バズったのに満たされなかった理由と、価値観に合う発信にたどり着くまで

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発信を続けたら、生活が豊かになっていった。それは本当のことです。

でも正直に言うと——バズっている最中が、いちばん苦しかったです。

案件をこなすうちに、気づいたら「投稿を作る」じゃなく「投稿をこなす」になっていました。

再生数が伸びれば安心する。でも落ちると「自分には価値がないんじゃないか」とひどく落ち込む。フォロワーは増えている。案件もある。なのに、なぜか満たされない。

いつから、数字でしか自分のアカウントの価値を測れなくなってしまったんだろう。

楽しくて始めたはずの発信が、いつの間にか楽しくなくなっていた。

■ 発信の軸が消えていくとき
「いつから投稿を"こなす"ようになってしまったんだろう」

ふと、そう思った日がありました。

300万再生。100万再生超えも複数本。周りから見れば、順調だったと思います。案件の依頼も増えて、「ああ、私は求められているんだ」と感じていました。

でも気づかないうちに、私の頭の中はこんな言葉でいっぱいになっていました。

「この投稿、どれくらい伸びるかな」
「非フォロワーにどれだけ届くかな」

バズを経験したことで、もっと多くの人に届けたくなった。それ自体は悪いことじゃない。でも、通りすがりの非フォロワーばかりを意識するようになって、いつも見てくれているフォロワーさんへの目線が薄れていたんです。

「ここ行ってみたい!」「この景色を誰かに伝えたい!」

そんな純粋な気持ちよりも先に、「伸びるかな」が浮かぶようになっていた。

バズって、案件ももらえるようになった。それなのに、発信が楽しくなくなっていた。

これが、バズっても満たされなかった理由でした。

■ もう一度、原点に戻ってみた
発信をやめることは、簡単でした。

でも、私は意地でもしがみつきたかった。なぜなら、ここまで夢中になれることが、これまでの人生になかったからです。

撮影も、編集も楽しい。フォロワーさんの反応が嬉しい。

だからこそ、もう一度立ち止まることにしました。

「自分は何を伝えたいのか」
「フォロワーにどんな価値を届けたいのか」

そう自分に問いかけたとき、ひとつの記憶がよみがえりました。

私は昔から、アルバムや日記を作るのが大好きでした。彼との記念日には手作りアルバムを作って、家族との旅行も、友達の誕生日も、全部写真と言葉で残してきた。ホームビデオを撮って編集することもありました。

そしてなにより、それを読み返す時間が、たまらなく好きだったんです。

「あ——私は、特別な瞬間を残して、その時間に浸るのが好きなんだ」

その瞬間、すっと腑に落ちました。

同じ場所に行くことはできなくても、旅先で感じた感情なら共有できる。それが私にできることだ、と。

試しにこんなストーリーを投稿してみました。

「いろんな場所で心が動いた瞬間を残しています。忙しい毎日の中で忘れがちな感覚を、一緒に思い出せたら嬉しいです。一緒に旅しませんか?」

するとDMが届きました。

「環境的にあまりお出かけできないのですが、KINOさんの投稿を見て、お出かけした気持ちになっています」

その言葉を読んだとき、胸の奥がじんわりと熱くなりました。

ああ、これだ。私はこれがやりたかったんだ。

私の発信の軸は「旅先で感じた気持ちをシェアして、フォロワーさんにも楽しんでもらうこと」。ようやく、自分の言葉で言えるようになりました。

■ 軸が戻ったら、気持ちが変わった
発信の軸が定まってからは、少しずつ変わっていきました。

バズに執着していたころの私は、動画の尺を短くするのが怖くて、冒頭も少し釣りっぽい構成にしていました。投稿後はインサイトが気になって何度もスマホを開いて、数字が伸びなければひどく落ち込む——そんな繰り返しでした。

軸を取り戻してからは、反応が思ったより良くなくても「今回はたまたま届く人に届かなかっただけ」と思えるようになりました。

数字だけで評価するのではなく、自分のアカウントそのものに愛着のようなものが生まれてきた感じがします。

他者評価はいったん脇に置いて、自分が伝えたいものを発信する。そして、どんなに少数でも共感してくれる人がいる幸せを噛みしめる。

これが、発信の本来のあるべき姿なのかもしれない——今はそう思っています。

■ 数字と価値観、どうバランスを取るか
ここで正直に言うと、数字を無視していいわけではありません。

再生数・フォロワー数・保存率——これらはアカウントが成長しているかどうかを測る大切な指標です。数字が取れなければ、そもそも誰にも届かない。届けるための仕組みは、絶対に必要です。

でも、数字を「目的」にしてしまうと、必ずどこかで苦しくなります。

私がそうでした。再生数が落ちるたびに「自分には価値がないんじゃないか」と感じるようになっていた。数字が自分の存在価値と直結してしまっていたんです。

私が今思うバランスの取り方は、こうです。

数字は「届いているかどうかを確認するための道具」。
価値観は「何を届けるかを決めるための軸」。

この2つは、どちらかを捨てるものじゃなくて、役割が違うものです。

数字が落ちたとき、「どうすれば届くか」を考えるのは正しい。でも「自分の価値観がおかしいのか」と疑い始めたら、それは間違った方向に向かっているサインです。

発信を長く続けていると、必ずこの境界線が曖昧になる瞬間があります。「もっと伸びる内容にしなきゃ」という焦りが、じわじわと「本当に届けたいもの」を侵食していく。

そのとき立ち戻れる軸を、最初から持っておくこと。それが、長く発信を続けられる人と、途中で苦しくなってやめてしまう人の、いちばん大きな差だと思っています。

■ PR案件との向き合い方も変わった
発信の軸を取り戻してからは、PR案件との向き合い方も変わりました。

価値観を見失っていたころは、PRの依頼が来るたびに高揚感があって、数をこなすことに必死でした。

でも今は、「依頼が来たサービスや施設に、心からときめくか」を基準にしています。

私自身が熱量を持って投稿を作れるか。フォロワーさんが喜んでくれるか。それを第一に考えるようにしました。

すると不思議なことに、PR投稿でも再生数が落ちなくなったんです。保存も増えた。きっと、私の気持ちがフォロワーさんに伝わっているんだと思います。

「数字のための発信」ではなく「自分の感性に沿った発信」をした方が、長期的には数字にも返ってくる——そういうことなのかもしれません。

■ もうひとつの選択肢がある
コンサルや講座で教わるような「再生数を取るための型」は確かに存在します。毎日投稿、地域密着、バズるネタの量産——それで結果を出している人がいるのも事実です。

でも、その型に自分を合わせ続けることが、発信を楽しくなくする原因になることもある。私がまさにそうでした。

バズを追いかけるほど、発信の軸が消えていった。型に自分を合わせるほど、発信が義務になっていった。

私が伝えたいのは、もうひとつの選択肢があるということです。

地域を絞らなくていい。毎日投稿しなくていい。自分のライフスタイルに合った範囲で、楽しいと思えることだけを続ける——そのスタイルでも、ちゃんと結果は出ます。

自分らしさを手放さなくていい。それが、この章で一番伝えたかったことです。

■ 最後に
もしあなたが

何を発信すればいいかわからない
数字に振り回されて疲れている
自分らしい、楽しい発信を続けたい
そう感じているなら、まず見直すべきは「ジャンル選定」かもしれません。

どんなに正しい仕組みを使っても、自分の価値観に合っていないジャンルで発信し続ければ、必ずどこかで苦しくなります。私がそうでした。

逆に、価値観に合ったジャンルを選べれば、数字が伸びない時期があっても発信を続けられる理由が自分の中にある。

価値観を起点にしたジャンルの選び方を一緒に考えましょう!
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