なぜ「自分が我慢する」が一番ラクな選択肢になってしまうのか?

なぜ「自分が我慢する」が一番ラクな選択肢になってしまうのか?

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「本当はちょっと違うんだけどな」
「本当は、私もこうしたいんだけどな」

そう思っていても、

「いいよ、合わせるね」
「私がやっておくよ」

と、つい自分が引いてしまう。

「揉めるくらいなら、私が我慢すればいいか」

そんな選び方が、いつの間にか自分の中の“自動ブレーキ”みたいになっていることってありませんか?


■ 我慢する方が「ラク」なこともある

我慢というと、苦しいものに聞こえます。

でも、その瞬間だけを見れば、
自分の気持ちを伝えるより、我慢する方がラクなこともあります。

「言ったら空気が悪くなるかも」
「相手を嫌な気持ちにさせるかも」
「話し合うのも面倒だな」

そんなことを考えると、
自分が引いた方が、その場は早く収まる。

だから「我慢する」という選択は、
必ずしも「弱いから」でも「優しいから」でもありません。

そのときの自分にとって、
いちばん負担の少ない選択だった、ということもあります。


■ 「一番ラク」のあとに、モヤモヤが残る

ただ、その場は収まっても、

「本当は嫌だった」
「私はこうしたかった」

という気持ちまで、一緒になくなるわけではありません。

そのときは「まあいいか」と思ったのに、
あとからなんとなく引っかかる。

別に大きな不満があるわけじゃない。
でも、なんかモヤモヤする。

そんなときは、
自分の気持ちを置いてきたまま、その場だけを終わらせていたのかもしれません。


■ 自動ブレーキを少しだけゆるめる

だからといって、

「これからは我慢せず、全部言いましょう」

という話でもありません。

あえて言わないこともあるし、
今回は譲ろう、と決めることもあります。

ただ、その前に一度だけ、

「私は本当はどうしたい?」

と、自分にも聞いてみる。

その場では言えなくても、

「本当は嫌だった」
「本当はこっちがよかった」

と、あとからノートに書いておくだけでもいい。

自分が我慢したことよりも、

“何を我慢したのか”

そこを自分だけは知っておく。

それだけでも、
「いつもの我慢」とは少し違ってくる気がします。

「私が我慢すればいい」が浮かんだとき。

その言葉の前にあった自分の気持ちを、
たまには置いていかずに拾ってみてもいいのかもしれません。



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