心配なことがあると、ついそのことばかり考えてしまう。
「もし、こんなことになったらどうしよう」
「また同じことが起きたら?」
「もっと悪くなったらどうしよう」
考えても答えが出ないのに、また同じことを考えている。
そんな経験はありませんか?
私たちは不安を感じると、何とかしようと一生懸命考えます。
悪いことが起きないように。
困ったことにならないように。
安心できる答えを見つけようとして。
けれど、考えれば考えるほど心配が膨らみ、いつの間にか同じところをぐるぐる回っていることがあります。
まるで、出口の見えない袋小路に入り込んでしまったように。
私自身、長い間そんな思考を繰り返してきました。
そして最近、あることに気づいたのです。
不安なことばかり考えているとき、私たちは「起きてほしくないこと」に意識を向け続けているのではないか。
だとしたら、その意識の向かう方向を変えてみたらどうだろう。
そんな小さな発想から、思いがけない発見がありました。
不安で見えなくなるもの
不安なとき、私たちの意識は自然と心配なことに向かいます。
「どうしてこうなったんだろう」
「また何か起きるかもしれない」
「何か見落としていることはないだろうか」
そんな問いかけを繰り返しているうちに、頭の中は心配なことでいっぱいになってしまいます。
私もそうでした。
一生懸命考えているのだから、自分で考える方向を決めているつもりでした。
でも、振り返ってみると、実は不安に思考の行き先を決められていたのかもしれません。
心配なことがあると、そこに意識が集中する。
そして、同じ方向から何度も何度も眺めている。
まるで、ひとつの窓から外を見続けているようなものです。
その窓から見える景色が、いつの間にか自分にとっての世界のすべてになってしまう。
でも、本当にそうなのでしょうか。
「本当はどうなってほしい?」
私には、大切な人のことが心配で、あれこれ考え続けていた時期がありました。
何か問題はないだろうか。
この先、大丈夫だろうか。
また何か起きるのではないだろうか。
考えても考えても、安心できる答えは見つかりません。
そして、そんなふうに心配し続けることに、ほとほと疲れてしまったのです。
そのとき、ふと思いました。
「じゃあ、私は本当はどうなってほしいんだろう?」
すると、不思議なことに、その人の笑顔が浮かんできました。
「ああ、私はこの人の、こんな笑顔を見ていたいんだ」
そして、その人が本来持っている明るさや力を、思い出したのです。
その瞬間、気づきました。
「ああ、私は心配なことばかり見ていたんだ」
その人自身を見ているつもりで、いつの間にか心配というフィルターを通して見ていたのかもしれません。
何かが解決したわけではありません。
心配の種が、すべてなくなったわけでもありません。
でも、心配とは違う方向に意識を向けたことで、その人を信頼する気持ちを思い出したのです。
私にとって、それは大きな発見でした。
起きてほしくないことと、本当に望んでいること
ここで、もうひとつ気づいたことがあります。
不安にとらわれているとき、私たちは「起きてほしくないこと」を繰り返し考えています。
失敗したくない。
傷つきたくない。
大切な人に何かあってほしくない。
もちろん、それは自然なことです。
大切だからこそ、心配になるのですから。
でも、「起きてほしくないこと」と「本当に望んでいること」は、必ずしも同じではありません。
例えば、大切な人が心配なとき。
「何か問題が起きたらどうしよう」と考えることと、
「その人に笑顔で、自分らしく生きていてほしい」と願うこと。
どちらも同じ人を思う気持ちから生まれています。
でも、意識の向かう方向は違います。
前者は、起きてほしくないことを見ています。
後者は、自分が本当に大切にしたいことを見ています。
同じ現実の中にいても、意識の向きを変えることで、見える景色が変わることがあるのです。
私の場合は、笑顔のイメージが、そのきっかけになりました。
新しい答えを見つけたというより、もともと知っていた大切なものを、もう一度見つけた。
そんな感覚でした。
意識の舵を切ってみる
私は、この意識の方向転換を「舵を切る」と考えています。
船に乗っているとき、波や風を自分の思いどおりにすることはできません。
でも、どちらへ向かおうとするか、自分で舵を握ることはできます。
不安という波があっても、その波ばかりを見続けなくていい。
少し顔を上げれば、別の景色が広がっているかもしれません。
ここで大切なのは、無理に前向きになることではありません。
「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせることでもありません。
自分が今、何に意識を向けているのかに気づくこと。
そして、
「私は本当はどうなってほしいんだろう?」
「どんな未来を望んでいるんだろう?」
と、自分に問いかけてみる。
それは、誰かや何かを自分の望みどおりに動かそうとすることではありません。
自分の中にある願いや、大切にしたいものに目を向け直すことです。
心理学でも、物事への注意の向け方や捉え方が、感情の体験に影響することが知られています。
だからこそ、考える方向を少し変えることには意味があるのだと思います。
自分の意識の主導権を取り戻す
もちろん、長年の考え方の癖は、そう簡単には変わりません。
気がつけば、また心配なことばかり考えているかもしれません。
でも、それでいいのだと思います。
「あ、また起きてほしくないことばかり考えていたな」
そう気づいたら、もう一度、問いかけてみる。
「では、私は本当は何を望んでいるんだろう?」
すぐに答えが浮かばなくても構いません。
不安が残っていても、現実の問題が解決していなくてもいい。
ただ、意識の向かう方向を変えてみる。
それだけで、今まで見えていなかったものに気づくことがあるかもしれません。
私自身、今回の経験を通して、不安にフォーカスし過ぎて、知らないうちに、一方向からしか物事が見えなくなっていたことに気づきました。
そして、ほかにも見方があること、ほかにも可能性があることを思い出しました。
不安にとらわれていた意識の主導権を、自分に取り戻す。
それは、不安をなくすことでも、問題をすぐに解決することでもありません。
自分が本当に望んでいる方向へ、もう一度目を向けること。
そして、自分の世界を広げていくことなのだと思います。
もし今、考えすぎの袋小路に入り込んでいると感じたら。
「どうしよう?」と考え続ける代わりに、こんなふうに問いかけてみませんか。
「私は、本当はどうなってほしいんだろう?」
ほんの少し、意識の舵を切ってみる。
その先には、今まで気づかなかった景色が広がっているかもしれません。