こんにちは。ご先祖様の声の通訳、水木(mizuki)です。
「先祖の声の通訳って?」と気になった方はプロフィールをご覧ください↓
前回の記事では、
「先祖の声」が届きやすくなるとき
について書きました。
先祖から何かを受け取るとき、
それは必ずしも「声」として聞こえるわけではありません。
言葉だったり。
映像だったり。
感覚だったり。
突然浮かんでくる記憶だったり。
では、そういったものは、普段の生活の中ではどんなふうに現れるのでしょう?
実は、私が「先祖から何か届いているな」と感じるものは、特別な場所や特別な時間だけに起こるわけではありません。
むしろ、
「え?なんで今?」
と思うような、何気ない瞬間にやってくることがあります。
急に、誰かのことを思い出す
例えば、
何年も思い出していなかった人の顔が、突然浮かんでくる。
その人が生前よく言っていた言葉まで、一緒に思い出す。
「なんで今、この人のことを思い出したんだろう?」
そんなことはありませんか?
もちろん、すべてが先祖からのサインだとは思っていません。
私たちの記憶は、日常の中でいろんなものに刺激されて呼び起こされます。
だから、
「思い出した=先祖からのメッセージ」
と決めつける必要はありません。
でも、
「なんだか気になるな」
と思ったなら、そこで少し立ち止まってみる。
私は、そのくらいの距離感がちょうどいいと思っています。
なぜか、同じものが気になる
これも、私が面白いなと思うものの一つです。
なぜか同じ言葉を何度も目にする
同じ場所が気になる。
ある人の名前を何度も見かける。
普段なら気にも留めないものが、妙に目につく。
一回だけなら偶然かもしれません。
でも、それが何度も重なってくると、
「なんでこんなに気になるんだろう?」
と思うことがあります。
私は、こういうものも一度はそのまま受け取ってみます。
すぐに意味を決めるのではなく、
「これ、何なんだろう?」
と眺めてみる。
すると、その先に自分の家族の記憶や、
先祖にまつわる出来事が出てくることがあります。
夢の中に出てくることもある
亡くなった家族や友人が、夢に出てくることもあります。
夢の中で普通に一緒に過ごしていたり、
何かを話していたり、
ただそこにいるだけだったり。
起きたあと、
「なんだかリアルだったな」
と感じることもありますよね。
これも、夢だからすべて先祖からのメッセージ、ということではありません。
夢には自分の記憶や感情もたくさん出てきます。
でも、
「何か印象に残るものがあった」
のなら、その感覚をすぐに消してしまわなくてもいい。
何を言っていたのか。
どんな表情だったのか。
自分はどんな気持ちだったのか。
そんなところを少し覚えておくと、
あとから意味が見えてくることもあります。
実際、面白い話があって、
父方の祖母が生前、わたしの祖父、彼女の亡くなった旦那さんが
枕元に立って、
寒い…寒い…と言ってる夢を見たそうです。
なぜだろうと思ったら、
その時期、お墓をとにかくたくさん水で掃除していたそう。笑
なぜ祖母がたくさん掃除していたのかはわかりませんが、
純粋に、寒かったのか笑
もしくは、お墓にばかりきていないで、
前に進めという意味だったのか、
真相はわかりませんが、
それを祖母が受け取ったことで
彼女の行動が変わったことは事実です。
「なぜか、これを持っていきたい」
物がきっかけになることもあります。
写真。
昔の手紙。
アクセサリー。
時計。
家具。
あるいは、家に昔からある、何気ないもの。
なぜか手放せない。
なぜか気になる。
なぜか、次の世代に残したいと思う。
そういうものの中に、家族の記憶がたくさん詰まっていることがあります。
もちろん、「この物には必ず先祖のメッセージがある」という意味ではありません。
でも、その物をきっかけに、
「そういえば、おばあちゃんがいつもこれを大事にしていたな」
「そういえば、この時計は誰のものだったんだろう?」
と、家族の記憶がよみがえる。
それだけでも、先祖とのつながりを感じるきっかけになります。
逆も然り。
手放せなかったものをある日手放せるようになる。
大事にしてた形見を無くしてしまった。
それも「もう、いいんだよ」という先祖からのメッセージかもしれません。
「偶然」で終わらせなくてもいい
私は、先祖からのサインを探すときに、
「これは絶対に先祖からだ!」
と考える必要はないと思っています。
むしろ、
「偶然かもしれないけど、ちょっと気になる」
くらいでいい。
そのくらいの余白があるほうが、
私は受け取ったものを素直に見ることができます。
なぜなら、
「先祖からのメッセージがほしい」
という気持ちが強すぎると、
自分が望んでいるものを見つけてしまうことがあるから。
だから私は、何かを感じたときほど、
「これは何だろう?」
と、一度そのまま置いてみます。
サインは「答え」ではなく、入り口なのかもしれない
そして、ここが私にとって大切なところです。
先祖から何かを受け取ったとしても、
それがそのまま人生の答えになるわけではありません。
「こうしなさい」
「こっちに行きなさい」
と命令されるものでもない。
むしろ、
「ちょっと立ち止まってみて」
という、小さなきっかけのようなものなのかもしれません。
そこから自分の記憶をたどってみる。
家族の歴史を調べてみる。
誰かに話を聞いてみる。
自分自身の気持ちを見つめてみる。
そうしているうちに、
「もしかして、これを伝えたかったのかな?」
と、少しずつ意味がほどけていく。
私は、先祖からのサインって、そんなものなのかもしれないと思っています。
実は、私たちは「受け取っている」のかもしれない
もしかすると、
「私には先祖の声なんて聞こえない」
と思っている人もいるかもしれません。
でも、もしかしたら、
聞こえていないのではなく、
「声だと認識していない」
だけなのかもしれません。
急に思い出したこと。
なぜか気になること。
ふと浮かんだ言葉。
夢。
懐かしい感覚。
何気ない偶然。
もちろん、それらすべてを先祖からのサインだと考える必要はありません。
でも、
「これは何だろう?」
と立ち止まってみる。
その小さな余白が、
先祖とのつながりを感じるきっかけになることはあると思っています。
私が「通訳」をしている理由
私自身、先祖から受け取るものは、
最初から文章になっているわけではありません。
「石」のような一つの言葉だったり。
悲しい、という感情だったり。
映像だったり。
身体の感覚だったり。
それらがバラバラに届いて、
「これは何を伝えようとしているんだろう?」
と追いかけていくうちに、意味がつながっていきます。
前回お話しした、父と一緒に長野のお墓へ行ったときもそうでした。
最初に来たのは、
「石」
という、たった一つのキーワードでした。
そこから父の記憶につながり、
さらに家族の歴史につながり、
最終的に「なぜ今、このことが伝えられたのか」
というところまで見えてきました。
だから私にとって「通訳」というのは、
何かを一方的に決めつけて伝えることではありません。
小さなサインを受け取り、
そこにある感情や記憶やイメージを一つずつたどりながら、
「何を伝えようとしているのか」を一緒にほどいていくこと。
そんな感覚です。
あなたにも、ありませんか?
もし今まで、
「あの人のことを急に思い出した」
「なぜかこの場所が気になる」
「何度も同じ言葉を目にする」
「夢に出てきた」
「昔の記憶が突然よみがえった」
そんな経験があったなら。
すぐに答えを出さなくても大丈夫です。
ただ、
「なんだろう?」
と、少しだけ立ち止まってみてください。
もしかすると、それはただの偶然かもしれません。
でも、もしかすると、
あなたの中に眠っていた記憶や、
家族から受け継いできたものや、
そして、
あなたがまだ気づいていない「何か」への入り口なのかもしれません。
先祖とのつながりは、
特別な場所に行かなければ感じられないものではなく、
案外、私たちの日常のすぐそばにあるのかもしれません。
私は、そんな小さな「気になる」を一緒に受け取り、
言葉にしていくお手伝いをしています。
先祖の声の通訳、水木(mizuki)