思い返せば、最初の違和感は小3?4?のころだった。
科学館への遠足で、指先で脈を測る体験コーナーがあったときのこと。
液晶画面に波形が揺れていた(液晶ではないな)と思うと——
一一√\/v一一√\/v 一一
一一一一一一一一一一
一一√\/v一一
突然のフラットライン。
昔の機械だから精度はそれなりなのでしょうが、そこはまだ小学生。
「やばい!心臓止まった!?」と当時は大騒ぎしたものだった。
小学4年生のときには、校内マラソン大会前の心電図検査でしっかり
「要検査」の判定が出た。
普通にバスケットボールクラブに入って元気に走り回っていたのに、
である。
しかし、再検査の結果が出る前に引っ越し(逃避行?)をしたため、
結局それが何だったのかは長年の謎となった。(気にもしていなかった)
※ちなみに今でも心電図検査をすると100%引っかかる項目があるので、
おそらく当時から芽はあったのだろう。
その後も、中学ではハンドボール、高校ではインドア派を挟みつつ、
大学で再びハンドボールに打ち込む日々。体のほうは「全然大丈夫」
何事もなく月日は流れ、友人・M君の結婚式でのこと。
余興で「かき氷の一気食い」に挑戦した直後、突如として異変が起きた。
ドックン、ドックン、ドックン……!
何だこのリズムは……『汎用人型決戦兵器』の戦闘テーマ
(デ〜ンデ〜ン デ〜ンデンデン デ〜ンデン♪)じゃないか!?
ここまで激しい鼓動は初めてだった。
丸2日、胸の中で戦闘テーマが鳴り響き、
「流石にマズいかも……明日病院に行こう」と決意した静青年。
しかし、病院へ行こうとすると——
「ハイ、ショウジョウハオサマッテイマス…」
身体が空気を読んだのか、ケロッと元通りに。
そんな「戦闘テーマ発動→収まる」のイタチごっこを繰り返しながら、
数十年が過ぎていった。
そして、ついにその日がやってきた。
夜勤中、久々に胸の中で鳴り響くあの戦闘テーマ。
「朝まで続いていたら今度こそ病院に行こう」と心に決め、
その足で町の診療所を受診。24時間ホルター心電図を
装着することになった。
その夜も24時ごろまで戦闘テーマは止まず、
翌朝、装置を外して後日の検査結果発表へ。
診断は、ごく普通に(?)「不整脈」。
ひとまず紹介状をもらい、街一番の大病院へと向かった。
当時は不整脈ってそんな駄目だとは思わなかった。
一歩間違えたら○ぬよ…と。
大病院の診察室に入るやいなや、医師が開口一番。
医師:「で、いつ手術します?」
僕:(イヤ、カゾクトソウダンサセテクレマセンカ…?)
後日、改めて家族と一緒に通院すると、今度はこんなやり取りが。
医師:「手術するんですか?」
僕:「イヤ、アナタガイツヤルノッテキイテキタンデスヨネ?」
挙げ句の果には、医師はこう言い放った。
医師:「うちでは手術できないので、大学病院を紹介しますね」
僕:(ハジメカラソコショウカイシテクダサイ……)
「この地域では一番上手な先生だから安心してください」という
謎の言葉を添えられつつ、まぁやるなら早いほうがいいらしい。
医療の世界では50代はまだ若いらしく体力がある内にと
薦められた。
ま、緊急性もなければ予防的措置の面が強い今回の手術です。
そして紹介状と予約票を受け取り帰宅したのだった。
後日、大学病院で手術前の説明と検査を受けた。
予定していた先生なのですが、体調不良で暫くお休みになりましたので
替わりに私が担当させたいただきます。………と。
さらに、そのお休みの先生と同じ研究室?グループ?なので
安心してください。
(ナニヲアンシンスルンデスカ?ベツニシンパイシテマセンヨ。
ソノコトバイガイ…)
造影剤を使った検査はこの時だっただろうか。
「おもらししたような感覚になるかもです〜」
「おもらししたような感覚になりました」
こうして無事に検査を終え、いよいよ入院の日を迎えることになるのだが——
それはまた、後日。