【35】「お金持ちでも不幸になってるの意外といますよね。離婚とか、いい歳して犯罪とかドラッグとか、自殺も。」

【35】「お金持ちでも不幸になってるの意外といますよね。離婚とか、いい歳して犯罪とかドラッグとか、自殺も。」

記事
学び

⇒いますし、多いです。

お金持ちになれば幸せになれるというのは、空想、絵空事です。


では、何故、悪い物事に行き着くのかですが、

貧乏でもお金持ちでも、思いやりの心を失っているからです。

自己中に、無神経に、欲深くなる事によって。


この豊かで便利さで溢れた現代社会において、誰もが不幸に陥りやすい因果を強く持っています。

また、殆どの方が、貧乏がマイナスな状態、お金持ちがプラスの状態だと考える人が多いですが、実はこれは資本主義マジックに掛かっているだけで、どちらも心の状態如何では、マイナスに働きます。

貧乏な方でも犯罪をしますし、お金持ちの方でも犯罪をするからです。
貧乏な方でも離婚しますし、お金持ちの方でも離婚をするからです。
貧乏な方でも自殺しますし、お金持ちの方でも自殺をするからです。


つまり、お金を持っていても持っていなくても関係ないのです。

比率で物言いをする方もいるかも知れませんが、大小の話をしているのではなく、これは本質です。

つまり「幸せ」とは、「お金や物では決して得られない」という事です。


私は、「物質」で得られる物は全て「喜び」と定義しています。

思いやり以外は全てと言ったほうが早いかも知れません。


また私が定義してる「幸せ」とは、人間を創造した存在が備わせたメカニズム、心の性質、その根源、その心とは即ち「思いやり」です。

幸せとは「互いの思いやりから来る相乗効果」だと定義しています。

これが、人間においての「幸せ」だと結論付けています。


親子、兄弟、友達、職場の人、パートナーなど、人と纏わるもの全てです。

つまり、お互いが思いやりの心を持っていないと、幸せにはなれないという事なのですが、ここに現代の難しさがあります。

この豊か過ぎる社会や、便利さで溢れている社会では、人の思いやりの心を失わせ、逆に、自己中さ、無神経さ、欲深さ、偽善、悪を身に付けて行くからです。

故に、虐めや、犯罪や、離婚や、自殺など、様々な悪い結果に行き着きます。


また、「人の幸せは幾つもある」という方がいますが、これは大間違いです。

人間の幸せは1つしかありません。


私の言う思いやりの相乗効果とは、別の言い方をすれば「愛し愛される」という状態とも言えるのですが、ただ、後者を引き合いにして「愛されたい」と己の幸せを求める人が現れてしまい、また、「愛される」状態とは「幸運なこと」であって「幸せ」ではないという位置付けにもしています。

「幸運=幸せ」じゃないのかという反論も出て来ますが、飽く迄も「幸運とは運が良い幸せ=私で言うところの思いやりを他者から受けている状態」になります。もちろんそれ以外でも幸運という表現は使います。

「幸せ=思いやりの相乗効果」=お互いが本当の優しさで←間違っていても構わない←お互いが相手を想い考え続けることが大事で、「愛し愛される」を言い換えるのなら「愛し愛す」というのが正確な表現となります。

思いやりや愛を求めてしまっている時点で、見返りを求めている時点で、それは、私の言うところの「思いやり」「愛」を持っていないという証明になります。

ただ純粋に相手を想い、大事にしようと、大切にしようと、幸せにしたいと、助けたいと、一方通行である事が思いやりや愛情であり、そこがお互いになる事によって幸せは生まれ、つまり、「お互いが思いやる」「愛し合う」というのが正確な、幸せの状態表現であるとしています。

何故「愛し合う状態=幸せ」とせずに、「思いやりの相乗効果」だと定義しているのかと言いますと、「愛」というのはそんな簡単には、生半可な精神では身に付かないからです。

絶え間ない、日々の思いやりの派生で生まれるのが、「愛」だからです。

愛情を持つには、自分のことを抜きにするほどに、常に相手の事だけを考え、常に相手を思いやる、そんな思いやりの心を育くんで行かないと身に付きません。

つまり、人間において基本中の基本となるのが、「思いやりの心」にあるという事です。


また、人間というのは、愛情を持っていなかったとしても、思いやりの心から幸せは生み出されていると気付いた事にあります。

確かに、愛情を持った者同士(パートナー)の幸せは最高峰と成り得ますが、親子であっても、兄弟姉妹であっても、友達同士であっても、職場の上司でも同僚でも部下でも、ご近所さんでも何でも、お互いが思いやりの心を持ち寄れば、幸せは生み出せるのです。


ですが、

自己中な人ほど、相手を思いやって生きることを苦痛に感じます。

無神経な人ほど、気付きもせず、気付いても見て見ぬふりをします。

欲深い人ほど、思いやるどころか、相手を傷付け苦しませます。


つまり、「愛」というのは、欲深き人が身に付けるのは不可能になります。

現代では、純真な優しさや思いやりある人を探すことが難しいくらいです。

優しさや思いやりも、自分が良く見られたいからと、自分の為にやっている人達もいるのです。

上辺の優しさ、良い人面、八方美人、偽善です。


だからこそ現代の人達は、不幸に行き着いてしまうのです。

お金に救いを求めながら、お金で得られる喜びを求めながら。

自分を良い人間だと思い込みながら。


また、私が恐れているのは「知識」として使う人が出て来てしまう事です。

人間は思いやりが大事なんだよ、思いやりを持ち続けると愛情が身に付くんだよ、欲深い人に愛情なんかあるわけないからね、などと、口だけで言う人達が出て来ることです。

政治家たちの選挙中と一緒です。人は誰しもが口だけでは偉そうに物が言えます。良いことも、綺麗事も、幾らでも言えます。私も一緒です。

大事なのは、その言葉に相応するほどの、行動が伴っているのかどうか。


優しくすることも誰にでもできます。

物などを買ってあげる事も誰にでもできます。

ですが、思いやりの心は日々の積み重ねです。


日々相手を想い、何が相手への優しさになるんだろうかと、その心を積み重ねている人ほど、それは、深い考えと想いを持った行動となって現れます。

ですが、言葉も行動もそうですが、その裏には欲望が渦巻いている事もあり、人を見る目を持っていないと簡単に騙されます。

特に頭の良い方達は、多くの書籍を読んでいたり、戦略的に思いやりの心を利用します。


人を見る目を身に付ける為には、貴方がまず、誰よりも信用される人間になることです。

信用されるというのは、見捨てない、見限らない、裏切らない、他にも沢山ありますが、それは即ち、相手への思いやりです。

さすれば、異性であっても、政治家であっても誰でも、騙されることはまず無くなります。

高次元な思想と精神が身に付いて行くので、見抜けるようになるからです。

もちろん、誰にでも欠点はありますから、こちらも完璧な人間ではないので、寛容さを持つ事も、相手への思いやりの一つになります。

御目が高くなりすぎて、誰も信用できないくらいのデメリットも生まれますが、それ以上に、守りたい、助けたい、支えてあげたい、変えてあげたいなど、ここでも思いやりの心が上回ります。

幸せとはお互いの思いやりから生まれているということ、何事も、相手への思いやりから、善き物は生まれているという事です。


また、人間の生きる意味、幸せを経験する事なく死んで行くこと、お金でも物でも偽善でも一時でも何でもない、思いやりの相乗効果を経験せずに死んで行くこと、これが、人間として生を受けた者の、最大の不幸だとも思っています。

ただ、この話をしてしまうと、赤ちゃんが死んでしまった場合はどうなるのかという話にもなるのですが、赤ちゃんというのは、その存在自体が癒しであり、笑顔を生んでくれる、愛おしく思わせてくれる、親に対して、愛情を生み出してくれるほどの物を与えてくれます。お腹にいる間とて一緒です。

この子の為なら命をも惜しくないと思わせてくれる程です。

つまり、赤ちゃんというのは、存在自体が思いやりや愛で出来ていると定義しています。

つまり、親御さんから思いやりや愛情を受けていれば、それは幸せなことだったと言えるのです。


ですが、現代の人は成長するにつれ、自己中になり、無神経になり、欲深くなり、たとえ優しさを持っていたとしても、相手を不幸にする優しさや思いやりを発揮します。

ここでもお金で買える喜びを幸せだと勘違いし、偽善すら正当化させます。

そして、相手まで欲深くさせ、不幸に陥らせ、負のループを作り出します。

最終的にはどちらも不幸になります。


つまり、お互いが欲深いと、不幸の相乗効果を生み出します。

ですが、喜びや偽善に惑わされ、大半は気付くことなくそのまま進みます。

そしてある時に、一気に何かしらの形で問題が生じます。


皆さんの周りはどうでしょうか。

ご両親でも、その周りでも、お互いで思いやりを持ち寄って幸せに生きていると、心底思えるような人達は1人でもいますでしょうか。

もし、一組でも知っているのなら幸運なことですが、これほど見事に不幸に生きてる人ばかりというのも、おかしく思えませんか?

不思議に思えませんか?


どの家庭でもみんなそうだから、どんな夫婦でもそうだから、結婚は墓場だから、それが当たり前だからと言う方もいらっしゃるとは思います。

人間はそういう生き物だからと。


どなたでも、付き合い始めや、結婚した直後や、給料の支払いや、ボーナスが入っての家族の団らんや、旅行や外食やお買い物など、幸せだと思っていた日々もあったと思います。

ですが、ある日を境に、毎日喧嘩をするようになった、優しくなくなった、気遣ってもくれなくなった、子供がいなかったら離婚してる。

またある方は、口答えをすると暴言が返って来るようになった、叩かれる、殴られる、蹴られる、離婚した。

またある方は、不倫された、夫婦間も冷めている、喧嘩すらしなくなった、離婚した。

またある方は、家庭内別居をしている、子供の為に我慢し続けた、熟年離婚した。

またある方は、今更この歳で外に働きに出られない、だから言いなりになって結婚生活を続けている。

またある方は、不幸なんかじゃない、夫婦生活は上手く行ってる、でも喧嘩したくなくて、機嫌を悪くさせたくなくて、本音すら言えずに表でも裏でも仮面夫婦を演じている。


何故、こんなことが起きるのでしょうか。

まだお金の問題だと思いますか?


確かに、お金の問題でということもあるとは思います。

ですがそれも、思いやりの心があるかどうかではないでしょうか。

「愛情だけじゃ食べて行けないから!」と言う方もいます。

ですが、愛情があれば食べさせているのです。


また、かなりの資産をお持ちになっている、ご近所でも有名なくらいに仲睦まじいご夫婦がいて、旦那さんが奥さんのことを大好なんだという、聞いてる分には幸せなご夫婦なんだろうなと思わなくもないのに、娘は躁鬱とアル中で今すぐにでも死にたいという、それをご両親も知っているのに何もしないという、これのどこが幸せなのでしょうか。

お金のある余裕さと、好きという気持ちの延長線上、ご両親の関係性も、子供たちとの関係性も、友達のような軽い感じの物で、大事な娘が死にたいと打ち明けても放置した。

かなり甘々に育てられていて、何でも買ってくれるし、何でも言う事聞いてくれるしという、それを大人になっていた今でもずっとやっていて、彼女は何に苦しんでいたのか。

親のコネで就職もでき、がしかし、思った以上の仕事の大変さと、自分が毎月必要とする金額には見合わないと、家を出て一人暮らしをしていたものの、何度も実家に帰ってはお小遣いや物を買ってもらい、モーニングやらランチやら外食にも行き、次第に出勤しなくなり、退職をし、でも一人暮らしは捨て切れず、一人暮らしのお金までは親に出させたくなかったようで、夜の仕事を始め、元々お酒が好きだったという事と、気持ち悪いオジサンの相手をするのが苦痛でも、このお仕事しか無理だと、でも何の為に生きているのか分からないと、お酒で何度も失敗して、ここでは言えないような事態にもなってしまったと、そんなこと親にも言えないし、自分がダサくて情けなくて嫌だしと、生きる意味も見えないし、出勤も週に1日2日くらいで、お酒飲まないと楽しくないしやってられないし、でも病むし、このまま死ねたらなと何度も考えては、ODで2日間意識がなくなったり、親は、そういう時もあるあるって言って深刻に受け止めてくれないとか、死にたい気持ちを打ち明けても、同情はしてくれたけど、その後はあっけらかんとして放置するという、微塵も気に掛けてくれないような、少し勇気を出して親の前に姿を現しても、おはようの挨拶のみという、昨日のあれは無かった感じ?という、今までと変わらない状態を繰り広げたのです。ご両親共に。

意味が分かりませんよね。何故、そういった態度に出たのか。

後々分かった事ですが、あまり触れないほうが良いと思ったと、親が重く受け止めずにいつも通りに明るくしていれば大丈夫だと思ったと、それが!娘さんに対する優しさだと考えていたそうです。ご両親共に。

彼女はアルコールとODもやっていて、職場や自宅でも何度も救急搬送されてるような子で、胃洗浄の常連だから!と明るく話すような子で、ですが、親に死にたい気持ちを打ち明けた後、この時にやっと気付いたようです。

「こんな親だったんだ」と。


私も全く同じことを思った経験があり、それまでは、うちは良い家族だと、親も優しくて、まともな家族だと、ご近所さんよりも良い家庭だと、ずっと思っていました。

ですが、彼女も、親に打ち明けた時に、心配してくれて、優しいから支えてくれると思ってたと、アルコール依存のリハビリも手伝ってくれると、そう思ってたと、それまでは自分の理想の夫婦だったとか、うちの親みたいな夫婦になりたいと思ってたのにとか、自分の旦那さんはお父さんみたいな人が良いとまで言っていたのに、物凄くショッキングな出来事になったようで、芸能界でもおしどり夫婦とかやってますけど、自分の親ですら、如何にイメージや物で塗り固められているのかに気付かされる事があります。


子供が死にたいほど苦しんでいるのに助けようとしない。

心配も大してしない。適当なことを言う。

困って逃げる。放置する。何もしない。

でもそんな親のことを、良い親だと信じ込んでいた。

これが偽善の怖さの1つでもあります。


もっと酷い仕打ちを受けている方達も大勢います。

思いやりの心がなければ、決して幸せにはなれません。

思いやりの心がなければ、心配もしなければ、助けようともしません。

問題から逃げ、見て見ぬふりをし、ただ優しくしとけば良いと思っている親すらいます。

その自分本位な優しさが、根本的な原因となっている場合すらあるのに。


お金や物では、決して幸せは買えません。

買えると思っているのは、それは幸せではありません。

物やお金を追い求めてしまっている事自体が、不幸の始まりなのです。


ここまで聞いて、皆さんの中でも、私の言っている事は当たり前すぎてと、そう思われた方もいらっしゃると思います。

思いやりが大事、愛情が大事。当たり前だと。

欲深さがあれば、誰でも不幸になる。当たり前だと。

その通りで、私は当たり前のことしか言っていません。


ですが、誰でも分かっている筈なのに、何故、相反する思想と行動を起こしているのでしょうか。

何故、それでもお金持ちなりたいと言うのでしょうか。

何故、お金さえあればと考える人が多いのでしょうか。


これは簡単な話で、お金さえあれば、悩みも不安もなくなり、悠々自適な生活を送れ、もっと相手に対しても優しく出来ると思い込んでいるからです。

お金持ちの方を見れば、毎日楽しそうに、豪遊もし、パーティーをし、贅沢な物を食べ、欲しい物は何でも買い、何の不幸もないかのように見える人達がいると思います。

しかも、愛情も持っているようで、友情も大切にし、人間的にも素晴らしい、他者にも施しをする、人格者のような人たちも目にすると思います。

貧乏でも悪い結果になるんだったら、お金持ちのほうが絶対良い!と言う方もいます。

それほど、「お金」というのは、人間の心を惑わし、狂わせるくらいの力があります。


ですが、大事なのは、お金ではないのです。

問題なのは、お金に振り回されてしまっている、その心なのです。

お金を持てば、親や兄弟や友達にも優しく出来ると思っていると思います。

そのお金で、どんな優しさを相手にするのでしょうか。

相手から思いやりの心を失わせることをしないでしょうか。

自分自身には、どんなことをするのでしょうか。

それらは、自己中さ、無神経さ、欲深さには繋がらないでしょうか。


また、これは、資本主義から生み出されている物事に、誰もが洗脳されているからでもあります。

テレビからの影響が一番大きいと思っていますが、どこもかしこも「お金持ちになりたい」「お金があったら」「お金がもっと欲しい」「いいな」「羨ましいな」という思想で蔓延しています。

毎日豪華で華やか、グルメ番組、旅行番組、クイズ王、賞金、豪邸のお宅にご訪問、CMが流れてもそう、お昼のワイドショーでも何でもそう、テレビの中にあるその全てが正しいとまで思い込み、流行まで作り上げ、意識性まで編集して上の都合の良いようにコントロールをし、クリスマスやバレンタインデーなどのイベントなんていうのも企業戦略にすぎず、元を見れば分かることですが、よりお金を使うように、よりお金を必要とするように、より欲深くなるように、スポンサーや、その上の利益になるようにと、国民の意識を扇動しています。

「こんな華やかな世界で働きたい!=欲深さ」
「何でも自分の欲しい物を買いたい!=欲深さ」
「こんな贅沢で美味しそうな物食べたい!=欲深さ」
「海外旅行して豪華なホテルに泊まりたい!=欲深さ」
「いつかこんな大豪邸に住みたい!=欲深さ」
「こんな高級車に乗ってみたい!=欲深さ」
「こんなお金持ちの人と結婚したい!=欲深さ」
「自分もお金持ちになりたい!=欲深さ」

「誕生日にプレゼントとケーキを買ってあげる=愛情」
「クリスマスにプレゼントとケーキを買ってあげる=愛情」
「我慢させながらも理由も説明せずに物を買ってあげる=愛情」
「何不自由ない生活を送らせてあげる=愛情」
「良い教育を受けさせてあげる=愛情」
「良い大学に入学させ良い企業に就職させる=愛情」
「外食に連れて行く旅行に連れて行く=愛情」
「何でも欲しい物を買ってあげる=愛情」
「死にたいと言われたら明るくする=愛情」

勘違いして欲しくないのは、イベントごとをするなと、旅行にも外食にも行くなと言っているのではありません。

物事の本質を知り、流されているだけ、洗脳されているだけ、思いやりの心を失わせる、自己中にさせる、無神経にさせる、欲深くさせる状態が、この社会では蔓延しているという事を知ってほしいだけです。

頭の片隅に入ってるか入っていないかだけでも、大きく変わるからです。


確かにお金は、多くを得れば、心の豊かさを生み、大らかにもなり、優しくもなり、思いやりの相乗効果を生みやすい、1つの要素にはなります。

ですがこれは、お金が生んでいる心に過ぎません。

私が心配しているのは、先ほども言ったように、良いのは初めだけだとか、会社を解雇されたり、会社が倒産したりなど、その時に、思いやりの心を一瞬で失う人達がいることです。


現代の人は、お金が無くなった時ほど、その人の本性を知ります。

思いやりのあるなし、愛情のあるなしを知ります。

病める時も、貧しい時も、いついかなる時も、不幸になるのです。

何の為に結婚をし、何の為に誓いを立てたのかと思うほどです。

それほど、思いやりも愛もなく、希薄な心になっています。


お金や、物や、地位や、名誉などの喜びで誤魔化しても、幸せには決してなれません。

資本主義に流され、喜びという欲深さのドツボに嵌ってしまい、お金や物やステイタスで誤魔化すだけです。

自分は優しくて良い人間だと思いながら、偽善で誤魔化しながら、上っ面な優しさで誤魔化しながら、お金や物で誤魔化しながら、ずっと自分と他者の、頭と心を騙して行くだけです。


本当の幸せを経験して欲しいです。

本当の幸せで生きて寿命を全うして欲しいです。

その為には、お金や物に振り回されないほどの、頭と心が必要になります。

自己中さや無神経さや欲深さを取り除けるほどに。

相手への思いやりの心を持ち続けられるほどに。


その果てには、生きて来て良かったと、必ずそう思える日が来ます。

死ななくて良かったと、心底思える日が必ず来ます。


まずは、相手に求めるのではなく、自分から変わることです。

自分から変わろうとすることが大切です。




サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す