罪悪感なく休めるようになるまで、3年かかった

罪悪感なく休めるようになるまで、3年かかった

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コラム
何もしない日が苦痛じゃなくなるまで、私の場合、3年くらいかかりました。

かなり久しぶりに、一日中アニメを見る時間にしてみました。かつての自分なら、そんなふうに「何もしない日」を過ごそうものなら、どこかで「時間を損したな」「このままダラダラして悪い方向に進んでしまうんじゃないか」という不安と後悔が必ずセットでついてきていました。何か生産的なことをしていないと落ち着かない。止まっていると置いていかれるような気がして、休むことすらどこか怯えていたあの頃。

それが今回は、不思議とそんな影は一切ありませんでした。

昔の私は、「今日一日をどう効率よく使い切るか」ばかりを考えていました。「もっと勉強しなきゃ」「参考書を進めなきゃ」と、常に頭のどこかでアクセルを踏み続けている状態。だから、意図せず何もしない時間ができると、「時間を無駄にしてしまった」という猛烈な罪悪感に襲われていました。休むことすら、「次のパフォーマンスを上げるためのスケジュール」として組み込まないと安心できなかったのだと思います。

そこから、すぐにガラリと変わったわけではありません。「何もしない」を急に自分に許可するのは難しかったから、まずは少しずつ休むタイミングを作ることから始めてみました。

真面目な癖がつい顔を出して「もっとやりたい」と思っても、作業をあえて途中で中断する。自分の思うタイミングをわざと外して、中途半端な状態を受け入れたり、深く考え込まない練習をコツコツと続けてきました。「ここまでやったら止めても大丈夫」と自分に言い聞かせる。

もちろん、最初は簡単ではありませんでした。途中でやめることに対する強烈な「気持ち悪さ」や、置いていかれるような「焦りや不安」は、そりゃあかなり感じました。「本当にこれでいいのか」とソワソワすることも一度や二度ではありません。それでも、中途半端な自分を許す経験を少しずつ重ねるうちに、そのザワザワとした焦りは、だんだんと小さくなっていきました。

そうやって日々のなかに小さな余白のトレーニングを重ねていくうちに、気づけば自分のなかの前提が変わっていました。今回の「一日中アニメを見る」という選択は、誰かに強いられたわけでも、現実逃避でもありません。「今の自分にはこの時間が必要だ」と、自分で選び取った時間です。

そして何より、「またいつでも元の日常(頑張るリズム)に戻れる」という、自分への確かな信頼(安心感)があります。だからこそ、途中で不安になることも、後悔することも一切なく、ただ目の前の世界を丸ごと楽しむことができました。

「小さく始め、深く味わい、長く続ける」のは、机に向かって作業をするときだけではありません。休むときも、何もしないときも、自分で選んだリズムでただ深く味わい尽くす。

罪悪感を脱ぎ捨てて「何もしない贅沢」を心から楽しめるようになった今、かつてのあの焦がれたような息苦しさは消え、以前よりもずっと心が軽くなっているのを感じています。

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