僕は神奈川県民。
「神奈川県民は全国で最も通勤時間が長い」
というニュースを見て驚愕した。
神奈川県民の通勤時間は年間約408時間。8時間労働に置き換えると、毎年約51日分にもなるという。
さらに、25歳から65歳までの40年間で考えると、
通勤時間の合計は約1万6,300時間。
年間245日、1日8時間働く人の労働時間に換算すれば、
なんと約8.3年分に相当するらしい。
つまり、40年間の会社員生活とは別に、通勤だけで更に約8年分働いているようなものなのだ。
最初は単純に、
「とんでもない時間失ってんじゃん!」
と思った。
でも、少し考えて、別の意味で震撼した。
本当に恐ろしいのは、通勤時間の長さそのものではない。
その膨大な時間を、何に使ってきたのかということだ。
同じ満員電車の中でも、本を読む人がいる。
英会話を聴く人がいる。
資格の勉強をする人がいる。
将来の独立や副業について考える人もいる。
その一方で、毎日スマホゲームをする人もいる。
もちろん、ゲームが楽しくて、それが本人にとって良い気分転換になっているなら、僕はそれも一つの時間の使い方だと思う。
僕がもっとも非効率だと感じるのは、
SNSで他人のキラキラした投稿を眺め、自分の人生と比較して、勝手に自分を不幸だと思い込んでしまうこと。
しかも、そんな人に限って沼から抜け出せない。
SNSに映っているのは、他人の人生の中でもっとも映える瞬間である。
それを、自分の人生の中でもっとも疲れている満員電車の中から眺めているのだから、自分の生活が惨めに見えてしまうのも無理はない。
たとえ同じ電車に乗り、同じ時間を拘束されていても、40年後には大きな差が生まれるだろう。
本を読み続けた人には知識が残る。
英語を聴き続けた人には言語力が残る。
資格を学んだ人には、会社を離れたあとの選択肢が残る。
そして、SNSで他人と自分を比較し続けた人には、
「老後はどうやって生きて行けばいいのか…」
という不安だけが残るのかもしれない。
僕は、定年後の人生格差は、満員電車の中ですでに始まっているのではないかと思った。
他人の人生を見れば、欲しい物は増えていく
他人のキラキラ投稿を見続けていれば、そりゃ欲しい物も増える。
高級ホテル、海外旅行、ブランド品、豪華な食事、新しい車、広い家。
それまで存在すら知らなかった物を見せられ、
「みんな持っている」「これが幸せな生活だ」
と感じる。
そして、それまで何の不満もなかった自分の生活が、急に物足りなく見えてくる。
これはSNSに限った話ではない。
テレビCMも、情報番組も、雑誌も同じだ。
そもそも企業は、消費者の人生を豊かにするためだけに販促活動をしているわけではない。
企業が存続するためには、商品やサービスを買ってもらわなければならない。そのために消費者の購入意欲をかき立てる努力をするのは、当然の経済活動だ。
まだまだ使える物を古く見せ、買い替え意欲を掻き立てる。
今の生活に不安や不足を感じさせる。
その商品を手に入れた自分の姿を想像させる。
僕たちは毎日、
「あなたには、まだ足りない、もっと必要だ」
という情報を浴び続けている。
だから僕は、消費者側にも取捨選択する力が必要なのだと思う。
自分が本当に欲しい物なのか。
今の生活に本当に必要な物なのか。
それとも、他人や広告に見せられたから欲しくなっただけなのか。
それを見極められるかどうかで、同じ収入でも裕福度は大きく変わるのではないだろうか。
とはいえ、僕も見栄のために車を持っていたw
車なんて、まさにディーラーの思う壺(笑)
日本では、5年ほど乗った愛車を安い価格で下取りに出し、それを頭金にして、また新車をローンで購入する。
ローンを払い終える頃には、新しいモデルが魅力的に見えてくる。
そして、まだ十分に走れる車を手放し、再び新しいローンを組む。
僕も若い頃は、まさにその地獄の無限ループの渦中にいた。
今になって思えば、本当に無駄な出費だった。
要するに、若い頃の僕は見栄だけで車を持っていたのだ。
「レンタカーなんてダサいしモテない」
「男なら自分の車くらい持っていて当然」
「いつまでも古いモデルに乗っているのは格好悪い」
そんな社会の風潮に、見事に踊らされていた(笑)
ところが、タイへ行くようになってからは、車に対する感覚の違いに気づいた。
タイでは、驚くほど古い日本車が普通に走っている。
しかも、仕方なく乗っているというより、自分好みにカスタムし、修理しながら大切に乗り続けている人も多い。(借金苦も多いけど)
そこには「古い車」というネガティブな感覚よりも、長く付き合ってきた愛車への愛着が感じられる。
ところが日本では、少し古くなると「型落ち」と呼ばれる。
そして不思議なことに、さらに古くなると、今度は「旧車」「クラシックカー」「ヴィンテージ」と呼ばれ、突然プレミア感が出てくる(笑)。
新車のときは羨望される。
5年経てば型落ち。
10年経てば「まだ乗っているの?」。
でも、さらに乗り続ければ、旧車として格好よくなる。
同じ車なのに、旧車へ育つまでの道中だけが、なぜかダサい(笑)
車自体の価値が途中で消え、突然復活したわけではない。
変わったのは、周囲が与えた呼び名と物語だけだ。
本当に我々日本人は、ネーミングやブランドに弱いのかもしれない。
名前をつければ、新しい消費が生まれる
バレンタイン戦略もそうだ。
昔は「友チョコ」や「自分チョコ」なんて名前はなかった。
好きな男性へ贈る本命チョコと、職場などで配る義理チョコが中心だった。
しかし、本命チョコや義理チョコの需要が減ってくれば、チョコレート業界は困る。
そこで、
友達に贈れば「友チョコ」。
自分に買えば「自分チョコ」。
男性から女性へ贈れば「逆チョコ」。
と、新しい消費行動に次々と名前がつけられた。
すると、それまでバレンタインとは関係のなかった人にも、チョコレートを買う理由が生まれる。
しかも不思議なことに、友チョコや自分チョコに限って、本命チョコ並み、いや、それ以上に高級な商品を選んだりする(笑)
「友達に渡すから、センスのいい物を」
「SNSに載せるから、見た目にもこだわりたい」
「年に一度の自分へのご褒美だから、特別な物を」
そう言われると、数百円の板チョコでは済まなくなる。
本命チョコの需要が減った穴を埋めるための苦肉の策だったのかもしれない。
ところが、贈る対象を友達や自分自身にまで広げ、購入個数だけでなく単価まで引き上げた。
まさに大ヒット戦略である。
そして僕たちは、見事に企業の手のひらで転がされている(笑)
僕たちは商品を買っているようで、実は企業が用意した「買う理由」を買っているのかもしれない。
そして、自らのSNSで宣伝させられるというw
幸せになるために、不幸な時間は必要なのか
以前、誰かがこんなことを言っていた。
「仕事が辛くて耐えた時間があるからこそ、休みの日が楽しい」
でも僕は、この言葉にずっと違和感を抱いていた。
辛い思いをしてまで続ける仕事って何?
毎日耐えなければならない仕事にそこまでしてやる意味ある?
確かに、平日の仕事が辛ければ辛いほど、休日には解放されたような気分になるのかもしれない。
でも、それは幸せというより、単に苦痛から一時的に解放されただけではないだろうか。
マイナスからゼロへ戻った瞬間を、幸せだと感じているだけなのかもしれない。
僕は、休みを楽しむために、辛い仕事に耐えるというコントラストが必要だとは思わない。
寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。
仕事へのやる気が出たときには、とことんやる。
反対に、どうしても気分が乗らない日には無理をしない。
一緒に仕事をしたくない上司の元では働かず、相性の悪い客とは取引しない。
僕にとっては、そんな働き方のほうがよほど精神衛生上いい。(4回クビにはなったけどw)
もちろん、現実には誰もが好きな仕事だけを選べるわけではない。生活のために、多少の我慢が必要なこともあるだろう。
僕の働き方が、誰にでも当てはまるとも思っていない。
ただ、僕は「仕事とは辛くて当たり前」「給料とは我慢の対価」と最初から決めつけたくない。
楽しい休日をつくるために、週5日の苦痛が必要だとも思わない。
1週間の大部分を辛い時間として差し出し、残された休日だけを人生の楽しみにする。
それを何十年も繰り返すには、人生はあまりにも短いと、僕は個人的に思う。
僕が求めていたのは休日ではなく、コントラストを必要としない日常だったのだ。
自分のために使える時間は、いったい何年あるのか
2024年の日本人の平均寿命は、男性約81歳、女性約87歳だという。
しかし、健康上の問題によって日常生活を制限されずに過ごせる「健康寿命」の直近公表値は、男性約73歳、女性約75歳である。
80歳を超えて生きられたとしても、最後まで自由に動き回り、好きなことを楽しめるとは限らない。
そして、生まれてから18歳までは基本的に未成年者として生活する。行動範囲も、お金の使い方も、住む場所も、完全に自分の意思だけでは決められない。
仮に男性の健康寿命を約73歳と考えれば、成人してから健康に動ける期間は約55年しかない。
しかも、その55年間をすべて自分のために使えるわけではない。
人生の約3分の1は睡眠に使う。
学校を卒業すれば仕事が始まり、通勤し、決められた時間に働く。
結婚して家族ができれば、自分だけの意思では決められないことも増えていく。
子育て、家事、親の介護、住宅ローンや車のローン。
どれも人生にとって必要だったり、大切だったりする時間ではある。
それでも、それらをすべて差し引いたとき、本当の意味で自分が自由に使える時間は、いったいどれほど残るのだろう。
人によっては、人生全体を合計しても10年に満たないのではないか。
僕は、そんなことまで考えてしまう。
家族ができても、現パートナーのように同じ価値観で生きてくれる人なら、一緒に過ごす時間は「奪われる時間」にはならない。
一緒に過ごすこと自体が、自分の望んだ時間になるからだ。
しかし、過去のパートナーのように、お互いの価値観が対極にあれば事情は違う。
一方が時間の自由を求め、もう一方が安定や所有を求める。
一方が今を楽しみたいと考え、もう一方が将来のために今を我慢すべきだと考える。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、人生の優先順位が正反対の相手と暮らせば、お互いに相手のための我慢が増えていく。
同じ家に住んでいても、それぞれが自分の望まない人生を生きることになりかねない。
だから僕にとって、パートナーの存在は、単に生活費を分担できるという話ではない。
似たような価値観で、同じ時間を楽しめることが何より大きい。
一緒に飲む時間も、海外で過ごす時間も、家で何もしない時間も、どちらかが犠牲になって付き合っているわけではない。
2人とも、それを望んでいる。
だから、一緒に過ごす時間がそのまま、自分のために使った時間にもなる。
これはあくまで、僕個人の考え方。
人生で何を大切にするかは、人によって違う。
それでも僕は、まだ来てもいない未来のために、確実に存在している今日をすべて差し出してしまうことはできない。
僕が本当に欲しかったもの
だから僕は、すべてを絶った。
メディア広告
他人のSNS
テレビ
雑誌
僕に、
「これを欲しがれ」
「こんな生活を目指せ」
「あなたには、まだ足りない」
と語りかけてくる情報から距離を置くことにしたw
では、そうした情報を遮断した今、どんな気分なのか。
不思議なことに、欲しい物がなくなったわけではない。
本当に欲しい物だけが見えるようになった(笑)
他人が持っているから欲しい物。
新型が発売されたから欲しい物。
古いと思われたくないから買い替える物。
「自分へのご褒美」と名づけられたから欲しくなる物。
そうした外から植えつけられた欲望が無くなり、自分に本当に必要な物だけが残った。
今の僕には通勤時間がない。
いつ休むかも自分次第だ。
だからといって、決して大儲けしているわけではない。
それでも、将来に大きな不安を感じることなく生きていられる。
その理由は、僕には人生を一緒に楽しめるパートナーがいるからだ。
僕が何より優先しているのは、収入を最大化することではない。
パートナーと一緒に過ごす時間を最大化することだ。
一緒にお酒を飲み、くだらない話をして笑う。
タイへ行っても、観光地を巡るわけではない。
ベランダで日本酒を飲みながら、いつもの景色を眺めているだけで幸せなのだ。
その生活に必要な経費を賄えるだけの収入があれば、僕には十分だ。
だからメディアが騒いでいた「老後2,000万円問題」も、気にしたことがない。
もちろん、お金が不要だと言っているわけではない。将来への備えも必要だろう。
ただ、まだ来てもいない老後の不安に支配され、今しか一緒に過ごせない大切な人との時間を犠牲にしたら、何のための人生なのだろうと僕は思う。
お金よりも、時期を選べる余裕
旅行に行きたくなれば、そのときに行く。
とはいえ、僕たちに金銭的な余裕があるという話ではない。
僕にあるのは、お金の余裕というより、時期を自由に選べる余裕だ。
たとえば同じ8月でも、お盆休みと8月末では旅行代金が大きく違う。
同じ正月前後でも、年末年始と1月末では航空券の価格が違う。
夫婦2人で毎年2回、1週間ずつタイへ行くと仮定すれば、お盆と正月に行く場合と、8月末と1月末に行く場合では、年間30万円以上の差が生じる可能性もある。
人が少ない時期だから安い。
人が少ない時期だからサービスが充実している。
人が少ない時期だから待ち時間もない。
そもそも僕は人混みが苦手なので、僕の価値観にはすべてがマッチしている。
というか、僕はその時期にしか出かけない(笑)
安いから仕方なく閑散期を選んでいるのではない。
安くて、空いていて、快適だから、積極的に閑散期を選んでるだけ。
高収入だけが生活を豊かにするわけではない。
自分で時間を選べることには、それ自体に大きな経済的価値があると僕は思っている。
お金があるから自由なのではない。
自由だから、それほど多くのお金を必要としないのだ。
若い頃の浪費も、今では懐かしい思い出
とはいえ、若い頃の生き方を後悔しているわけではない。
当時の僕は、がむしゃらに働いて稼いだ。
もっと欲しいからギャンブルには積極的だった。
そしてボロ負けしたw
見栄を張り、欲しい物を買い、ずいぶん浪費もした。
今の価値観だけで振り返れば、
「なんてもったいないお金の使い方をしたのだろう」
と思うこともある。
でも、それらがすべて無駄だったとは思わない。
今では、懐かしい思い出とネタとして残っている。
思い切り働き、稼ぎ、遊び、お金を使ったからこそ、見栄で買った物が自分を満たすのは一瞬だけだということも知った。
もし若い頃から何もせず、ひたすら我慢して節約していたら、今になって、
「あのとき、もっと遊んでおけばよかった」
と思っていたかもしれない。
僕は、最初から悟っていたわけではない。
散々やったから、もう十分だと思えるようになったのだ(笑)
だから、若い人に「遊ぶな」「浪費するな」と言いたいわけでもない。
失敗や無駄遣いに見える経験が、その人なりの価値観をつくることもある。
ただ、若い頃に楽しかった生き方が、今の自分まで幸せにするとは限らない。(実際に自殺した友人もいる)
過去の自分を否定する必要はない。
今の自分に合わなくなったものだけを手放せばいい。
結局、すべては時間の話だった
神奈川県民の通勤時間から始まり、SNS、車、バレンタイン、広告、仕事、家族、旅行、パートナーとの生活まで、ずいぶん話が広がった。
でも、結局これはすべて「時間」という概念についての話なのだと思う。
通勤に使う時間。
学ぶために使う時間。
他人と比較して落ち込む時間。
見栄のために買った物の代金を稼ぐ時間。
ローンを返すために働く時間。
旅行へ行く時期を選べる自由時間。
大切な人と一緒に過ごす時間。
そして、若い頃に思い切り働き、遊び、浪費した時間。
僕たちは、お金を使って生きているようで、実際には自分の時間を使って生きている。
何かを買うということは、その代金を稼ぐために費やした自分の時間と交換することでもある。
だから僕は、人生の豊かさとは、持っているお金や物の多さだけではないと思っている。
いつ働くのか。
いつ休むのか。
どこへ行くのか。
誰と一緒に過ごすのか。
それを自分の意思で選べることこそが、人生の豊かさに直結する。
これは、あくまでも僕個人の価値観。
仕事を最優先する人がいるのは当然。
たくさん稼ぎ、欲しい物を買うことに幸せを感じる人もいる。
家族のために働くことが生きがいの人もいれば、安定した会社に勤めることで安心できる人もいる。
どれが正解で、どれが間違いという話ではない。
ただ僕は、自分の限られた時間を、世間や企業、他人の価値観に決めてもらいたくない。
今の僕が一番欲しいのは、物ではない。
大切なパートナーと、自由に使える時間だ。
それにしても、通勤時間に8.3年も費やしているなんて、
いまだにリゲインすぎるw
SwyAXXYXX
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元大型長距離ドライバー
AXXYXXアクスイクス,SensitiveAudit,Healy,LifeWave
周波数・波動機器使い比べ好き勝手発信中
《45歳~引き寄せたもの》
愛息/愛妻/愛娘/行政書士/宅建士/測量士補/AFP(FP2級)/小型船舶1級他