ある朝、いつものように一日の仕組みが静かに動き始めるのを感じながら、ふとこんなつぶやきが心の中に湧き上がってきました。
「……これが、少し面白みに欠けるのかな」と。
今の私は、とても充実しています。日々の生活や仕事、勉強の仕組みが整っていて、毎日の判断も容易です。迷いやノイズはできるだけ抑えるようにコントロールしています。
かつてのように「どうやって時間を捻出しようか」「何から手を付けたらいいのか」と頭を悩ませて、目の前のタスクに溺れるような感覚は今はありません。自分で自分の領域をコントロールできている、という圧倒的な安定感があります。
決して現状に不満があるわけではありません。むしろ深く満たされています。それなのに、すべてが自分の手の中でスムーズに回りすぎているせいで、どこか毎日の変化や刺激が薄くなっているような、不思議な感覚を覚えるのです。
急かされるのではなく、「次を選ぶ準備」ができている
もちろん、やらなきゃいけないことや、学びたいことがすべて消えてなくなったわけではありません。むしろ、今でもたくさんあります。
ただ、以前と決定的に違うのは、それらに「急かされていない」ということです。タスクの波に飲み込まれてその場しのぎで処理するのではなく、日々の仕組みが整って時間が作れているからこそ、「さて、次は何に手を付けようか」とじっくり腰を据えて考えることができています。
この感覚について、少し深く考えてみました。人間は、思い通りにいかない状況を自分で工夫して、一つひとつ整理していく「プロセス」そのものに、面白さや充実感を覚えるようにできているのではないか、ということです。
少し前までの私は、まさにその工夫の最中にいました。「どうすればもっと動けるか?」という課題に対して、あれこれ試行錯誤しながら仕組みをハックしていく楽しさがありました。しかし今は、その仕組みがうまく機能するようになり、生活がとても落ち着いてきました。だからこそ、「少し面白みに欠けるのかな」と感じるのです。
モチベーションが落ちたわけではありません。「次に集中するための準備が完全に整い、平穏を手に入れたから」こその、静かな変化なのだと思います。
楽しむのも、また追われる日々を作るのも「自分で選べる」
そして、この落ち着いたステージに立って気づいた、一番大切なことがあります。
それは、「この整いきった時間をあえてじっくり楽しむのも、あるいはまた新しい何かに挑戦して、あの慌ただしく追われる日々を自分で作るのも、すべては自分で選べる」ということです。
誰かに強制されて、仕方なく何かに追われるのではありません。しっかりとした平穏な足場を持った上で、「さあ、次はどんなことに挑戦しようか」と、自分の意志で生活の度合いをコントロールできます。
この「選べる自由」を持っていることこそが、本当の意味での充実感の正体なのです。そこには、ネットに溢れるようなドラマチックな大逆転劇はないかもしれません。けれど、そこにあるのは、静かで、ブレない、大人のリアルな充実感です。
まとめ:この「整った時間」をフラットに捉えていく
色んなことが整うと、毎日の判断に迷わなくなります。やるべきことに急かされず、次に手を付けるものを自分でじっくり選べます。
ちょっと面白みに欠けるくらい淡々とした毎日になるけれど、それこそが「自分の人生の主導権を握れている」ということなのかもしれません。
この整いきった静かな時間すらも、一つの状態として、フラットに面白がっていきたいと思います。
豊かさの捉え方や外側・内側の扱い方は、コンテンツマーケットにまとめています。気になった方はのぞいてみてください。