玄征です。
「開運のために色々やっているのに、手応えがない」
このご相談を、よくいただきます。
神社に参拝した。財布を新調した。部屋を片付けた。パワーストーンを買った。開運の日に新しいことを始めた。
どれも間違っていません。ただ、順序が抜けている場合があります。
◆陰陽道の「瀉」と「補」
陰陽道には、瀉(しゃ)と補(ほ)という考え方があります。
瀉は、余分なものを出すこと。濁りを落とすこと。
補は、足りないものを入れること。良い気を導くこと。
この二つは、必ず瀉が先です。順番が決まっています。
理由は単純です。濁った水の入った器に清水を注いでも、澄まないからです。
いくら良いものを注いでも、中身が濁っていれば、混ざって濁ったままになります。むしろ量が増えるぶん、溢れてこぼれる。
開運行動の多くは「補」にあたります。良い気を入れる行為です。
つまり、器の中身を出さずに、注ぐことだけをしている状態が起こりえます。
◆入れる場所が、空いていない
具体的に考えてみます。
財布を新しくする。これは金運を招く「補」の行為です。ですが、その財布の中にレシートを詰め込んだままなら、入る隙間がありません。
部屋を片付ける。これは「瀉」に見えますが、多くの場合は物を捨てずに整理しているだけです。総量が減っていなければ、空きは生まれません。
神社に参拝する。良い気を受け取る行為ですが、受け取る側が詰まっていれば、通り抜けていくだけです。
開運行動が効かないのではありません。入る場所がないのです。
◆厄とは、災いではなく「澱」
ここで、厄について整理しておきます。
厄という言葉には、災難や不幸というイメージがあります。ですが陰陽道における厄は、もう少し即物的な概念です。
気の流れに溜まった澱(おり)。
水が流れ続けていれば澱みませんが、滞れば底に沈殿します。人の気も同じです。日々の生活の中で、少しずつ溜まります。
人から向けられた強い感情
場所や土地から受けた気
方位を犯したことによる障り
自分の中で処理しきれなかった感情
これらは一つひとつは小さくても、蓄積すると流れを濁らせます。
そして澱の厄介なところは、溜まっている自覚がないことです。少しずつ濁るので、濁った状態が普通になってしまう。
◆こんな状態が続いていたら
もし次のような状態が続いているなら、澱が溜まっている可能性があります。
理由の分からない不調が続く
小さな不運が重なる。物がよく壊れる
何をしても噛み合わない感覚がある
開運行動を試したが、手応えがなかった
特に最後の一つは、判断材料になります。やることをやったのに効かない時は、入れる側ではなく、出す側に原因があると考えるのが自然です。
◆自分でできる「瀉」
祈祷が必要かどうかは、澱の量によります。軽ければ、日常の行為で十分落ちます。
最も簡単なのは、一日一つ、物を捨てることです。
何でも構いません。使っていない物、なんとなく取ってある物。一つ手放すと、気の通り道が一つ空きます。
派手さはありませんが、これが最も確実です。
もう一つは、水回りを清めること。陰陽五行では、水は流す気です。水回りが滞っていると、家全体の気の排出が止まります。
三日続けると、変化を感じる方が多くいらっしゃいます。
◆それでも動かない時
日常の対処で足りない場合があります。
長年蓄積している。人から強い念を受けた。方位を犯している。こうしたケースでは、自力で落とすには限界があります。
その時に、祓いの祈祷という手段があります。
ただ、最初から祈祷を受ける必要はありません。まず自分でできることを試して、それでも動かない時に検討すれば十分です。
順序を守れば、多くの場合はそこまで至りません。
◆開運は、二段階です
まとめます。
第一段階。出す。溜まった澱を落とす。物を捨て、水回りを清め、必要なら祓う。
第二段階。入れる。参拝する、財布を新調する、良い日に始める。
この順序でなければ、第二段階の効果は出ません。
多くの方が第二段階だけを繰り返して、「開運は効かない」と結論づけてしまいます。もったいないことです。効かないのではなく、まだ始まっていないだけです。
まず、出してください。入れるのは、それからです。
厄が溜まっているかどうか、ご自身では判断が難しいこともあります。気になる方は、視させていただきます。
視た結果、澱が薄ければ「薄いです」とお伝えします。それも含めて鑑定です。不安を煽って祈祷を勧めることは、いたしません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
玄征