『挨拶くらいしてほしい』は、なぜ伝わらない?

『挨拶くらいしてほしい』は、なぜ伝わらない?

記事
学び
― 介護職員と管理者で違う“仕事の境界線”を心理・組織から考える ―

介護施設で、こんな場面はないでしょうか。

ボランティアの方が玄関に来ている。
業者さんが誰かを探している。
ご家族が廊下で立ち止まっている。
面接に来た人が、不安そうに受付の近くにいる。

その横を職員が通っていく。

気づいていないわけではなさそうなのに、声をかけない。

管理者としては、

「こんにちは、くらい言ってほしい」
「困っている人がいたら声をかけてほしい」
「自分の施設なのだから、もう少し周囲を見てほしい」

と思うことがあります。

そして何度か続くと、

「どうして、こんな当たり前のことが伝わらないのだろう?」

と思ってしまうこともあるかもしれません。

しかし、これは本当に「挨拶ができない職員」の問題だけなのでしょうか。

今回は、管理者には“当たり前”に見えることが、なぜ職員には“自分の仕事ではない”ように見えることがあるのか。

心理学や組織論などの視点も交えながら、管理者側・介護職員側の両方から考えてみます。

管理者と職員では「自分の仕事」の範囲が違う?


管理者にとって施設の仕事とは、入居者へのケアだけではありません。

ご家族、業者、ボランティア、見学者、面接者、地域の方などとの関係も含めて、施設全体を見ています。

一方、介護職員に、

「あなたの仕事は何ですか?」

と聞けば、

「入居者・利用者の生活を支援すること」

が中心になるのは自然なことです。

これは間違いではありません。

むしろ、介護職として利用者を中心に考えているからこその認識ともいえます。

ただ、ここに管理者と職員の「仕事の境界線」の違いが生まれることがあります。

同じ来客でも、見えているものが違う

たとえば、業者さんが玄関にいたとします。

管理者には、

「施設に来てくださった人」

と見える。

一方、職員には、

「事務所に用事がある人」

と見えているかもしれません。

面接に来た方も同じです。

管理者にとっては、

「これから一緒に働くかもしれない大切な人」

ですが、

職員には、

「管理者に会いに来た人」

と見えているかもしれません。

同じ人を見ていても、その人をどう意味づけているかが違うのです。

だから管理者が、

「来客がいたら、ちゃんと対応してください」

と伝えても、

職員には、

「事務所の仕事までやらなければならないの?」

と受け取られることがあります。

「できない」のではなく「自分の役割だと思っていない」


組織心理学には、「役割曖昧性(role ambiguity)」という考え方があります。

簡単にいえば、

「自分が何を、どこまで、どのように行うことを期待されているのかが明確でない状態」

です。

ここで大切なのは、

「できるかどうか」と「自分がやることだと思っているか」は違う

ということです。

「こんにちは」と言うことはできる。

「何かご用でしょうか?」と尋ねることもできる。

それでも行動しないのであれば、能力や礼儀の問題だけではなく、

「これは自分が対応する場面なのか?」

が、組織の中で十分に共有されていない可能性があります。

管理者にとって「当然」でも、それが職員の役割として明確になっているとは限りません。

介護職側にも、動かない理由がある

ここで、少し介護職員側から見てみます。

来客に気づいた職員は、こんなことを考えているかもしれません。

「今、利用者から目を離していいの?」

「誰に、どこまで説明していいのか分からない」

「勝手なことを答えて、あとで怒られたくない」

「担当者につないだ方が間違いがない」

「来客対応まで自分の仕事なの?」

「今でも忙しいのに、また仕事が増えるの?」

さらに、過去に、

「それはあなたが答えることじゃない」

「分からないことを勝手に説明しないで」

と注意された経験があれば、

「分からないことには関わらない方が安全」

と考えるようになっていても不思議ではありません。

また、周囲に何人も職員がいると、

「誰かが対応するだろう」

「事務所の人が気づくだろう」

と考えることもあります。

これは心理学で研究されてきた「責任の分散」などの考え方とも重なる部分があります。

だからこそ、こうした行動を単純に「やる気がない」「気が利かない」「社会人としての常識がない」と片づけてしまうと、本当の原因を見失ってしまうことがあります。

 管理者は「礼儀」、職員は「業務範囲」の話をしている


ここが、今回の記事で特にお伝えしたいところです。

管理者は、

「社会人として、挨拶くらいするのは当然でしょう」

という「礼儀」の話をしている。

ところが職員は、

「それは私が対応する仕事なの?」

という「業務範囲」の話として受け取っている。

同じ「挨拶」の話をしているようで、実は違う話をしている可能性があります。


だから、

「ちゃんと挨拶してください」

「来客には声をかけてください」

と繰り返しても、なかなか行動が変わらないことがあります。

管理者が伝えたいのは、

「受付業務をしてください」

ではなく、

「この施設にいる一人の職業人として、来てくださった人を迎えてほしい」

ということなのかもしれません。

そこまで言葉にして初めて、管理者が考える「挨拶の意味」が職員に伝わります。

面接者への「こんにちは」は採用活動でもある

特に管理者として考えておきたいのが、面接に来た方への対応です。

面接者は、管理者だけを見ているわけではありません。


玄関に入ったとき、

「こんにちは」

と職員から声をかけられた。

困っていると、

「面接ですか?確認しますね」

と言ってもらえた。

廊下ですれ違った職員も自然に挨拶してくれた。

こうした小さな体験から、

「職員同士の雰囲気が良さそうだな」

「ここなら働けるかもしれない」

と感じることもあるでしょう。

反対に、誰にも声をかけられず、何人もの職員が無言で横を通っていく。

そのあと管理者が、

「うちは職員関係の良い施設です」

と説明しても、本人が実際に見た光景との違いを感じるかもしれません。

来客への挨拶は、家族との信頼、採用、地域との関係、そして施設全体の印象にもつながる行動です。

 「挨拶しなさい」ではなく、仕事の境界線を共有する

では、管理者はどうすればよいのでしょうか。

私は、接遇研修を増やす前に、

「この施設では、どこまでを全職員の仕事と考えるのか」

を具体的に共有することが大切だと思います。

たとえば、

気づく → 挨拶する → 困っていたら声をかける → 分からなければ担当者につなぐ


ここまでを、

「この施設では全職員の仕事です」

と共有します。

専門外のことまで答える必要はありません。

ご家族に自分の判断だけで説明する必要もありません。

業者との交渉をする必要もありません。

面接者に詳しい説明をする必要もありません。

分からなければ、

「確認しますので、少々お待ちください」

でいい。

ここまで明確にすると、職員にも「何を求められているのか」「どこまでやればいいのか」が伝わりやすくなります。

そして、もう一つ大切なのが、管理者や主任、ベテラン職員自身の行動です。

新人に、

「来客には挨拶しましょう」

と教えていても、先輩職員が業者さんの横を無言で通り過ぎていれば、新人はそちらから職場の「本当のルール」を学びます。

人は、書かれたルールだけでなく、

「この職場では、みんなが実際に何をしているのか」

からも学びます。

「当たり前だから分かるだろう」ではなく、管理者自身が行動で示し、組織として共有することが必要なのだと思います。

「こんにちは」の一言から、施設の文化が見えてくる

管理者をしていると、

「そこまで説明しないといけないの?」

と思うことがあります。

挨拶、電話、来客対応、家族への声かけ。

一つひとつは難しいことではありません。

しかし、

「簡単なこと」と「組織の共通認識になっていること」は別です。


管理者にとっての「当たり前」が、職員にとっても同じ「当たり前」とは限りません。

だから、

「なぜやらないの?」

だけではなく、

「この職員は、どこまでを自分の仕事だと思っているのだろう?」

と考えてみる。

そうすると、

「職員の意識を変えなければ」

だけではなく、

「管理者として、仕事の意味や境界線をもっと具体的に伝えられないだろうか」

という別の解決策が見えてきます。

「こんにちは」は、とても小さな行動です。

でも、その一言には、

その施設が、人をどのように迎える組織なのか

が表れているのかもしれません。

参考文献・参考資料

Abramis, D. J. (1994). Work Role Ambiguity, Job Satisfaction, and Job Performance: Meta-Analyses and Review. Psychological Reports, 75, 1411–1433.

Tubre, T. C., & Collins, J. M. (2000). Jackson and Schuler (1985) Revisited: A Meta-Analysis of the Relationships Between Role Ambiguity, Role Conflict, and Job Performance. Journal of Management, 26(1), 155–169.

Nancarrow, S. A., & Borthwick, A. M. (2005). Dynamic professional boundaries in the healthcare workforce. Sociology of Health & Illness, 27(7), 897–919.

※本記事は、組織心理学・職業社会学などの知見を介護現場の具体的な場面に当てはめて考察したものです。すべての介護職員・施設に一律に当てはまるものではありません。

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