おじいさんは「ゼロ戦ファイター」だ!
まっ、正確には「家によく来てたおじいさん」だね。^^ただこのヒトがすんごいヤツだった。^^;若いときは呉の「予科練」にいて「ゼロ戦」の飛行訓練を受けていたのじゃ。^^その訓練中には「誰にも負けない棒術」で名が知れていたそ~じゃね。その彼も朝鮮に派遣され、「ゼロ戦」に搭乗できたかどうかわからんけど、フライトスーツやゴーグル、マフラーなどは持っていたそ~じゃね?!(たしかそうだと記憶しております)当時はたしか「海軍」がゼロ戦を使用していたと思うけど、それで飛行訓練受けたんだろ~ね。ま、呉なので「ヤマト」はじめ大型戦艦の建設場だし、やはり最先端戦闘機だった「ゼロ」のパイロットは「憧れのマト」だったかも。その彼も終戦時には「命からがら逃げてきた!」と言っていたし、朝鮮から逃げる際には「も~夢中で、捕まったら殺されると思い、ジープに積んでいたマシンガンでバンバン撃ったそ~じゃ!^^;」(あのねぇ~、そんなに撃ったなら・・・たぶん・・・ちょっとはヒトに当たってないかえ?・・・ま、仕方ないけどねぇ~^^;)そんな「ゼロ戦」パイロットのおじ~さん!帰る船に乗るために「大事なマフラー」を船員?とかに差し出したそ~じゃ。^^;そういうおじ~さんだけど、彼のすごい所はまだあったのじゃ!!彼は広島・呉に帰還してすぐ「ぐれん隊」?じゃないけど、ちょい「893」?をやっていて、GHQの黒人兵からもらった?拳銃ぶら下げて「荒れた生活」していたそうだ。(今、その拳銃の一部は形見としてボクの秘密部屋に保管してあるぜよ^^;)それから彼のオヤの勧めで「結婚」もした。そして、あの「ゼロ戦」の生みの親ともいえる「三菱
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