SNSは狭い水槽の中なのか?

記事
コラム
SNSで毒を吐く人がいる。
悪口から始まり、それはやがて罵倒や辛辣な差別へとつながる。

自分は書かない。自分の知り合いも書いていない、と思っている。だから、SNSで毒を吐く人は遠い別世界の住人と思っている。でもこれだけ多いということは、実はすぐ近くにいるかもしれない。普段は善人の顔をしていても、SNSで毒を吐いている人がすぐ近くにいるかもしれない。

そんな人にとって毒殺の相手は誰でもかまわない。自分を守るためだから未知の相手にも毒を吐く。そして徐々に歯止めが利かなくなる。吐き出さないと身体の中に溜まった毒で、自分が殺されてしまう恐怖を持っている。

毒の成分を考えてみると思い当たるものがある。自分の心に溜まった憎悪や恐怖、嫌悪感と言われる汚れだ。心の汚れは取り除かないとやがて身体の中で毒化する。SNSは、そんな誰もが持つ名もなき毒を表面化させた。

何があろうとSNSで毒を吐くことは許されない。許してはいけない。そして、毒化する前に心に積もった埃や汚れを取り除かなければいけない。それをしないと次々に毒が生成される。
厄介なことに毒はウイルスのように変異する。SNSが無くなれば、新たに寄生する場所を見つける。


私たちはSNSという狭い水槽の中で生きている魚かもしれない。

世界と繋がるインターネットは、広いように見えて実はとても狭い世界かもしれない。何処までも繋がると思っていたが、実はせまい水槽の中だけかもしれない。そこに棲む魚たちにとっては、その水槽の中がすべてだ。えさを与えられる狭い水槽の世界しか知らない。

さかなクンがこんなことを言っていた。

「人の世界はさかなの世界と似ている。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいる。でもせまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めた。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れた。すると残ったメジナは別の一匹をいじめ始めた。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てくる。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれる。広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まる。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士なのに・・・。」

同じ場所にすみ、同じモノを食べる、同じ人間同士なのに・・・。

でも私たちは魚と違う。気づけば水槽の外でも生きることが出来る。

さかなクンも言っています。
「外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。」

ネットが新しい世界なら、今までの世界の中にもまだ知りえない新しい世界があるはずだ。外に出れば広い海があることを忘れないで欲しい。

狭い水槽のなかで、同じ方向に群れて泳がなくてもいい。
人と違っていい。
泳ぐのがヘタでいつも遅れてばかりでもいい。
時間をかけて出来たことは誰にも負けない。

今は飛び出せなくても、いつか飛び出して水槽の外でも生きて欲しい。



軽やかに暮らすとは、何も感じない、考えないことではない。泣いて恨んで失望して笑って、それでも軽やかに歩くということだと思う。そんな50編のコラムです。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す