手を抜かない、最後まで納得いくまでやる
――それは「頑張った」ということなのか
仕事をしていると、
「頑張るのは当たり前でしょ」
「評価されるのは、結局結果だよね」
そんな言葉を、よく耳にします。
その通りだと思いますし、
自分自身もそういう環境で仕事をしてきました。
ただ、ふと立ち止まったとき、
こんな疑問が浮かぶことがあります。
手を抜かず、
最後まで納得いくまでやってきたけれど、
それは「頑張った」と言っていいのだろうか。
自分では「当たり前」だと思っていたこと
振り返ってみると、
自分が大事にしてきたのは、とてもシンプルなことでした。
手を抜かない
雑にしない
途中で投げない
自分が納得できるところまで考える
どれも特別なことではなく、
「仕事なんだから、そうするものだろう」
という感覚でした。
だからこそ、
それを「頑張っている」と意識したことは、
あまりなかったように思います。
頑張っている実感が持ちにくい理由
今思うと、
このやり方は、頑張っている実感を持ちにくい。
誰かに見せるための頑張りではない
苦労をアピールするものでもない
数字ですぐに返ってくるわけでもない
ただ淡々と、
自分で決めた基準を下げない。
だから、
「これって、意味があったのかな」
「ちゃんと評価されるようなことだったのかな」
そんなふうに感じることもありました。
それでも、やめなかった理由
結果が出ない時期もありました。
やり方が合っているのか分からないこともあった。
それでも、
手を抜く、という選択はしなかった。
理由を考えると、
評価のため、というよりも、
自分が自分の仕事を、
雑に扱いたくなかった
それだけだったように思います。
納得できないまま終わらせることが、
自分にとって一番しんどかった。
後になって分かったこと
後になって気づいたのは、
この「頑張り」は、すぐに評価されなくても、
信頼として残っていた
困ったときに声をかけられる
任される場面につながっていた
ということです。
目に見える結果ではなく、
仕事の姿勢として、ゆっくり効いていた。
それは、自分なりの「頑張り」だった
今なら、こう言える気がします。
手を抜かず、
最後まで納得いくまでやる。
状況に関係なく、自分の基準を下げなかった。
それが、
自分にとっての「頑張る」だったのだと思います。
派手ではないし、
分かりやすく褒められるものでもない。
それでも、
自分を支えていた芯ではありました。
おわりに
結果がすべて、という考え方は正しい。
でも、結果が出ていない時間を
どう過ごしていたかは、
後から静かに効いてくることがある。
そう信じられるようになったのは、
手を抜かずに続けてきた時間があったからかもしれません。
手を抜かず、最後まで納得いくまでやる。
それを続けてきたこと自体が、
自分なりの「頑張り」だったのだと思う。