「老化」と「客観性の喪失」

「老化」と「客観性の喪失」

記事
コラム
老化と自分を知るインフォグラフィック.png

「老化」というと、多くの人はまず、

体力が落ちる。
筋力が落ちる。
身体が動かしにくくなる。
記憶力が低下する。

といった「身体や脳の機能の変化」を思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし、長く人の身体と向き合ってきた中で
私はもう一つ気になることがあります。

それは、
「自分自身を客観的に見ることが難しくなる」
ということです。

私はこれを、老化を考えるうえで非常に重要な問題の一つではないかと考えています。

「できるつもり」と「実際にできること」


高齢の方と接していると、時々こんな場面に出会います。

家族は「以前はできていたけれど、今は一人では難しい」
と感じている。
ところが本人は「いや、まだ自分でできる」
と言う。

もちろん、本人が嘘をついているわけではありません。
本人にとっては、本当に「できる」と感じている場合もあります。

ここで問題になるのは、
”自分が思っている自分の能力と、実際の能力との間に差が生じていること”
です。

私は、この「自己認識と現実とのズレ」に、老化を考えるうえで重要な意味があるのではないかと思っています。

老化は「身体」だけに起こるのか


身体の変化は比較的分かりやすいものです。

歩く速度が遅くなった。
階段がつらくなった。
立ち上がるのに時間がかかる。
以前より疲れやすくなった。

しかし「自分自身がどの程度変化しているのか」
を正確に認識することは、意外と難しいものです。

本人は「まだ大丈夫」と思っている。
でも、家族から見ると危なっかしい。

本人は「一人でできる」と思っている。
でも、実際には誰かの手助けが必要になっている。

このような状態になると、本人と周囲との間に少しずつ
認識のズレが生まれてきます。

客観性を失うと、人間関係にも影響する


このズレは、身体能力だけの問題ではありません。

家族は心配して手助けしようとする。
しかし本人は「まだ自分でできる」
「余計なことをしなくていい」と思う。

すると、家族も困ってしまいます。

逆に、家族が先回りして何でもやってしまえば
「自分はまだできるのに、何もさせてもらえない」
という不満につながることもあります。

こうして、本人の認識と周囲の認識との間に溝ができていく。
そして、その溝が大きくなると、

会話が減る。
外出が減る。
人と会わなくなる。
身体を動かす機会も減る。

ということにつながる可能性があります。

孤立は「活動」を奪ってしまう


人間は、日常生活の中で非常に多くの刺激を受けています。

歩く。
人と話す。
買い物をする。
料理をする。
仕事をする。
趣味を楽しむ。
誰かと食事をする。

こうした一つひとつの行動が、身体だけでなく
脳や心にも刺激を与えています。

だからこそ、身体活動・会話・社会とのつながり・知的活動を
維持することは、年齢を重ねるうえで重要だと私は考えています。

もし「自分はまだ大丈夫」という認識と現実とのズレによって
周囲との摩擦が生まれ、それが孤立につながってしまえば
『孤立 → 活動量の低下 → 刺激の減少』
という循環が生まれる可能性があります。

もちろん、これだけで認知症になるという単純な話ではありません。

認知機能の低下には、さまざまな病気や身体的・心理的・
社会的要因が関係します。

ここで述べているのは、あくまでも私自身の臨床経験から
感じている一つの考察です。

「できないこと」を認めることは、負けではない


では、どうすればいいのでしょうか。

私は「今の自分を客観的に知ること」
が大切なのではないかと思っています。

以前はできたことが、今はできない。
それは決して恥ずかしいことではありません。
年齢を重ねれば、誰にでも起こることです。

大切なのは「できなくなった」という事実だけを
見ることではありません。
そのうえで「では、今の自分には何ができるのか?」
と考えることです。

できることは、自分で続ける。

難しくなったことは、必要なら誰かに助けてもらう。
そして、まだできることを大切にする。

これは「諦める」ということとは、まったく違います。

「助けてもらう」ことも、客観性の一つ


私は、誰かに助けてもらうことを「できなくなった証拠」
だとは考えていません。

むしろ「ここは自分では難しい」と認識できることも、
自分自身を客観的に見る力の一つだと思っています。

できないことを認める。
必要なときに助けを求める。
その一方で、自分でできることは続ける。

このバランスが大切なのではないでしょうか。

アクセプト・エイジングという考え方


ここで、私が提唱している「アクセプト・エイジング」という
考え方につながります。

アクセプト・エイジングは
「老化を受け入れて、何もせず諦める」
という意味ではありません。

むしろ
「今の自分を客観的に知ること」
から始まります。

今、自分は何ができるのか。
何が難しくなっているのか。
以前と比べて何が変わったのか。
そして、これから何を維持し、何を改善していけばいいのか。

それを冷静に考える。

私は、それが「老化と向き合う」ということなのではないかと思っています。

老化とは、「自分を知ること」でもある


老化は避けることのできない自然な変化です。
だからこそ「若い頃の自分」と現在の自分を比較して、
「できなくなった」と嘆くだけではなく
「今の自分はどうなのか」を知ることが大切です。

身体の状態。
体力。
筋力。
生活能力。
人とのつながり。
そして、自分自身に対する認識。

これらを客観的に見つめる。
そのうえで

できることは続ける。
必要なら助けてもらう。
そして、できる限り人とのつながりや活動を維持する。

私は、これこそが「アクセプト・エイジング」の一つの形なのではないか
と考えています。

「老化を受け入れる」とは、諦めることではない


老化を受け入れることは、
「もう年だから仕方がない」
と諦めることではありません。

むしろ「今の自分を正しく知ること」です。

自分を過大評価しない。
必要以上に過小評価もしない。

今の自分を客観的に見て
「できること」と「できないこと」を知る。

そして、その現実に合わせて生活を組み立てていく。

私は「老化を受け入れること」と「自分を諦めること」は
まったく違うと思っています。

老化するからこそ、自分を知る。
自分を知るからこそ、必要な助けを受けられる。
助けを受けるからこそ、人とのつながりを保てる。
人とのつながりがあるからこそ、活動を続けられる。

そんな循環をつくることが、これからの「老い方」を考えるうえで
とても大切なのではないでしょうか。


※本稿は、私自身の臨床経験や日頃の観察から考えた仮説・概念です。「客観性の喪失」が認知症を引き起こすという医学的な因果関係を示すものではありません。また、自己認識の低下そのものが、特定の疾患などによって生じる場合もあります。ここでは、明らかな疾患とは別に、老化との向き合い方という観点から考察しています。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す