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【親と子】生きづらい人、これでは?

赤ちゃんは生まれた直後から、誰に教わらなくても泣くことで自分の不快や要求を伝えることをすでに知っています。私が妊娠中に参加した、産科の母親学級では「赤ちゃんが泣いたら、出来るだけ早くそばに行って抱っこしてあげてくださいね♪」と教わっていました。私は習ったらわりと忠実に守るタイプなので、産後は入院中からすぐそのように実践していました。第一子は抱っこからおろすと、すぐに気づいて泣く子でしたので私自身が眠ることに関しては本当~に過酷な時期でしたが(◎_◎;)「泣いたら抱っこ」を実践していたからこそ、いつもと違う!?など体調の変化にすぐに気づけましたそして少し前から親子関係について勉強をしていく中で母親学級で教わったことは、赤ちゃんが言葉や表情を成長させていく為だけでなく、とても重要な教えが含まれていたと気づきました!赤ちゃんは・オムツが汚れてイヤだ・お腹がすいた・暑い、寒い・目が覚めたらそばに誰もいなくて不安だなどなどとにかく自分のしてほしいことを伝えようと泣いて助けを求めますこの時にママ、もしくはパパやほかのご家族が「あらあら、どうしたの~?」とすぐに来てくれることは、不快感を取り除いてくれるだけでなく自分の要求を聞き入れてもらえるという安心感を得ていきます。「出来るだけ早く赤ちゃんのそばに」という教えは、まさにその安心感を赤ちゃんが感じられる為でもあったんですねー(深く納得)こうして毎日少しずつ、赤ちゃんは自分の存在が受け入れられている感覚を学び取り家庭内で安心感の基盤を育んでいくんですですが、戦後は特に、家庭内で子どもの人数が多い時代もあり、お母さんは家事や育児で忙しく、すぐに
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母とのぎくしゃく…壮大に時を遡ることになった:いの巻

母とぎくしゃく感2022年8月ブログの下書きに母の口ぐせの事を書こうとメモしていることから…その辺りだと思うんです。内容は母の「〇〇しなくっちゃね」「〇〇じゃないとダメよね」こういう言葉が当時とっても重苦しく感じてきて(>_<)ちょうど私の中で「〇〇をしても、しなくてもどっちでもいいんだ」と思えるようになりはじめていた頃みたいです。それまでの私は母のように「掃除しなきゃ」「買い物行かなきゃ」みたいに口グセになっていた( 一一)ある時から「掃除…するといいよね~」「買い物行くといいよね~」って意識して言葉を変えるようになりました。するといいのは分かっているけど…しなくてもいいよどうする??みたいなちょっと自分の中にスペースができた感じ(#^^#)誰の影響でそうしようと思ったのか全く思い出せない。その当時、そのまた以前の私よりずっと軽くなってきていた時期なので自然の流れでそうなった気もします。そうすると母が口にする言葉が1つ1つ引っかかってくるんです…(-"-)皮ふを大根おろし器で撫でられるような…ネコでいうと、毛並みに逆らって撫でられる感じ!?ネコじゃないから本当の気持ちはわからないけどだぶん気持ち悪いよね?ネコちゃん( *´艸`)「〇〇しなきゃね」と言われるとおっと、きた~。「べつにしてもいいし、しなくてもいいんじゃないの~」って一言いいたくなっちゃう私(^^;)受け流せばいいんだけどさ…今まで母が常識的な多数派、私は変わった考えをする少数派的な立ち位置だったのでけっこうおとなしく引きさがってきたこともあったんです。一度、本質に近い自分に気づいちゃったらもう戻れない
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現役の精神保健福祉士が回答したベストアンサー「母との関係」

精神科病院で働く相談員のottohと申します。 某知恵袋の「メンタルヘルス」カテゴリで、数百件を超えるご質問に回答させて頂いております。 その中でも、ベストアンサーに選んで頂いた質問と回答をご紹介いたします。 回答を見て頂くことで、メンタルヘルスに関して「こういう考え方もあるんだな」「こう捉えるといいかも」と感じ、少しでも生き辛さが軽減することにつながると良いなと思います。 今回は「母との関係」についてです。 【質問】最近母親といるとイライラします、私は高校の3年間を寮で暮らしてました、 殆ど実家に帰省することなくて卒業してからは実家から大学に行っています。別に母親が嫌いとか元から反りが合わない訳ではないです。高校の頃は毎日電話もしていました。 実家に戻ってからは夕飯や家の掃除は私が担当していているのですが、夕飯や掃除の事で些細なことを言われるとイラついてしまいます。前まではこんなにイライラしてることは無かったのに毎日のようにイライラが続いています。原因がわからなくて困っています【回答】質問者様が夕飯や家の掃除を担当するに至った経緯が分からないのですが、「家で生活する以上はやりなさいよ」と強制されているのなら、些細な事でも言われるとイラついてしまうのは仕方ないかなと思います。 でも原因が分からなくて困っていらっしゃる。 イラつく原因が些細な事を言われるからであれば、原因は明確ですから。 いくら仲がいい親子でも、寮で暮らす高校3年間毎日電話するのは…。 この点から、たいていは中学~高校で親に向けられるような反抗期的な思いが今になって沸き起こってきているのかなと思いました。 そうい
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ママの話。

私の母は”完璧なママ”365日、毎朝、家族の誰より早起きし、お弁当を作り、家族分の朝食を準備。家族を起こし、朝食を食べさせ後片付けし・・・(書き連ねることに絶望した(笑)私が大学生になっても、ママは完璧なママのまま。友人が家に泊まりにくれば、デザートまで載った朝食プレートを人数分用意してくれたし、お店を出せるのでは?というほど得意なスイーツを作っては、ラッピングして友人に配るように持たせてくれたりもした。容姿も整っていて、髪型もファッションもちょっぴり個性的で、小さい背と童顔も相まってとても可愛いママ。毎日小綺麗にメイクもしていて、ママ可愛いね~と褒められるのがいつも嬉しかった。外では事務の仕事を任されている以上の責任感を持ってしっかりこなし、家では認知症の祖母(ママの実母)の世話もしていた。(飼い犬のチワワの世話もか・・・)進行した認知症の人が住む家をきれいに保つことはとても大変。それでも家の中が排泄物だらけゴミだらけになる事はなかったし、祖母も綺麗にされていた。ママは、人にも厳しかったけど、誰より自分自身をいつも律していたし、そうでないと気持ち悪いと思っている人だった。ひどい月経痛や偏頭痛、貧血持ちで体が強くないのに、具合が悪くても家事をサボらない人だった。誰も手伝おうとしない訳ではない。休めば?ともちろん声も掛けていた。だけどどんな時も、自分のルーチン通りにしなければ気が済まない人なだけだった。子としては、大変そうだな・・と思うのと同時に、私は母のことがあまり理解できなかった。甘えのない母のことがあまり人に見えなかった。大事に大事に育てられてきた自覚があるけど、私はAC(
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心と身体のための相手との距離

ゆきはなです。久しぶりに母の愚痴に付き合いました(^^;) 色々とありますよね。 「喧嘩したくない」と言っていたのですが そうは言っても嫌な気持ちを抱えているので 嫌だと思うなら、距離を置くように伝えました。 うまく付き合おうとするから 余計に苦しくなる。 喧嘩しないように自分を押し殺すから 余計に苦しなるし、腹も立つ。 相手も調子に乗っちゃうみたいだし。 (↑こうやって怒ったっていいんだけどな)そうは言っても状況的に 離れられない人もいますが、 有難いことに距離がおいても 問題のない人だったので。。 『自分の健康のために距離を置こう』 に落ち着きました。 落ち着いて考えると分かることなのに どうにかしようとし過ぎちゃって 分からなくなってしまっていたみたいです。 みんなと平和にやっていかなければ。。 って思うのもわかるんですけどね。 自分の心と身体と その人とうまくやるを天秤にかけてみるとやるべきことは自然に見えてくると思う。 そう言えば、昔、母に対して そうやって距離をおいてたことを思い出しました。 昔ほどではないけど 私的には今でも母との心の距離は 多めにとっています。 母が聞くと嘆くと思うから内緒だけど(^^;) 心と身体のための相手との距離。 自分で決めていいのだ♡ ゆきはな
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生きるため

母は、私の病気を理解しようと歩み寄ってくれていた。それが逆に、何もできない自分が悔しくて 母に辛く当たった。姪っ子が結婚を機に家を出たので、次男は1階の部屋を使うことになった。もう中学生、いつまでも母親と一緒の部屋はかわいそう。私は2階の部屋に鍵を付け、誰も入ってこないようにした。死に対する恐怖感はなく、むしろ切望した。痛みも感じない体、食に対する執着もなくなっていた勝手な親である。次男の気持ち、子供たちの気持ちを分かっていながら私は自分勝手な考えしか頭に浮かんでこない。日々の生活は切迫していた。母は年金暮らし。月4万程度。私の土日のパート代も知れたもの。光熱費は私のカード払いにしていたが、当然毎月足りない。足りない分はリボ払いにして しのいでいた。それでも「お金が足りない。あれが食べたい。これが食べたい。灯油が無くなるからお金出して。」そう言う母に、嫌悪感を感じた。お金がないことは、家族の和や心まで蝕み バランスが崩れていった。私にできる事・・いろいろ考え 平日「チャットレディー」を始めた。家族に「お金の為だから」と伝え 自分をさらした。ノンアダルト登録でも、お金を支払ってチャットで入ってくる「お客」は勿論、そういう事を望んできた。やんわりと拒否をしても、豹変する男達笑顔で接しながら、心はますます壊れていった。その中でも、数人の男性は「あなたは脱がなくていいから、話だけしよう」そう言ってくれる人もいた、なかでも一人の男性は私が不利にならないように色々配慮しながら、時間をたっぷり使ってくれた。「こういう男性も世の中にいるんだ・・」私はこの男性に心が救われた。鬱の薬はどんどん増え
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