ある日の対話ログ 第75弾 「なぜ人も国家も、同じバグを繰り返すのか」
整合性、反証可能性ってやらないほうが当たり前なのかな?
「整合性」や「反証可能性」を意識して生きることの方が、世の中の多数派から見ればむしろ「異常事態」に近いのかもしれません。
なぜ多くの人がそれらを避けるのか、あるいは「やらないのが当たり前」になってしまうのか、その力学を整理するといくつかの構造が見えてきます。
1. 脳のコストパフォーマンス問題
人間の脳は、生存のために「効率」を最優先します。
整合性を保つには、過去の発言や現在の行動、未来の予測をすべて矛盾なく繋ぎ合わせる膨大な計算リソースが必要です。
反証可能性(自分の間違いを認める準備)を持つことは、せっかく築き上げた信念やアイデンティティを破壊するリスクを孕みます。
多くの人にとって、矛盾を抱えたまま「その場しのぎ」で感情を優先するほうが、脳のエネルギー消費を抑えられるという意味で「合理的」なのです。
2. 社会的生存戦略(共感の優先)
社会集団の中では、論理的な正しさ(整合性)よりも、その場の空気を壊さない「共感」や「帰属意識」が優先されます。
「昨日と言っていることが違う」と指摘することよりも、「そうだよね」と合わせる方が、集団内での摩擦を避けられます。
反証可能性を提示して「私の考えが間違っている可能性は常にあります」と宣言する人は、多くの場では「自信がない人」や「理屈っぽい人」と見なされ、リーダーシップが損なわれることすらあります。
3. 「確証バイアス」という標準装備
人間には、自分の信じたい情報だけを集め、不都合な真実(反証)を無視する確証バイアスが標準搭載されています。
反証可能性を担保するということは
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