最近、あるミーティングの帰り道、どっと疲れが押し寄せてきた。
内容が難しかったわけでも、長時間だったわけでもない。ただ、その場にいるだけで、じわじわとエネルギーを吸い取られていた。
最近の私が猛烈に意識を向けることがある。それは、人と人が話し合うとき、それぞれが持っている「視点」と、そこから生まれる「優先順位」の違いについてだ。
きっかけは、日々の場で感じる強烈な違和感だった
「言っていることは分かるけれど、なんだか意見がずれる」
「その場でなんとかお互いの意見を合わせようとするのだけれど、どうしても平行線になってしまう」
そんな場面に直面したとき、以前の私なら「価値観や相性が合わないのかな」と考えたり、無理に着地点を見つけようとしたりしていた。
しかし、現場でじっくりと観察を続けるうちに、私の見方は変わった。彼らは、決して感情的に対立しているわけでも、意見そのものが間違っているわけでもない。ある1つの物事に対して、それぞれの立場から「見えている景色(視点)」が全く違っていて、その結果、大切にしたい「優先順位」がずれてしまっているだけなのだ、と。
一歩引いて見ている私からすれば、どちらの意見も間違っていない。「どちらが正解で、どちらが不正解か」なんて答えはないのだ。
「最適な答え」を探したいのに、そんな話し合いにすらならない
しかし、実際に話している当事者たちはそうはいかない。自分が見えている景色の中では、自分の優先順位こそが「絶対に正しい」と信じているからこそ、お互いに一歩も意見を曲げようとしないのだ。
「効率を上げないと意味がない」
「リスクを無視して進めるなんてあり得ない」
私が本当にやりたいミーティングは、そんな白黒つけるキャッチボールではない。まずはお互いに落ち着いて相手の話に耳を傾けること。それぞれの視点から上がってきた意見をすべてテーブルの上に並べた上で、「じゃあ、今の私たちにとって最適なことは何か」を一緒に考えていくこと。
そんな建設的な話し合いがしたい。ただ、それだけなのだ。
それなのに、現実はそう甘くはない。お互いに「自分の正しさ」というフィルターを通した言葉を譲らないため、話し合いは平行線をたどり、空気は重くなっていく。
そんな光景を目の当たりにするたび、私は正直、嫌になってしまう。
「どうして落ち着いてお互いの話を聞けないんだろう」
「なぜ、自分の意見を押し通すことばかりに必死になってしまうんだろう」
場を良くしようとそこにいるだけで、不毛な衝突にエネルギーを吸い取られ、どっと疲れが押し寄せてくる。
この「嫌になってしまう感情」の先にあるもの
ただ「意見を合わせよう」「どっちかに折れてもらおう」と言葉を重ねても、誰も納得しないし、何より私自身の心が折れてしまう。
「なんか話がずれているな、誰も曲げようとしないな」
そう感じて嫌気がさしたとき、今私が踏みとどまるために意識しているのは、「相手にはどんな景色が見えていて、なぜそんなに必死に守ろうとしているのだろう?」と一歩引いてみることだ。
相手の「曲げられない正しさ」の背景にあるものを、まずは私だけでも落ち着いて耳を傾けてみる。
すぐには理想の話し合いにならなくて、投げ出したくなる日もあるけれど。このズレを拒絶するのではなく、まずは「今、みんなで見ている景色がバラバラなんだな」と受け止めることから、少しずつ現場の空気を変えていきたい。
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