祖母の死が教えてくれたこと――
「死」は冷たく、無機質なものではなかった
「死」とは、いったい何なのでしょうか。
私はかつて、屠殺の仕事をしていました。
仕事を通して、たくさんの命が失われていく場面に立ち会い、たくさんの「死」を積み上げてきました。
だからこそ、働きながら、
「生きるとは何なのか」
「死ぬとはどういうことなのか」
と考えることが多くなりました。
その後の私の「死」に対する考え方に、最も大きな影響を与えたのが、母方の祖母の死でした。
祖母が亡くなって、8年になります。
■亡くなった祖母と過ごした夜
祖母が亡くなった夜、私は兄弟3人で祖母のそばにいました。
一晩を一緒に過ごしながら祖母の身体に触れたとき、私は祖母の身体から、感情のようなもの、波動のようなものを感じました。
それは決して冷たいものではありませんでした。
とても温かく、優しく、私がよく知っている「祖母らしさ」に満ちたものでした。
それまでの私は、亡くなった人の身体は冷たく、心を失った無機質なものになると思っていました。
だからこそ、祖母の身体から感じた温かさに驚き、私は思わず妹たちと手をつなぎました。
妹たちがそのとき何を感じていたのかは分かりません。
私が感じたものが何だったのかも、今なお明確に説明することはできません。
それでも私にとっては、確かにそこに祖母の優しさと温かさがありました。
■枕元に現れた祖母の笑顔
祖母は亡くなった時に、私の枕元にも現れました。
そのときの祖母は、笑っていました。
亡くなった夜に身体から感じた温かさと、枕元で見た祖母の笑顔。
どちらにも共通していたのは、私が生前に知っていた祖母らしい優しさでした。
私はその体験によって、それまで抱いていた「死」のイメージを大きく変えられました。
死とは、ただ冷たくなることでも、肉体が機能を終えることだけでもないのかもしれない。
その人が生きてきた温かさや優しさ、周囲に与えたものまで、すべて消えてしまうわけではないのかもしれない。
そう感じるようになったのです。
■死を理解しきる必要はない
私は、自分自身の死を経験したことがありません。
ですから、「死とはこういうものだ」と明確に言うことはできません。
死について悟ることも、完全に理解することも、必要ではないのだと思います。
ただ、祖母の死を通して私の中にあった死への観念が一変したことは、紛れもない現実です。
祖母は亡くなったあとも、私に何かを伝えようとしてくれたのかもしれません。
それが本当は何だったのか、証明することはできません。
けれど、そのとき私が受け取った優しさと温かさは、今も私の中に残っています。
死は、その人のすべてを無にするものではない。
亡くなった人から受け取ったものは、残された人の中で生き続ける。
祖母の死は、私にそのことを教えてくれたように思います。
■身近な人の死や、不思議な体験を誰にも話せない方へ
大切な人を亡くしたあと、
「もっと何かできたのではないか」
「なぜ、あの人は亡くなったのだろう」
「あのとき感じたものは何だったのだろう」
という思いを、誰にも話せず抱えている方がいます。
亡くなった人に関する不思議な体験は、周囲から否定されるのが怖くて話せないこともあるでしょう。
あかつき道整骨院では、身体の不調だけでなく、
身近な人の死によって残った思いや、死に対する不安、言葉では説明しにくい体験についてのご相談もお受けしています。
無理に答えを出す必要はありません。
何を感じ、何を受け取り、その体験が今の自分にどのような影響を与えているのか。
一緒に整理することで、自分の中にある思いの意味が見えてくることがあります。
誰にも話せずに抱えていることがありましたら、一度お話をお聞かせください。