大人になってからも、なぜかずっと心に残っている温かい光景があります。
昔、私の母が出産前の入院をしていたときのことです。毎朝、私が小学校へ登校する時間になると、母は病院の窓辺に立ち、歩いていく私に向かって手を振ってくれていました。
入院中という、母自身もしんどかったはずの状況です。それでも毎朝欠かさず、私の姿を目で追い、気遣ってくれていました。当時はその意味を深く考えていませんでしたが、ただ「毎朝見守られている」という確かな安心感だけが、幼い私の心に深く染み込んでいました。
親になって初めて気づいた、見守る目
自分が親になり、登校する我が子を家の前で見送るようになって、ようやく気づいたことがあります。
角を曲がって見えなくなるまで、子どもの後ろ姿をじっと目で追う。
自分が「見守る側」になって初めて、あのとき病院の窓辺に立っていた母が、どんな気持ちで私を見ていたのかが本当に分かりました。そこにあったのは、「今日も無事で、いってらっしゃい」という、言葉にすらならない純粋な気遣いでした。
特別な成果を上げているから見守るのではない。ただそこに存在している大切な姿を、ただ見守る。そんな温かいまなざしを、私は知らず知らずのうちに受け取っていたのだと思います。
「成果」がなくても、私たちはすでに受け取っている
日々忙しく過ごしていると、私たちはつい「もっと早く進まなければ」「目に見える成果を出さなければ」と、自分を焦らせてしまいますよね。「自分は何もできていない」と、自分で自分を置いてきぼりにして、責めてしまう日もあるかもしれません。
けれど、少しだけ立ち止まって、思い出してみてほしいのです。
私たちが今日を生きているのは、かつての誰かの「ただ無事でいてくれればいい」という、静かな見守りや気遣いがあったからです。あなたが特別な成果を上げていなくても、ただそこに存在しているだけで、誰かにとっての祈りや安心になっていた瞬間が、必ずあります。
「足りないもの」ではなく、すでに「あるもの」に目を向ける
私たちが「何かを成し遂げなきゃ」と焦ってしまうとき、頭の中は「自分に足りないもの」ばかりで埋め尽くされています。
けれど、本当の「豊かさ」とは、新しい何かを付け足すことでも、無理に前に進むことでもありません。
かつて誰かが自分に向けてくれた温かいまなざしや、今自分の周りにある小さな優しさ。そうした、すでに自分の内側に「あるもの」に気づき、そっと受け取る心の余白を持つこと。それこそが、何もしなくても、ただそこにいるだけで満たされているという、本来の「豊かさ」なのだと思います。
ただ、そこにいるだけでいい
焦って無理に前を向いたり、自分を動かそうとしたりする必要はありません。
今日は少し立ち止まって、ただ呼吸を整え、自分が今までに受け取ってきた温かい記憶や、今ある小さな心の余白を静かに感じてみてください。
進もうとせず、まずはただ、今のあなたのままでそこにいてみること。まずはそこから始めてみてください。
豊かさの捉え方や外側・内側の扱い方は、コンテンツマーケットにまとめています。気になった方はのぞいてみてください。