こんにちは。ご先祖様の声の通訳、水木(mizuki)です。
「先祖の声の通訳って?」と気になった方はプロフィールをご覧ください↓
前回の記事では、
私はお墓を「先祖とコミュニケーションをとるためのアンテナ」
のようなものだと書きました。
では、そのアンテナを通して、私たちは一体何を受け取っているのでしょう?
そもそも、
「先祖の声」って、本当に聞こえるの?
今日は、そんなお話をしてみたいと思います。
「声」って、言葉だけじゃない
「先祖の声」と聞くと、
「○○しなさい」
「こうしたほうがいいよ」
と、耳元で誰かの声が聞こえるようなものを想像するかもしれません。
でも、私が感じている「声」は、必ずしもそういうものではありません。
ふっと浮かんでくる言葉。
突然思い出す記憶。
頭の中に浮かぶ映像。
なぜか強く感じる感覚や感情。
理由はわからないけれど、「これは伝えられている気がする」と感じるもの。
そういうものも、私にとっては「声」です。
だから、先祖からのメッセージは、
必ずしも「聞こえる」ものではないのだと思っています。
実際に、こんなふうに感じることがあります
私は、先祖から何かを受け取るとき
いつも同じ形で届くわけではありません。
たとえば、父方のお墓参りに行った時、
お墓を後にした後に、なぜか「石」というキーワードが浮かんできたんです。
石?どんな石?
そう心の中で質問すると、
父が持って運べる大きさの石というイメージが浮かぶんです。
父が持つことが重要だとみたいで、「父が持てる」という部分が
こころの中で強調されます。
『お父さん、おばあちゃんが石っていってるんだけど、
なんか思い出すことある?』
『………でも今、聞いた瞬間思い浮かんだのはね、◯◯ちゃんの石。おばあちゃんがお墓に、これは◯◯ちゃんのための石だからって供えてたんだよね。』
父には実が生まれてすぐなくなったお姉さんがいました。
『なんか、その石も一緒に連れてって欲しいのかも』
『お父さんの手で連れて行って欲しいみたい』
この時、実は二つに分かれてしまったお墓を代々続くお墓に戻すかどうか、
ご先祖様の通訳をしに、長野に父と一緒に訪れていたときでした。
今振り返ると、実際に父が石を持つこと、という一つの意味ではなく、
父の手で=父が先導して、分かれたお墓にいる全員を元の場所に戻して欲しい
そういう意味だったのかなと思います。
また、下記の3つがそろったことも、声がクリアに聴こえて、
父がお墓の移動を決断でき、物事がスムーズに進んだ要因だと思います。
◯父が声を聞く姿勢でいたこと(自分では聞けなくても)
◯ご先祖も伝えたいことがあった
◯わたしが通訳=先祖の声を届ける器としてただそこにいたこと
この3つが重なり、石以外にもすごい情報量の
感情や、意見や、イメージや、感覚がわたしの中に流れてきました。
これは少し濃い例ですが、
日常生活でも、あ、遊びに来たのねと感じる瞬間はたくさんあります。
悩みがある時に、
ふと亡くなった友人の顔といつも言っていた言葉が浮かんできたり。
何気ない瞬間に
普段なら考えないようなことが頭に浮かんできたり。
「なぜ今、このことを思い出したんだろう?」
と思うようなことがあります。
そして、それをこころの中で追っていくと、先祖のことや、
その家族の歴史につながっていく。
もちろん、最初から「これは絶対に先祖からのメッセージだ」とわかるわけではありません。
むしろ、
「なんだろう、これ?」
というところから始まることのほうが多いです。
「自分の思い込み」とどう違うの?
ここは、先祖の声について考えるときに、
私自身も大切にしているところです。
「それって、自分がそう思いたいだけなんじゃない?」
そう思うことも、もちろんあります。
人間なので、自分の願望や不安、記憶が混ざることだってあります。
だから私は、何かを感じたからといって、
それをすぐに「先祖からのメッセージです」と決めつけることはしません。
受け取ったものを一度そのまま置いてみる。
そこから、いろんな角度で見てみる。
自分の思い込みなのか。
自分が本当に感じていることなのか。
それとも、自分の中からは出てきにくい何かが届いているのか。
その違いを丁寧に見ていくことが大切だと思っています。
先祖の声は、「命令」ではない
そして、もう一つ私が大切にしていることがあります。
それは、
先祖の声を、人生の「命令」にしないこと。
「先祖がこう言っているから、絶対にこうしなきゃいけない」
「先祖に言われたから、この道を選ばなきゃいけない」
私は、そういうものではないと思っています。
先祖が何かを伝えてくれたとしても、
最後に自分の人生を選ぶのは、自分。
先祖は、自分の人生を代わりに生きてくれる存在ではありません。
むしろ、長い時間を生きてきた先祖だからこそ、
「あなたはどうしたい?」
と、私たち自身の人生を見守ってくれているのではないかな、と感じることがあります。
先祖の声を「聞く」のではなく、「受け取る」
だから私は、
「先祖の声を聞く」
という言葉より、
「先祖から何かを受け取る」
という感覚のほうが近いのかもしれません。
それは、言葉かもしれない。
感覚かもしれない。
記憶かもしれない。
映像かもしれない。
あるいは、まだ自分では意味のわからない小さな何かかもしれない。
そして、それを人間の言葉として理解できるところまで一緒にほどいていく。
それが、私にとっての「通訳」です。
先祖とのつながりは、特別な人だけのものじゃない
「私には、そんなもの感じられない」
そう思う方もいるかもしれません。
でも、私はそれでいいと思っています。
先祖とのつながりは、
何か特別な能力がないと持てないものではないと思うからです。
お墓で手を合わせる。
写真を眺める。
思い出話をする。
心の中で話しかける。
「ありがとう」と伝える。
そんな小さなことでも、先祖とのつながりを感じる時間になります。
前回の記事で書いたように、お墓はそのための一つの「アンテナ」。
でも、アンテナはお墓だけではありません。
私たちの暮らしの中には、先祖とつながるきっかけがたくさんあります。
あなたは、先祖から何かを受け取ったことがありますか?
もしかすると、
「あのとき、なぜかこう思った」
「あの人のことを急に思い出した」
「なぜかこの場所に行きたくなった」
そんな経験があるかもしれません。
もちろん、それがすべて先祖からのメッセージだとは言い切れません。
でも、もし今まで「気のせいかな」と流していたものがあるのなら、
一度だけ、
「もしこれが、何かを伝えようとしているものだったら?」
と考えてみてもいいのかもしれません。
先祖とのつながりは、もっと静かで、もっと自由なものなのかもしれません。
そして私は、その「声」を一緒に受け取り、言葉にしていくお手伝いができたらと思っています。
先祖の声の通訳、水木(mizuki)