感情だと、喜怒哀楽とありますが。
あなたはどれが一番に来ます?
昨日の続きではあるんだけど、
まあ?私の得たい種類の愛が親には元々に人として無かったって事です。
だから親子関係にもその元々のものが出ててただけっていうね?
愛のつもりだったのかは知らないけどね?w
私の欲しい愛はあの人たちは持ってはいなかった、そもそもに人として。
という言い方が一番近いかな。
だから、人として未熟だと、なんに関してもなのかもしれないけど、親たる愛を子供に向けることが出来てなかったっていうか?
まあそんな感じだね。
(一旦、話はそれます。)
で、子供の頃ってさあ、多分感情の方で生きていることのが多いんじゃないの?
理性ってさ、育つうちに培われていくものって気がするよ?
私の場合は思考(言葉にして考えること)をあまりしない子供だったから、ちょっと他の人と違ったことを言うかもしれないけど。
私が中学生のある日、みんな考えるということをしているみたいだな?!
私も考えるということをしてみよう、って言葉で思った事があり、
他の人は考えて生きていることにわりと衝撃だったんですよね。
右脳派だから言葉として脳内で考えるのは妄想だけであり、殆どね?w
たとえば、
悲しいっていう感情で心が包まれていても、悲しいなっていう言葉で脳内で考えていないっていう事ですね。
嬉しいなというのも同じ。
言葉は口から発する事で使用するっていう子供だったので、今でもそういうところがありますねー。
言えば、なんっにも考えることをしてなかった子供でしたw
人間は、大人になるにつれて色々な失敗をしつつ育っていくわけですが、
私はわりと他人からの誤解を受けることが多かったので、
それは、私の言葉が足りなくて誤解を受けてしまう事からだったんですよ。
全然そういうつもりでなくても、えっ?っていう捉え方をされるので、
こういうときは今度からこう言ってみよう、そうすれば誤解されないかなっていう風にしてシュミレーションを若い時はかなりしましたね。
そのような誤解は殆ど解けることはないです。
相手はそう思い込んでしまっていて、そうじゃないっていうのは通じないんで。
だから最初から誤解のないような話し方をしようとしていた。
そのようにして、コミュ力が上がっていったんだと思います。
まあだから、練習ですよ。
そのシュミレーションの時に脳内で言葉を使って考えてました。
どうして人間は死ぬんだろう
生きるんだろう
私はなんで生きてるんだろう
っていうのも言葉にして脳内で考えてましたけどね。
話は戻ります。
子供の頃の方が感情で生きていて、
理性というのが段々と育っていくわけです。
で、親からの愛が、私の思う愛とは違っていたわけですよ。
子供の頃にはあまり言葉で考えるをしてなかったから、そういう事は考えてないし考えつかなかったですけどね?
でも、大人になると色々とものが分かって来るので、私は親に愛されていなかったって考えるようになります。
その際に、感情ってあまり要らないんですよ。
子供の頃に十分に感情というものを味わって来ているわけですから、もう大人にもなると理性で考えるようになるわけです。
で、答えが欲しいから、加藤泰三の「愛されなかった時どう生きるか」を読むに至ります。
だからさ、こういう時には冷静に考えたらいいんだよ。
子供の頃の感情のままに考えるをするっていう事はやめた方がいい。
伝わったかな?
感情で考えないでいいってこと。
だからさ、いつまでも子供の頃みたいに感情に囚われている状態ではなくなって、物事の道理という筋道も段々に身について来て理性が育って来ることになり、それが大人になるって事だと思います。
って事を言いたかったw
そりゃ人間は感情があるから、
言えば感情を元にして思考をするんだろうけども、
理性ってちゃんと育ってます?
ここでも同じこと言うけどさ、バランス良くってことですよ。
感情のみで考えるのではなく、理性で考えるってこともしないとバランス取れないよって事です。
なんかさ、この前に「大人になっても自分ってあんまり変わらないと思う」とか聞いてさ、
それは切り口が違う話だと思うよ?
そういう切り口で言ったら私も別に変ってはないと思うしねw
言いたいことが伝わったと信じたいw
これ以上のボギャブラリィーは持ってないw
おやすみー。