帰省や墓参りも、行きたくなければ行かなくていいんです。
軽く扱えというお話ではありません。帰省や家族行事という形式を守るために、生きている自分が体調を崩すほど消耗するなら、その義務から離れていいということです。
実家に帰ると、家族全体との関係が始まる
「親に会いたくない」と言っても、実際に避けたいのは親そのものなのか?
実家に帰れば、両親だけでなく、きょうだい、親戚、近所の人との関係までついてきます。家の中の会話、生活音、におい、昔と変わらない部屋の配置など、家そのものの空気も含まれます。
帰省すると、結婚した同級生や、子どもが生まれた親戚、地元に戻ってきた知人の話を聞かされることもありますよね。
表面上は「結婚の話をされるから嫌」「親戚に詮索されるから嫌」と感じていても、それだけではないかもしれません。
その話の中には、
「人は結婚して子どもを持つものだ」
「地元に戻る方が自然だ」
「あなたも本来は、こちら側の生き方を選ぶべきだ」
という、家族や地元の変わらない世界観からの無言の要求が漂っているから。
つまりはその中に入っていくことが苦しいのです。
外で変化した新しい自分が、昔の役割に戻される
人は変化します。
友人を自分で選び、仕事や社会的な活動を通して経験を重ね、自分なりの生活や価値観を作っていきます。誰かと比較して苦しむこともあれば、以前より自由になった自分に安心したり、少し誇らしく感じたりすることもあります。
うまくいくことも失敗することも含めて、現在の自分として前に進み変化している。
ところが実家に戻ると、その変化がほとんど見えないものとして扱われることがあります。
家族が知っている昔の性格、昔の立場、昔の役割の中に再び置かれ、「あなたという人間は、こう考えて、こう生きるべきだ」という前提が無意識の中に流れていてその雰囲気で話が進んでいく。
現在の自分と、家族の中で定義されている自分との差が大きいほど、帰省による消耗も大きくなります。
単に会話が面倒なのではありません。自分が外で進めてきた時間を、家族単位で過去へ引き戻されるような感覚になる。
そのため、実家へ行く前から気分が悪くなったり、帰宅した後に寝込んだりするほど消耗するのです。(でも、帰らないわけにはいきませんよね?とても非常識で親不孝な事ですから。)
帰省や墓参りは、絶対に守る義務ではない
それでも、「家族なのだから帰らなければならない」「正月やお盆には帰るものだ」「法事や墓参りには行くべきだ」と考えてしまう人は少なくありません。
けれど、家族だからという理由だけで、自分が毎回大きく消耗する場所へ戻る必要はありません。
実家に帰りたくなければ、帰らなくていい。
墓参りも、行きたくなければ行かなくていい。
それぞれの好きなところや楽しかった思い出、自分の心地よい場所にいながら思い出すだけでもいいんです。別の日に一人で墓参りをしてもいいし、何もしなくてもいい。
実家には入らず外で短時間だけ会う、電話だけにする、法事を欠席するという選択もできます。
墓の前に立つ、掃除をする、仏壇に手を合わせることが亡くなった人や今いる親族を大切にする方法ではありません。それは証明でもありません。
形式を守るために、生きている自分が毎回削られるのであれば、その形式から離れていい。
大切だったものだけを、自分で持っていけばいい
実家に帰らないことは、家族との思い出をすべて捨てることではありません。
優しくされた記憶があるなら、それは自分の中に持っていていい。親に大切にされたことや、楽しかった思い出があるなら、それもなかったことにする必要はありません。
同時に、傷つけられたことや、今も許せないことは、無理に許さなくていい。
「全部よかった家族」か「全部悪かった家族」か、どちらか一つに決める必要はありません。良かった記憶と、許せない事実が同時に残っていても矛盾ではありません。
大切だったものは自分の中に残し、苦しかった役割や義務からは離れていい。
実家へ戻ることも、墓参りに行くことも、家族との関係を持ち続ける唯一の方法ではありません。
自分が実家の何を拒絶しているのか、帰らない判断をしてよいのか、一人では整理しきれないことがあります。
家族への気持ちが、嫌悪、罪悪感、大切な思い出などに分かれていても、まとまっていないまま話していただいて大丈夫です。