「何かあった?」と聞かれて、
本当は話したいことがあるのに、
「ううん、大丈夫」と答えてしまう。
話そうと思っていたはずなのに、いざその人を前にすると言葉が出てこない。
「こんなことを言ったら、どう思われるだろう」
そう考えているうちに、結局いつもと同じ話をして終わる。
本音を話せないのは、単純に話したくないからとは限りません。
話したい気持ちより、話すことへの怖さの方が大きくなってしまうこともあります。
「本音を話すのが怖い」の中には、いくつもの怖さがある
「本音を話すのが怖い」
同じ言葉でも、その中にある気持ちは人によって違います。
「そんなことで悩んでいるの?」と思われるのが怖い。
否定されるのが怖い。
弱い人だと思われたくない。
相手を困らせたくない。
知られたあと、今までの関係が変わってしまうのが怖い。
一度話し始めたら、抑えていたものが全部出てしまいそうで怖い。
どれか一つかもしれません。
いくつもの気持ちが重なっていることもあるでしょう。
だから「人を信じられない」と思っていても、それだけではまだ、自分が何を怖がっているのか分からないことがあります。
同じ「話すのが怖い」でも、何を怖がっているかによって、心の中で起きていることは少しずつ違います。
「どうすれば話せる?」より先に考えてみたいこと
本音を話せないと、
「どうすれば人を信じられるんだろう」
「どうしたら本音を言えるようになるんだろう」
と、話せるようになる方法を探したくなるかもしれません。
でも、その前に一つ、考えてみたいことがあります。
「私は、話したら何が起こることを怖がっているんだろう」
否定されること?
分かってもらえないこと?
相手との関係が変わること?
自分の弱いところを知られること?
もしかすると「話せない」という行動だけを変えようとするより、その奥にある怖さを見つめた方が、自分の気持ちを理解できることがあります。
「本音を話すのが怖い」とき、まず考えたいのは「どうすれば話せるか」ではなく「話したら何が起こることを怖がっているのか」なのかもしれません。
怖さがわかると、少しだけ整理できる
「私は誰も信じられない」
そう考えると、自分自身に大きな問題があるように感じてしまうことがあります。
でも、心の中をもう少し細かく見てみたら、
「私は、この悩みを否定されるのが怖い」
「このことを知られて、相手との関係が変わるのが怖い」
だったとしたら、少し見え方が変わります。
怖さそのものが消えたわけではありません。
人を信じられるようになったわけでもありません。
それでも、
何が怖いのか分からない状態と、何を怖がっているのか少し分かった状態は、同じではありません。
「誰も信じられない」という大きな苦しさを、無理に消そうとするのではなく、
「私は今、何が怖いんだろう」と一つずつ見ていく。
それも、心を整理することの一つだと私は考えています。
本音は「全部話す」か「全部隠す」かの二択ではない
何が怖いのか少し分かったからといって、無理に本音を話す必要はありません。
本音を話すことは、心の中にあるものを全部さらけ出すことでもないと思います。
何を話すのか。
どこまで話すのか。
誰に話すのか。
それは、自分で決めていいことです。
たとえば「最近、ちょっとしんどいんだ」そこまでは言える。
でも、
なぜしんどいのか。
本当は何があったのか。
そこまでは、まだ話したくない。
そんなときは、そこで止めてもいい。
人を信頼することも、本音を話すことも、0か100かで決めなくてもいい。
「全部話せないから、誰のことも信じていない」と決めつけなくてもいいのだと思います。
まず、自分の気持ちを自分で知るところから
誰かに本音を話すことが怖いとき、自分自身もまだ、何を感じているのかうまく言葉にできていないことがあります。
「つらい」
「怖い」
「誰も信じられない」
その言葉の中に、どんな気持ちが混ざっているのか。
何が一番苦しいのか。
何を本当は分かってほしいのか。
すぐに答えが出なくても、一つずつ見ていくことで、自分の心の現在地が少しずつ見えてくることがあります。
誰かに相談することは、無理に本音を引き出してもらうことでも、
「もっと人を信じた方がいい」
と説得してもらうことでもありません。
うまく説明できない気持ちを、話せるところから言葉にしてみる。
自分でもまだ分からないところは、一緒に見つめてみる。
私は、そんな時間にも意味があると考えています。
人に話したいことがあっても、何をどう話せばいいのか分からない。自分でも気持ちを整理しきれない。
そんな方は、「心の整理・不安・モヤモヤ|心の現在地を映す航海図をお届けします」で、どのようなことを一緒に整理できるのかをご覧いただけます。