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心と身体のための相手との距離

ゆきはなです。久しぶりに母の愚痴に付き合いました(^^;) 色々とありますよね。 「喧嘩したくない」と言っていたのですが そうは言っても嫌な気持ちを抱えているので 嫌だと思うなら、距離を置くように伝えました。 うまく付き合おうとするから 余計に苦しくなる。 喧嘩しないように自分を押し殺すから 余計に苦しなるし、腹も立つ。 相手も調子に乗っちゃうみたいだし。 (↑こうやって怒ったっていいんだけどな)そうは言っても状況的に 離れられない人もいますが、 有難いことに距離がおいても 問題のない人だったので。。 『自分の健康のために距離を置こう』 に落ち着きました。 落ち着いて考えると分かることなのに どうにかしようとし過ぎちゃって 分からなくなってしまっていたみたいです。 みんなと平和にやっていかなければ。。 って思うのもわかるんですけどね。 自分の心と身体と その人とうまくやるを天秤にかけてみるとやるべきことは自然に見えてくると思う。 そう言えば、昔、母に対して そうやって距離をおいてたことを思い出しました。 昔ほどではないけど 私的には今でも母との心の距離は 多めにとっています。 母が聞くと嘆くと思うから内緒だけど(^^;) 心と身体のための相手との距離。 自分で決めていいのだ♡ ゆきはな
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ママの話。

私の母は”完璧なママ”365日、毎朝、家族の誰より早起きし、お弁当を作り、家族分の朝食を準備。家族を起こし、朝食を食べさせ後片付けし・・・(書き連ねることに絶望した(笑)私が大学生になっても、ママは完璧なママのまま。友人が家に泊まりにくれば、デザートまで載った朝食プレートを人数分用意してくれたし、お店を出せるのでは?というほど得意なスイーツを作っては、ラッピングして友人に配るように持たせてくれたりもした。容姿も整っていて、髪型もファッションもちょっぴり個性的で、小さい背と童顔も相まってとても可愛いママ。毎日小綺麗にメイクもしていて、ママ可愛いね~と褒められるのがいつも嬉しかった。外では事務の仕事を任されている以上の責任感を持ってしっかりこなし、家では認知症の祖母(ママの実母)の世話もしていた。(飼い犬のチワワの世話もか・・・)進行した認知症の人が住む家をきれいに保つことはとても大変。それでも家の中が排泄物だらけゴミだらけになる事はなかったし、祖母も綺麗にされていた。ママは、人にも厳しかったけど、誰より自分自身をいつも律していたし、そうでないと気持ち悪いと思っている人だった。ひどい月経痛や偏頭痛、貧血持ちで体が強くないのに、具合が悪くても家事をサボらない人だった。誰も手伝おうとしない訳ではない。休めば?ともちろん声も掛けていた。だけどどんな時も、自分のルーチン通りにしなければ気が済まない人なだけだった。子としては、大変そうだな・・と思うのと同時に、私は母のことがあまり理解できなかった。甘えのない母のことがあまり人に見えなかった。大事に大事に育てられてきた自覚があるけど、私はAC(
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第一章 第四話 怒りの奥にいた、小さな私

第一章 すべては、母との関係から始まっていた第四話 怒りの奥にいた、小さな私怒りはよくない。そんな単純な一言を信じて、怒りは、できるだけ感じないようにしてきました。いやいや。それだけじゃないかも。怒りを感じても、それはいけないことだと自分を戒めながら。飲み込んで。笑って。「もういいよ」「大丈夫」と顔で笑って、心で泣いて、大丈夫な振りをしてきました。そんなことを何十年も繰り返してきました。でも、丁寧に心の奥をたどっていたら、母に対する怒りなのか、自分を我慢で押し込めてきた怒りなのか、無力さへの怒りなのか、猛烈に怒りがわいてきたんです。私は怒りを吐き出すワークをやって、なんとか、しのぎました。猛烈な怒りが落ち着いてくると、怒りの下に、別の気持ちがあることに気づいたんです。怒りの奥に隠れていたのは「さみしかった」「悲しかった」「辛かった」そんな小さな私の声でした。聞いてほしかった。わかってほしかった。こっちを見てほしかった。その願いが届かないまま、何年も心の奥に残っていた。そして、「大切に扱われたかった」「ちゃんと愛されたかった」という深い願いに対して、「また私は、本気で向き合ってもらえなかった。」そんな怒りを抱えていることに気づいたのです。さらに、「私は母から、都合よく扱われているのではないか」そんな疑心暗鬼も手伝って、怒りが、湧き上がってきたのです。ところが、怒りを感じるのは、自分の心からの、「No!」という叫び声のような気がして。そう思えたとき、少しだけ怒りの見え方が変わりました。怒りが消えたわけではありません。今でも、ふいに顔を出します。でも、そのたびに、「本当は、何が嫌なの
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第二章 望むことを、あきらめた私 第一話

第二章 望むことを、あきらめた私第一話「望みは叶わない」と、いつから思っていたのだろう「どうせ、無理」「言っても、仕方ない」気づけば私は、何かを望む前から、あきらめる癖がありました。それはもう、あまりにも習慣になりすぎて、無意識レベルであきらめようとする、そんな癖がありました。欲しいものがあっても、「まあ、なくてもいいか。」会いたい人がいても、「わざわざ言わなくてもいいか。」やりたいことがあっても、「まあ、そこまででもないか。」そんなふうに、望みを小さくしてきたのです。第一章で、母との関係をたどりながら、「本当は、こうしてほしかった」という望みが、少しずつ見えてきました。聞いてほしかった。わかってほしかった。大切にしてほしかった。でも、その望みを思い出したとき、一緒に出てきたものがありました。「どうせ無理だった。」「言っても聞いてもらえなかった。」「あきらめるしかなかった。」あれ?「望みが叶わないなんて、そんなこと、ないはず」となんとなく感じているのに。いつから私は、「望みは叶わない」と決めてしまったんだろう。いつからか、わたしは望むことそのものをやめてしまった。そんな気がするんです。そう考えると、なんだか不思議な気持ちになってきます。望まなければ、がっかりしなくてすむ。期待しなければ、傷つかなくてすむ。そうやって、望みを「たいしたことないもの」にしてきたのかもしれません。最近は、少しずつ「あれが欲しい」「こうしたい」そんな気持ちが出てきたときに、「どうせ・・・」と思いながらも望みを持っている自分に気づくようになりました。以前は、無意識のうちにかき消されていた望み。そう、やっと
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鏡の中の自分

エネルギーワークを始めて間もない頃、私は自分の中に長い間抱えてきた感情と向き合うことになりました。それは、「母への憎しみ」。今まで気づかないふりをしていたけれど、心の奥底では母を許せず、責めていた自分がいたのです。でも、エネルギーワークを深めていく中で、ある日ふと気がつきました。私が本当に憎んでいたのは、母ではなく「母を通して映し出される自分自身」だったということに。母を責めることで、自分の弱さや未熟さ、そして愛されなかったと思い込んでいた過去から目を逸らしていた。鏡のように母という存在に投影していたのは、実は私自身だったのです。「嫌いだったのは、他でもない自分だった」そのことを認めるのには勇気がいりました。でも、自分と本気で向き合うと決めたとき、何かがスッと軽くなったのを感じました。それまで他人や過去にばかり答えを求めていた私が、ようやく自分の中に光を見出した瞬間でした。自分を責めるのではなく、受け入れ、許し、愛していくこと。そのプロセスを始めてから、私の人生は大きく変わり始めたのです。誰かを責める感情の裏には、自分自身へのメッセージが隠れていることがあります。鏡に映る自分と向き合う勇気が、人生を変える第一歩になるのかもしれません。今、あの頃の私と同じように心のどこかで苦しんでいる方がいるなら伝えたいです。「その感情の奥には、本当のあなたがいる。鏡の中の自分に、どうか優しく微笑んであげてください。」
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第二章 第二話 望まなければ、傷つかずに済む

第二章 望むことを、あきらめた私第二話 望まなければ、傷つかずに済む望みが叶わなくて悲しい思いをするのなら、望まなければ、がっかりしなくてすむ。望みを聞いてもらえなくて傷つくのなら、期待しなければ、傷つかなくてすむ。望んで、結局、心がちくちく痛んで、心でしくしく悲しむのなら、最初から、望まなければいい。そんなふうに、自分に言い聞かせていました。欲しいものがあっても、会いたい人がいても、やりたいことがあっても、望まなければ、期待しなくてすむ。期待しなければ、がっかりしなくてすむ。がっかりしなければ、悲しくならなくてすむ。そうやって、自分を痛みから守るために望まないことにしたのでしょう。でも・・・。望まないことで、本当に傷つかずに済んでいたのかな。欲しいものを、「欲しくない」と言って。会いたい気持ちを、「別に会わなくてもいい」と言って。本当はやりたいことを、「そこまでじゃない」と言って。私は、悲しみを感じない代わりに、うれしさも、受け取らないようにしていたのかもしれません。今になって、ゆっくり見てみると、「望まないこと」は、「望んで傷つくこと」よりも、もっと、自分を傷つけていたのではないだろうか。そんなことを感じます。あのころは、気づいていませんでした。望まないことが、もっと、自分を悲しませていただなんて。望んで傷つくより、最初から望まないほうが安全。そんなふうにして自分を守ることで、精いっぱいだったのです。心を痛めながらも自分を守ろうとしてきた。そのことに気づいたら、今までの、望むことを諦めようとしてきた、そんな自分を責める気持ちが、少しずつ薄れ始めたのです。あきらめることにした
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第一章 第六話 私が母に、本当に望んでいたこと

第一章 すべては、母との関係から始まっていた第六話 私が母に、本当に望んでいたこと私は、何が欲しかったのだろう。お金?評価?認められること?ずっと、わからないまま探り続けてきたような気がします。もっと頑張れば。もっと結果を出せば。もっと正しくいれば。いつか私は、大切にしてもらえる。そんなふうに、どこかで思っていたのかもしれません。だから、母とのことを書き始めたときも、「母に利害抜きで 愛されていたのか?」と、見たくない、見るのも怖いと感じながら答えを探していました。怒りをたどって。悲しみをたどって。寂しさをたどって。何度も同じところを行ったり来たりしながら。すると、あるとき。あれ?私が本当に欲しかったのは、お金でも、評価でも、正しさでもないような。ただ、「あなたの気持ちを聞かせて」そう言ってほしかった。怒っていても。悲しんでいても。わがままに見えても。否定せずに、「そうだったんだね」と、そっと包み込んで受け止めてほしかったんだ、きっと。私は、自分の気持ちをわかってもらうために、一生懸命、何かを説明してきたのだと思います。母に否定されないように、見捨てられないように、加減をはかりながら、私の正しさを証明しようとしてきたのだと思います。わかってもらおうとして。認めてほしくて。「そうだね」と寄り添ってほしくて。本当は、私の存在を証明しなくても、「あなたの気持ちを聞かせて」と、受け止めてもらいたかった。そんな気づきが、最近になって少しずつ見えてきました。気づいてみれば、そんなアニメのような世界は、我が家のどこにも無かったこと。そこにも気づいてしまいます。まだ、全部がつながったわけではあ
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第一章 第三話「望みは叶わない」という信念の奥にあるもの

第一章 すべては、母との関係から始まっていた第三話 「望みは叶わない」という信念の奥にあるもの「どうせ言っても、聞いてもらえない。」そんなふうに思うことが、昔からよくありました。気づけば、母に何かをお願いすることより、「いいよ」が先に出るようになっていました。子どもの頃、勇気を出して、「今日は、こっちに行きたい」と言ったことがありました。でも、その願いは、「あとでね」「今日は無理」そんな言葉と一緒に、いつの間にか消えていきました。何度も繰り返すうちに、私は願いを言わなくなりました。言わなければ、傷つかない。そうやって、自分を守ってきたのでしょう。でも、その奥には、ずっと置き去りにした気持ちがありました。「私の望みも、聞いてほしかった。」最近になって、その小さな声が、やっと聞こえるようになりました。聞いてもらえなかった悲しみ。わかってもらえなかった寂しさ。そして、その下に静かに積もっていた怒り。私はずっと、怒ってはいけないと思っていました。だから、怒りがあることにも、気づかないようにしていたのかもしれません。最近になって、ようやく、「私、怒っていたんだ」と、その感覚に気づける瞬間が増えてきました。あの怒りは、何を伝えたかったのだろう。そのことも、これから少しずつ、見つめていきたいと思っています。だから今は、その怒りを、急いで消そうとは思わなくなりました。まだ少し怖いけれど、その奥にある声を、最後まで聞いてみたい。そんなふうに思える日が、少しずつ増えています。「言えなかった願いも、あなたの大切な心の声。」あなたにも、本当は聞いてほしかった願いが、言葉にならないまま、心の奥にしまわれ
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母との関係に疲れたあなたへー"わかってほしい”の奥にある3つの本音

何度話しても、噛み合わない。何気ない一言が、なぜか心にチクリと刺さる。母との関係に、知らず知らず疲れていませんか。「育ててもらった恩がある」「悪い人じゃないのは知っている」そう思うほど、感じてはいけない気持ちがあるような気がして、自分の中に閉じ込めてしまう。でも、その「疲れた」という感情には、ちゃんと理由があります。◆「わかってほしい」の奥にある3つの本音1.「ありのままの私を見てほしかった」親が望む"良い子"ではなく、ただ自分のままで認められたかった。褒められるための私ではなく、何もしなくても愛される私で在りたかった。その願いが叶わなかったことへの、静かな悲しみが残っている。2.「子ども扱いをやめてほしい」大人になっても、母にとってはいつまでも"子ども"のまま。心配されることが、ときどき「信頼されていない」に変わって聞こえる。あなたはもう、自分の人生を自分で選べる大人なのに。3.「私は私のままでいい、と言ってほしい」比べられる言葉、否定する言葉、心配を装った口出し。本当はただ、「あなたはあなたのままで素晴らしい」と言ってほしかっただけ。その一言が、これからの人生を生きるエネルギーになるはずだったから。◆最後に母との関係に疲れることは、母を嫌いになることではありません。むしろ、それだけ深く期待していた、繋がりたかった、という証。そして、母が言ってくれなかった言葉は、これからあなた自身が自分にかけてあげられます。「私は、私のままで大丈夫」「ありのままの私で、愛される価値がある」その言葉が、心の奥に届くまでには時間がかかるかもしれません。でも、繰り返し自分にかけ続けるうちに、母との
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母とのぎくしゃく…壮大に時を遡ることになった:いの巻

母とぎくしゃく感2022年8月ブログの下書きに母の口ぐせの事を書こうとメモしていることから…その辺りだと思うんです。内容は母の「〇〇しなくっちゃね」「〇〇じゃないとダメよね」こういう言葉が当時とっても重苦しく感じてきて(>_<)ちょうど私の中で「〇〇をしても、しなくてもどっちでもいいんだ」と思えるようになりはじめていた頃みたいです。それまでの私は母のように「掃除しなきゃ」「買い物行かなきゃ」みたいに口グセになっていた( 一一)ある時から「掃除…するといいよね~」「買い物行くといいよね~」って意識して言葉を変えるようになりました。するといいのは分かっているけど…しなくてもいいよどうする??みたいなちょっと自分の中にスペースができた感じ(#^^#)誰の影響でそうしようと思ったのか全く思い出せない。その当時、そのまた以前の私よりずっと軽くなってきていた時期なので自然の流れでそうなった気もします。そうすると母が口にする言葉が1つ1つ引っかかってくるんです…(-"-)皮ふを大根おろし器で撫でられるような…ネコでいうと、毛並みに逆らって撫でられる感じ!?ネコじゃないから本当の気持ちはわからないけどだぶん気持ち悪いよね?ネコちゃん( *´艸`)「〇〇しなきゃね」と言われるとおっと、きた~。「べつにしてもいいし、しなくてもいいんじゃないの~」って一言いいたくなっちゃう私(^^;)受け流せばいいんだけどさ…今まで母が常識的な多数派、私は変わった考えをする少数派的な立ち位置だったのでけっこうおとなしく引きさがってきたこともあったんです。一度、本質に近い自分に気づいちゃったらもう戻れない
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第一章 第五話 母を 責めて済めば、楽なもの

第一章 すべては、母との関係から始まっていた第五話 母を 責めて済めば、楽なもの母のことを考えると、どうしても怒りが出てくる。本当は、母に言いたい。私の気持ち。でも、倍になって否定が返ってくることが簡単に想像できる。怒りの扱い方が、わからない。そんな自分が、嫌でした。母を責めれば、気が楽になるのか。母を悪者にしたら、気が済むのか。いいや、どれもちがう。どれも解決しない。私の気は、晴れない。じゃあ、このやり場のない思いはどうしたらいいの?また我慢するの?そんなふうに、自分を責めそうになりました。もどかしいながらに心の奥をたどっていくと、少しずつ違うものが見えてきたのです。母を責めても、何も解決しない。けれど、「私に何が起きていたのか知りたい。」どうして私は、こんなに我慢するのだろう。どうして自分の望みを、すぐにあきらめてしまうのだろう。どうして、「私は大切にされない」と感じてしまうのだろう。その答えを探していくと、どうしても母との関係にたどり着く。だから、母のことを思い出す。怒りも出てくる。悲しみも出てくる。「本当は、あのとき気づいてほしかった」そんな思いも、出てくる。でもそれは、母を罰したいからではなくて。自分の気持ちを閉じ込め過ぎた私に、ようやく光が当たり始めたからかもしれない。そう思えるようになってから、母に向けそうになる怒りが、ほんの少し落ち着いてきました。母にも、母の人生があった。生活があった。過去の怒りを感じることと、私が傷ついたこと。私が寂しかったこと。私の望みが聞いてもらえなかったこと。それは、別々に、そして同時に存在していてもいいものなのかも。まだ、うまく整理で
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第一章 すべては、母との関係から始まっていた 第一話

第一話 「母のことを書こうとすると、何も思い出せなかった」ある日、一枚の白い紙を前にして、私は手が止まりました。「母から愛された記憶を書いてみてください。」そう言われたとき、私は、すぐには何も書けませんでした。思い出そうとすると、否定されたこと。怒られたこと。怖かったこと。そんな記憶なら、次から次へと浮かんでくるのに。けれど、いい思い出として残っている愛された記憶って、なんだっけ?頭の中で、必死に探し続けました。食事を作ってくれた。病院にも連れて行ってくれた。ちゃんと育ててもらった。でも・・・。あと、なんだっけ・・・。そういうこと以外にも、何かあるはずなのに。そんな風にフリーズしていました。あの頃はまだ、何も思い出せないことが、こんなにも意味を持つなんて知りませんでした。愛されなかったのか。それとも、私が忘れてしまっただけなのか。答えはわからないまま、ただ紙を見つめているだけ。それでも、何かを書こうとしていました。そんな中、「あれ?」思い出せないこと自体が、私の心からのメッセージなのかもしれない。そんな気がしたのです。緊張することが、当たり前だった。安心って、どんな感覚だったっけ。そんな毎日だったのかもしれません。私はずっと、「愛された記憶が思い出せない」そう思っていました。でも、思い出せなかったのではなく、愛を感じないように生きてきただけだったのかもしれません。まだ、その頃の私は、そこまで言葉にすることはできませんでした。でも今振り返ると、あの日、白い紙の前で止まっていた私は、自分の心と向き合い、ちゃんと歩き始めていたのだと思います。思い出せないことも、心が教えてくれる、大切
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母親の影響

今日も来てくださりありがとうございます。本日は、リーディングではなく、ある気付きについて。最近、ある方のもとで新しい学びを始めました。それに伴い、毎日、様々なワークで内観や感覚を研ぎ澄ます実験をしています。本日は、オラクルカード。タロットカードなどのセッションは、引く前にカードの絵柄がわかるほどに感覚を研ぎ澄ませるのがゴールとのことで、事前に、カードの解説を読みながら、今日引くカードをリーディングしました。そしたら・・・リーディングしたカードが出ました。聖母マリア「Mother」悲しみや怒り、不安などといった母親との間にある長年のパターンが癒され、物事がうまくいくようになる。え?今の私には必要ないのに、何故?近くに住む母との関係は良好。お互いが愛情を持って接しており、悲しみ・怒り・不安は生じていないと思っていた。もう一度解説を読んでも腑に落ちない。メッセージが分からずに戸惑っていると、突然、インターフォンが鳴りました。扉を開けると、そこには母が!「料理を沢山作ったからおすそ分け」と。ありがたく受け取って代わりに頼まれていた化粧品を渡し、料理のお礼にお代はいらないと伝えると「それは困る」と、財布からお金を出したんです。「お料理のお礼に」ともう一度伝えても、「そうされると、今後、化粧品の注文をお願いしずらい」と言い出した。「じゃあ、今回だけ」と返すと、「本当に困る」と。しばらく押し問答が続き、最終的に「申し訳ない」「すみません」と言いながら受け取られた時、あ、これだ。母は何かを受け取る時ありがとうではなく「申し訳ない」「すみません」と言う。カードが伝えていたのは、感謝をお金で受け取
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【母の日がつらいあなたへ】感謝できなくていい

3分で1個心のブロック解除マインドブロックバスター 藤田貴子です5/12(日)は母の日ですお母さんやお義母さんへ母の日にプレゼントを贈って感謝を伝えるのが恒例になっていますSNSにはプレゼントをもらった、送ったときれいな写真がたくさんアップされるのをよくみかけますでも、そんな母の日キラキラ投稿を見て内心、複雑、、、な方も多くいます素直に感謝を伝えられないそもそも、感謝できない 母との関係がこじれている子供の頃、母とのいい思い出がない大人になっても、母のちょっとした一言で心を揺さぶられる普段はそんなに気にならなくても、母の日が気持ちに重くのしかかってくるお互いに愛情はあるのに、ぶつかってしまう「プレゼントあげた方がいい?」「世間はお祝いムードだけど…」といった風に悩むことありませんか?(↑心のブロック解除のご感想)「母の日にプレゼントする」って、そもそも誰が決めたのでしょう? 感謝してプレゼントを渡すことがよい、という謎の基準あなたが母との関係に悩むことがあるなら、先ず、素直にあなたの今の気持ちを受け入れありのままのあなたを許し愛することです自分の意識(心のブロック)を解除していき、心の負担を軽くしていきましょう
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現役の精神保健福祉士が回答したベストアンサー「母との関係」

精神科病院で働く相談員のottohと申します。 某知恵袋の「メンタルヘルス」カテゴリで、数百件を超えるご質問に回答させて頂いております。 その中でも、ベストアンサーに選んで頂いた質問と回答をご紹介いたします。 回答を見て頂くことで、メンタルヘルスに関して「こういう考え方もあるんだな」「こう捉えるといいかも」と感じ、少しでも生き辛さが軽減することにつながると良いなと思います。 今回は「母との関係」についてです。 【質問】最近母親といるとイライラします、私は高校の3年間を寮で暮らしてました、 殆ど実家に帰省することなくて卒業してからは実家から大学に行っています。別に母親が嫌いとか元から反りが合わない訳ではないです。高校の頃は毎日電話もしていました。 実家に戻ってからは夕飯や家の掃除は私が担当していているのですが、夕飯や掃除の事で些細なことを言われるとイラついてしまいます。前まではこんなにイライラしてることは無かったのに毎日のようにイライラが続いています。原因がわからなくて困っています【回答】質問者様が夕飯や家の掃除を担当するに至った経緯が分からないのですが、「家で生活する以上はやりなさいよ」と強制されているのなら、些細な事でも言われるとイラついてしまうのは仕方ないかなと思います。 でも原因が分からなくて困っていらっしゃる。 イラつく原因が些細な事を言われるからであれば、原因は明確ですから。 いくら仲がいい親子でも、寮で暮らす高校3年間毎日電話するのは…。 この点から、たいていは中学~高校で親に向けられるような反抗期的な思いが今になって沸き起こってきているのかなと思いました。 そうい
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第一章 第二話 愛を受け取れなかった?

第一章 すべては、母との関係から始まっていた第二話 愛を受け取れなかった?「私は、母に愛されなかった。」長いあいだ、私はそう思っていました。だから、苦しかった理由も、生きづらさも、全部そこにつながっている気がしていたのです。でも、母とのことを何度も振り返るうちに、心に、小さな問いが生まれました。「あれ?」本当に、愛は一度もなかったのだろうか。そう思ったのです。もちろん、寂しかったこともあります。悲しかったことも、忘れられない言葉もあります。ただ、あの頃の私は、安心して愛を受け取れるほど、心に余裕がなかったのかもしれない。寂しさや不安でいっぱいの心は、差し出されたぬくもりにも、気づけなくなることがある。そんなふうにも思うようになりました。愛されたかった。もっと見てほしかった。その願いは、あまりにも切実で。差し出されていた小さなぬくもりにも、気づけなかったのかもしれません。もしそうだったとしても、あの頃の私が悪かったわけではありません。受け取りたくても、受け取れないほど、心は寂しさでいっぱいだったのでしょう。今も、答えはまだわかりません。母に愛があったのか。私が受け取れなかったのか。きっと、そのどちらか一つではないのでしょう。だから私は、急いで結論を出さずに、もう少しだけ、あの頃の私の心を見つめてみたいと思っています。心は、受け取る準備ができた分だけ、少しずつ見える景色を変えていくと感じています。私は、まだこの続きを歩いています。あなたが「なかった」と思っているものの中に、今だから見えてくるぬくもりはありますか。🌿最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この連載では、母との関
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母との関係から学んだ「境界線」子育てで守りたいこと

こんにちは、くまのゆきこです。今日は、私の子育て観の土台になっている親子の距離感・境界線についてお話しします。母との関係で感じたこと私の母は感情の起伏が激しく、幼い頃は暴言や暴力もありました。機嫌が良い時も、私の話を自分のことのように周囲へ話してしまうことがあり、大切なものを奪われた気持ちになったこともあります。母もまた感情的な親のもとで育ったので、距離感や感情の扱い方を学ぶ機会がなかったのだと思います。子育てで守っていることそんな経験から、私は次のことを自分のルールにしました。●暴言・暴力は絶対にしない●存在を否定する言葉はかけない●感情的になり過ぎたら謝る●叱った後は気持ちを切り替え、穏やかに接する●子どもは「別の人間」と意識する子どもは成長とともに親の知らない世界を持ちます。干渉しすぎず、見守る姿勢を大切にしています。母との今と、私の家族今は母との関係も落ち着きましたが、心理的・物理的な距離は保っています。同居せず、本心はあまり話さず、自分と子どもの生活を最優先にしています。親子であっても境界線を引くことは、自分を守り相手を尊重すること。この経験を糧に、安心と尊重のある関係を子どもと築きたいと思っています。もし「親との距離感」や「子育ての向き合い方」で悩んでいる方は、私のチャット相談・電話相談もご活用ください。経験を踏まえたアドバイスや、ただ受け止める時間をご提供します。詳しくはプロフィールや出品ページをご覧ください。★くまのゆきこ・プロフィールhttps://coconala.com/users/5539732
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