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すべてのブログから「#小説の読み方」タグの検索結果

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大学で文学の授業をしてきた話──「よくわからない小説」を読む方法

縁あって、東海大学の文芸創作科三年生向けの講義「文学精読」にて、ゲスト講師として授業を担当させてもらいました。この講義の担当者は作家であり大学教員でもある倉数茂さん。対面でお会いしたことはないですが、Twitterでちょくちょく交流があり、SFマガジンの異常論文特集ではいっしょに寄稿させていただいたりもしました。もともとtoibooksでのオンラインイベントでのゲスト出演をぼくが倉数さんにお願いしたのがきっかけで、「大滝さんもうちでちょっと話をしてみませんか?」とお誘いいただき、オファーを交換するようなかたちで今回の話が決まりました。工学部出身で文学教育を受けたこともないじぶんができるのか……!?という戸惑いはありましたが、文学というのは「部外者にやさしい分野」ともおもっているので、ならば徹底的に他のひとが話さないようなことをしてみようと決め、授業にのぞみました。今回はじめての経験ということもあり、準備過程と授業内容、所感などを以下に書き残しておきます。課題作品とテーマの設定「神は細部に宿る」という言葉がある。文芸作品の精髄は、ストーリーや世界観ではなく、テクストの些細なディテールにこそ宿る。優れた作者はみな、そのような細部を創り出すことに心血を注いでいる。ゆえに、文学の学習を深めるためには、一言一句もゆるがせにせず、ゆっくりと丹念に読む精読が必要となる。この授業では、テクストの中にそのような細部をいかに見出すか、また見出した細部を全体との関連においていかに解釈するかを精読の実習を通じて学習する。つまり、細部と全体をつなぐ作品解釈力(?)のようなものを養う授業だと捉え、それなら
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芥川賞作品を精読して気づいた、「文章の違和感」は一種類ではない

芥川賞を受賞した作品だからといって、一文一文まで隙なく磨かれているとは限りません。ある芥川賞作品(『サンショウウオの四十九日』)をかなり細かく読んでいると、「意味は分かる。でも、なぜか引っかかる」という文章に何度も出会いました。面白いのは、それらを一つずつ検討していくと、同じ「違和感」でも原因がまったく違うことです。小説を講評するとき、「なんとなく変です」で終わらせず、その違和感がどこから生じているのかを考えてみます。 1.文法的には対称なのに、意味が対称ではない胃カメラで胃の内部を観察する場面に、「突き出たものはないし、へこんだものもない」(9頁)という趣旨の文章がありました。形だけ見れば非常にきれいです。「突き出た/へこんだ」が対になり、両方に「もの」が付いています。ところが、「突き出たもの」は腫瘍やポリープなどの実体として理解できますが、「へこんだもの」は少し妙です。胃壁の一部が陥凹しているのであれば、存在するのは「へこんだもの」というより、「へこんだ箇所」でしょう。たとえば、「隆起した箇所も、へこんだ箇所もない」とすれば意味上の対称性まで成立します。これは、構文上の対称性に引っ張られて、意味上の違いが見えにくくなった例だと思います。2.前後の所見は、本当に矛盾しているのかその後、胃にさらに空気を入れると、「胃の右側の壁だけがでっぱっている」(10頁)という所見が現れます。先ほど「突き出たものはない」と確認したのに、今度は「でっぱっている」。一見すると矛盾しています。ただし、これは医学的には別の現象として理解できます。最初に見ていたのが胃壁そのものに生じた隆起や陥凹で、後
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芥川賞作品を一文ずつ読むと見えてきた、「局所的な粗さ」と小説全体の完成度

芥川賞を受賞した作品というと、つい「一文一文まで完璧に磨き上げられている」と考えてしまう。しかし、実際に文章を細かく読んでいくと、必ずしもそうではない。今回、ある芥川賞作品(『サンショウウオの四十九日』)の胃カメラの場面を精読していて、いくつか引っかかる表現があった。そして、その引っかかりを一つずつ考えていくうちに、むしろ別のことが見えてきた。文学作品の評価は、局所的な文章の完成度を単純に足し合わせたものではないのではないか。そんなことを考えた。では、局所的な読みをしてみよう。「突き出たもの」と「へこんだもの」は対称なのか作中には、空気によって膨らませた胃を観察する場面がある。そこで、「突き出たものはないし、へこんだものもない」(9頁)という趣旨の表現が出てくる。一見すると非常に整っている。「突き出た」と「へこんだ」が対になり、それぞれに「もの」が付いている。しかし、よく考えると少し奇妙だ。「突き出たもの」は分かる。たとえば腫瘍やポリープなど、胃壁から何らかの実体が突出しているのであれば、それを「もの」と呼ぶことはできる。ところが「へこんだもの」とは何だろう。缶そのものが変形しているなら「へこんだ缶」と言える。しかし胃壁の一部が陥凹している場合、存在しているのは「へこんだもの」というより、へこんだ箇所である。つまり、突き出たものとへこんだものは、文法上はきれいに対称になっているのに、意味上は必ずしも対称ではない。「隆起した箇所も、へこんだ箇所もない」などとすれば、意味としてはずっと明瞭になる。文章の形の美しさが、意味の構造まで保証するわけではない。さっき「何もない」と言ったのに
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