「今日、仕事から帰ったら一緒に遊ぼうね」
そう約束するとき、つい口から出そうになる言葉があります。
「ちゃんといい子にしてたらね」
子どもに何かを促したいとき、無意識に使ってしまう条件の言葉です。
でも先日、その言葉が口から出そうになった瞬間、ハッとして、ぐっと飲み込むことができました。「いい子にしていても、していなくても、ただ帰ったら遊べばいいんだ」と思ったのです。
その日は仕事を終えて帰り、少しの時間でしたが、子どもと一緒に遊ぶ時間を作れました。そのとき、自分の心の中に小さな変化を感じました。
「今日いい子にしていたご褒美として遊んでいる」のではなく、「ただ、子どもと一緒に遊んでいる」。そこには、理由も条件もありませんでした。
「〇〇できたから」という条件がついていると、遊ぶ時間すら、どこか「評価」や「取引」のようになってしまいます。でも、その条件を外してみたら、子どもと向き合う時間そのものが、とても素朴で純粋なものに変わっていきました。
一番楽になったのは、自分自身でした。「いい子にしてたらね」と言わないだけで、心が少し楽になっていたのです。子どもに条件をつけるということは、無意識のうちに「条件をクリアさせなきゃ」「ちゃんとさせなきゃ」と、自分にも緊張感やプレッシャーをかけていたのかもしれません。条件を手放したことで、子どもを受け入れる余白が生まれて、同時に自分の肩の力も抜けていったのだと思います。
日々の中で、私は悪気なく「〜したらね」「〜できたらね」と条件をつけてしまいます。だからこそ、たまにはその条件を横に置いてみたいと思っています。いい子にしていても、していなくても。部屋が散らかっていても、少しぐずっていても。ただ目の前の大切な人と、同じ時間を過ごす。そんな条件のない「ただ、一緒にいる時間」の積み重ねが、自分と家族の毎日を満たしてくれると感じています。
あの日、条件を飲み込んで遊んだ時間のような、ただ一緒にいる時間を、これからも大切にしたいです。つい条件をつけてしまう方が、ほんの少し手をゆるめてみるきっかけになればうれしいです。
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