「この子、今日はやさしい」「ホォォォオ…」

「この子、今日はやさしい」「ホォォォオ…」

記事
コラム
「この子、今日は優しい顔ね。」

作品つくりを教えはじめて、
少しずつ人の輪が広がってきたころ。
工房入口に置いていた作品を見ながら、
常連さんがふと、こんなことを言った。
35歳くらいの飾り気の少ない、主婦の方だ。

「めっちゃ優しくみえる!めっちゃ優しく見えますよコレ!」
「……え?ほんまですか」

作品を見た。
いつも置いてある、わたしが作った陶器のオブジェ。
別に昨日と変わっていない。
同じ形。
同じ色。
同じ表情。

でも
アート作品って面白い。
日によって、ちょっと違って見える。

たとえばそれは、
読み返した小説、
見直した映画、
琴線に触れる部分が変わる、
あの感覚に似ている。


その作品は顔が3つ付いている。
「今日はなんか好きだな。」
と思う日もあれば、
「……なんか怖いな。」
と思う日もある。
わたしもその女性と同じ感覚になったことがあるのだ。


作品が動いたわけではない。
(たぶん。笑)

じゃあ、変わったのは何なのか。

たぶん、こちら側だ。

作品を見ている、自分。
たとえば・・・
朝からバタバタしている日。
工房に来ても、頭の中がごちゃごちゃしている。

制作がうまくいった日。
人と話して楽しかった日。
なんとなく機嫌がいい日。
雨の日。
暑い日。
こどもと喧嘩した日。

なんとなくその作品が違うように見えるのだ。


「作品が、”自分を映す鏡”になる。」
これがわたしの行き着いた答えだ。


だから、
「この子、いまは優しくみえる。」
という言葉を聞いたとき、
その「優しくなった」のは、
作品ではなく、その人なのだと思った。

でも、私はあえて、そのことを話さなかった
それは…

見る側のわたしの答えは「わたしの答え」であって、
「その人の答え」とはきっと違うから。

「やさしく見える」という感覚になぜなったのか?
それっぽい俗語で干渉し、誘導するよりも、
その余白を彼女なりに漂ってほしかったのだ。

彼女はきっと、これからも
あの作品を見るたびに、少し違う顔に気付く。
その経験を重ねるうちに自分の感覚がつかめてくる。

そして、次の表現につながる。

その方は子育ての合間に、
家にもねんどを持って帰って
陶芸作品を「作りたい」と思うときにすぐ作れるようにしている。

ちいさな動物たちを作っているのだが、
1ヶ月単位とかでドカっと大量にお家陶芸の作品を持ってくる。
「先生、今月も焼きよろしくおねがいしまーす。」

きっと、今まで焼きあがった子たちも、
彼女のお家で日によって色々な表情を見せているのだなぁと思う。

自分で作った置物を生活の中に取り入れるって、
ちょっとだけ心が豊かになりますよ。

彼女にように
陶芸を「作りたい」
と思ったその日に、お家で作れるキットを出品してます。
(ごめんなさい、CMでした)
出品して3日目ほどですが、閲覧数も500近くなり嬉しいです。
(多いのか少ないのかもわかりません笑)
もし、興味あったら、お家陶芸、はじめませんか?

求める人に届けー!



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す