教師時代の話をひとつ。
私は英語教師として、ネイティブスピーカーの先生と一緒に授業を担当していた時期がありました。
その頃、中学2年生のあるクラスでの出来事です。
ある日、急用で少し遅れて教室に入ると、男子生徒のR君が机を叩きながら大声を上げ、教室を飛び出そうとしていました。
ネイティブのB先生に事情を聞くと、
「何度注意しても話をやめなかったので、職員室へ行くよう伝えた」
とのことでした。
私はR君を追いかけました。
廊下に出たR君はまだ怒りがおさまらず、
「B先生、何も分かってへん」
と言いました。
話を聞くと、R君にはR君なりの言い分がありました。
「必要な話をしていただけなのに、なんで職員室に行かなあかんねん」
という思いです。
私はしばらく彼の話を聴きました。
そして少し落ち着いた頃、教室に戻ろうとしたのですが、R君は
「やっぱりB先生と話がしたい」
と言いました。
そこで私はB先生を教室の外に呼び、二人の間に入りました。
しばらく話を聞いているうちに、私はふとこう思いました。
「担任の先生に注意されることよりも、まずB先生ときちんと話がしたかったのかな?」
そう尋ねると、R君は黙ってうなずきました。
その後、R君は自分の態度について謝り、B先生もその場で十分に話を聞かなかったことを謝りました。
結果として、その場は落ち着いて収まりました。
この時、私が感じたのは、
人は「正しい答え」を求めているとは限らない、
ということです。
時には、
「自分の気持ちを分かってほしい」
「自分の想いを聴いてほしい」
そんな気持ちを抱えていることがあります。
生徒もそうです。
そして先生自身も同じではないでしょうか。
日々の授業、テスト作成、生徒対応、保護者対応、学校行事。
教育現場では、自分のことを後回しにして頑張り続けている先生がたくさんいます。
その中で感じるモヤモヤや違和感も、
実は何か大切なことを伝えようとしている声かもしれません。
生徒の声に耳を傾けるように、
時には自分自身の声にも耳を傾けてみる。
そこから見えてくるものもあるのではないでしょうか。