林正英氏(ラム・チェンイン)の功績で世界中に道教の知名度を上げてくれました。あのブルスリーも認めたほど、彼のスタントマンとして務めていたことはご存知でしょうか?林氏1997年で他界され、そして本人は映画界では愛されているそうです。お疲れ様でした、そして子供ごろの良い映画を頂いて、ありがとうございました!
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教養としての道教③:道家思想と道教

『列子』:『老子』『荘子』と並ぶ道家の書で、「杞憂(きゆう)」「愚公、山を移す」など、古代寓話の宝庫です。 「杞憂」:中国古代の杞の人が、天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという故事から、心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。 「愚公、山を移す(愚公移山)」:どんなに困難なことでも努力を続ければ、やがては成就するというたとえ。毛沢東が演説の中で引用したため、有名になりました。 竹林の七賢:魏から西晋にかけての3世紀頃、老荘思想の影響を受け、儒教倫理の束縛から離れた自由な議論(清談)を展開した阮籍ら7人。 道家思想:老荘思想、養生法(漢方医学、不老長生法、神仙道)、民間信仰(御札、おまじないなどの符呪)の3要素からなり、仏教の受け皿になると共に、仏教の影響によって整備が進み、宗教としての道教が確立しました。 漢方医学:西洋医学的な対症療法ではなく、「医食同源」「未病」などの思想を持ち、生命力・自然治癒力を目指す中国医学・東洋医学。狭義では漢方薬を投与する医学体系を指し、広義では経穴などを鍼や灸で刺激する物理療法(鍼灸医学)を含めた伝統医学を指します。 陰陽五行説に基づく医学理論及び鍼灸術を詳述した最古の医経『黄帝内経(こうていだいけい)』素問(医学理論)・霊枢(鍼灸術)、「医中の亜聖」「衆方の祖」と呼ばれた張仲景の『傷寒論』(傷寒=腸チフス及びその類の急性熱病)の二書が中国古代医学書の双璧です。さらに中国最古の薬物書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』と併せて三大古典とされます。伝説的な名医としては、「漢方医で脈診を論ずる者は全て扁鵲(へんじゃく)の流
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教養としての道教②:荘子

荘子:全てのものが等しい存在であるとする万物斉同(ばんぶつせいどう)の立場に立ち、善悪や生死などの相対的な区別を超えるべきだと説きました。道教を国教とした唐では皇帝玄宗により神格化され、「南華真人」(なんかしんじん)の敬称を与えられ、「南華老仙」とも呼ばれました。著書『荘子』(そうじ)は『南華真経』(なんかしんきょう)と呼ばれるようになりました。また、禅宗の成立にも大きな影響を与えています。 万物斉同:対立や差別は人為的・相対的なものにすぎず(相対主義的な立場)、ありのままの世界は差別や対立がなく、全てが斉(ひと)しい価値を持つという考え。「胡蝶の夢」「朝三暮四」「無用の用」など、多くのたとえで語られています。 「胡蝶の夢」:荘周(荘子)が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだところ、夢が覚めました。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっていたのか、分からなかったというのです。 「朝三暮四」:朝にトチの実を3つ、夕方にトチの実を4つやろうと猿達に持ちかけると、怒り出したので、今度は朝に4つに夕方に3つやろうと言うと、猿はみんな頭を下げて喜んだという故事から、実質上は何らの差異もないのに、一方については喜び、他方については怒るのは自分の是とするところに縛られているからだという例です。 「無用の用」:一見無用とされているものが、実は大切な役割を果たしていること。不用の用。『老子』にも出てきます。例えば、西洋の油絵からすれば単なる塗り残しに見える水墨画の白い部分や、床の間なども当てはまります。 逍遥遊(しょうようゆう):人為的な価値観から解放され、あり
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教養としての道教➀:老子とタオイズム

老子:万物の根源である「道」(タオ)の働きに従う無為自然の生き方を説き、儒家が「道」を人為的・作為的な道徳や秩序として捉えたことを批判しました。『老子(道徳経)』。荘子と併せて「老荘思想」と呼ばれ、道家思想の淵源となり、その「無」の思想は仏教の「空」思想との接点になりました。道教(タオイズム)では神格化されて「太上老君」と呼ばれ、唐朝(李氏)でも老子(李耳)は同姓とされて尊重されました。 無為自然:儒家の礼や仁を人為的なものとして批判し、それらが不要な社会こそ理想であると説きました。古典派経済学の「自由放任(レッセ・フェール)」とも通じる考え方です。無為の政治は秦末の混乱を経た前漢初期の政治で採用され、安定と繁栄の基を築き、第7代武帝はこれを土台に積極政策に転じました。無為の政治は法家思想と組んで君主独裁制の確立に寄与したとされます。また、力の濫用を避け、戦わずして勝つことを眼目とするその軍事論は、『孫子』の兵法との関連性が指摘されています。 (1)古典派経済学:「自由放任(レッセ・フェール)」を中心教義とするので、老荘思想・道教の「無為自然」に対応します。 (2)ケインズ経済学:適切な経済政策により失業を無くそうとするのもで、儒教の「善政主義」に対応します。 (3)社会主義:計画経済・統制経済を指向するので、法家思想に対応すると言えるでしょう。 小国寡民(しょうこくかみん):老子は、小さな共同体の中で、何ものにも拘束されることなく、質素に生きるべきだと説きました。老子の説く理想世界は村落共同体のような世界だと言えます。 柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ):水のように柔和で謙虚な生
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【教養としての読書】岡倉天心「茶の本」②

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道教とは

台湾には、神様のデパートと言われるくらい、人間のあらゆる願いに対応できる神様が揃っております。受験の神様、安産の神様、恋愛の神様、健康の神様など、どれも人々の欲望を宗教に反映しています。派手なパフォーマンスを見ていると、道教は理解できないと思われるかもしれません。実は台湾人さえも、これらは道教ではなく、いわゆる民間宗教であることを知りません。道教とは、玉皇大帝(天公)を最高神とする宗教なのです。私が所属する天公教は、台湾でも正統派の道教で、厳しい修行を経て、法師となることができます。
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道を外れたとき

 不倫成就、借金踏み倒し等を霊符にお願いする人がたまにいらっしゃいます。私は基本お受けしないのですが、中には恋愛成就が叶ったにもかかわらず霊符への感謝を忘れ、失礼な態度をとる方も実際ココナラさんでいらっしゃいました(数年前ですが)。道教は道の教えです。そういう方はいずれ霊符からの報復を受けることになります。ぜひ基本的な人の道は外さないようにしましょう。
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お盆と風水

 おかげさまで多数のご依頼をいただきまして、多忙な日々を送っております。ご支援していただける皆様のおかげだと思い感謝しております。 お盆は死者の世界の門が開くという道教の思想が元になっています。道教おt風水は陰陽五行説を祖とする兄弟です。この思想に基づき先祖がやってくる鬼門(北東)に白と黄色の花を飾ると運気が上がります(今年は北東に一白水星、8月の北東は五黄土星なので)。 
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お盆

今年が新盆という方もいらっしゃるかと思います。明治以降、新暦で1か月遅れてくる行事になりました。本来は(梅雨の合間)土用、旧暦の七月を「鬼月」とし、朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという道教の考えが起源となっています。どうぞよいお盆を
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