自分の奨学金を、毎月コツコツと返している。正直、まだ重く感じる瞬間もある。
一方で、子供の将来の学費は、少し違う進み方をしています。完全に終わったわけではありませんが、淡々と積み立てていく仕組みはすでに整っていて、このまま続ければちゃんと貯まっていくめどが立っています。
「これで、子供に自分と同じ思いはさせずに済みそうだ」
心の底からそう思っていたはずでした。
けれど、その仕組みが整った瞬間、不思議と安心はやってきませんでした。むしろ「もっと子供のためにできることがあるんじゃないか」「今を充実させることも考えなきゃ」「他にも準備しておくべきことがあるかもしれない」と、次から次へと新しい「やるべきこと」を探し始めている自分がいました。
なぜ私たちは「終わりのないゲーム」を続けてしまうのか
一つの不安が仕組みで解消されたはずなのに、なぜ私たちはすぐに次の不安の種を探してしまうのでしょうか。
それは、私たちが「現状維持」に耐えられないように教育されてきたからかもしれません。「立ち止まったら置いていかれる」「もっと上を目指さなければ価値がない」という無言のプレッシャーが、無意識のうちに染み込んでいます。
学費の積み立てという明確なゴールに仕組みができた途端、ゴールポストは勝手に先へ移動します。今を充実させるのか、他の備えを増やすのか、もっと別の何かを準備するのか。そうやって自ら「キリのない目標」を設定し、また自分を追い込み始めてしまう。終わりが見えないから、いつまで経っても心が休まりません。
目標を持つこと自体は、決して悪くない
だからといって、「これからは一切の目標を捨てて、何もしない生き方をしよう」と言いたいわけではありません。
子供のために何かしたいと思うこと、未来に向けて「これをしたい」と考えること自体は、毎日に張りと生きがいを与えてくれる大切なものです。自分の意志でエンジンをかけ、何かに向かって進む時間は人生を豊かにしてくれます。
問題なのは、目標を持つことそのものではありません。「明確な目的があるから動く」のではなく、「ただ止まると不安だから、もう少し、もう少しと安心材料を増やし続ける」という状態に陥ってしまうことです。
目的の軸が子供への思いではなく、「安心感を買うための終わらない作業」になってしまったとき、目標は生きがいから「自分を縛る鎖」に変わってしまいます。
ゴールのない競争から、そっと降りる
では、この「キリのないループ」からどうやって抜け出せばいいのでしょうか。
それは、自分のなかの「十分」を自分で定義し直すことです。世間の基準や「もっと上」という無限の階段に合わせるのをやめてみます。
「ここまでやった」という線を自分で引く。学費の積み立ては、すでに仕組みが整っていて、めどが立っている。それだけで、十分すぎるほどの準備ができていると言えます。その自分を、まずは自分で認めてあげること。
「目的」と「焦り」を切り分ける。今考えていることは、本当に子供のために心からやりたいことだろうか。それとも「ただ止まるのが怖いから」という焦りから生まれた目標だろうか。その問いを自分に投げかけてみます。
目標に縛られず、軽やかに生きる
人生のゴールは、常にアップデートし続けなければいけないものではありません。
キリのない目標を追いかけてエネルギーを漏らすのをやめ、自分の状態をしっかりと把握する。「もう十分やった」と自分を認め、ゴールなき競争からそっと降りたとき、初めて日常のなかの豊かな時間が輪郭を持って見えてきます。
自分の奨学金は、正直まだ重く感じる日もあります。それでいい。子供のために仕組みを作れたことは、それだけでもう十分な仕事をしている。
次の目標を考えること自体は悪くありません。でも、それに囚われすぎて今をすり減らす必要もない。今日という日を、ただ機嫌よく、自分の足で軽やかに積み重ねていけばいいのだと思います。
豊かさの捉え方や外側・内側の扱い方は、コンテンツマーケットの方にまとめています。もし興味があれば、そちらも覗いてみてください。