地味パワースポット~西伊豆・土肥金山~

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 西伊豆は気候もよく人柄もいいので保養・老後の移住に最適ですね。。。と年寄りのような枕詞からはじまりますが、今回は西伊豆土肥金山をご紹介いたします。パワースポットの種類としては土・金・水に特化しています。
陰陽五行説は土から金属が生まれ金属から水が生まれる(金属の上に水分が飽和して水滴が現れるイメージなんでしょうね)という流れになります。
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 『金』:金運・肺(呼吸器)が弱っている。『金・土』免疫が弱っている。『水』:性的機能、泌尿器系が弱っている。などの時はこの行を補うというのが中医学の考えです。

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 土肥金山は、江戸時代に第一期黄金時代を明治時代から昭和にかけて第二期黄金時代を迎え佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山で昭和40年に閉山し、その後は観光坑道として利用されています。隣接する金山資料館「黄金館」には、金山に関する貴重な資料や鉱石、250kgの世界一の巨大金塊などを展示してあります。
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 金脈から湧き出る水。水と金の組み合わせは不思議なくらい神秘的でよい相性です。

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 浅熱水性鉱脈型金銀鉱床は、温泉地で発見されるケースが多く、特に塩素が含まれる温泉地では、可能性が高いとも言われています。御多聞に漏れず西伊豆土肥も温泉地で、近くの温泉地にも立ち寄るとよいですね!私がお世話になったのは明治館という温泉宿でした。


【年表】
建徳・文中・天授(1370年代)の時代、足利幕府直轄の金山奉行が土肥を支配し、盛んに金を掘ったのが土肥金山の始まりと伝えられる。
天正5年(1577年)土肥の大横谷、日向洞、楠山、柿山、鍛冶山等五ヶ所を開発、この頃より土肥の金山が本格的に採掘される。
慶長6年(1601年)徳川家康が伊豆の金山開発に力を注ぐ。
慶長11年(1606年)幕府金山奉行大久保石見守長安が伊豆の金山奉行も兼ね、掘削方法、水抜き方法等の新技術を導入し産金量を増大させたので、土肥の金山は隆盛を極め、街には人家が軒を並べ、土肥千軒と称したと云う。
慶長18年(1613年)大久保石見守長安が没し、伊豆金山奉行は市川助衛門となるが、元和六年(1620年)に没するやその後、土肥の金山は衰退し寛永2年(1625年)には休山となる。
明治39年(1906年)神戸の実業家長谷川氏が外国人技師を招へい探鉱を行い成功する。
大正6年(1917年)長谷川氏が発起人となり土肥金山株式会社を設立。
昭和40年(1965年)鉱量枯渇のため閉山する。
昭和47年(1972年)社名を土肥マリン観光株式会社に変更し、坑内の一部を観光坑道として整備し、一般観光客に公開している。


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