君はこの世に生まれて何をした?

君はこの世に生まれて何をした?

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私は、あと4年で年金繰上受給できる就職氷河期初期世代。

同世代と話をしていると、最近よく出てくるのが「定年後」の話だ。

そして多くの人が、定年退職に戦々恐々としている。

理由を聞くと、だいたいお金。

「定年退職で収入が激減する」

「再雇用になっても給料が下がる」

「年金だけじゃ生活できない」

まあ、確かにそうかもしれない。

会社から毎月振り込まれていた給料がなくなれば、不安になるのも分かる。

でも私は、そんな彼らを見ていて時々思う。

君はこの世に生まれて、何をした?



ここからは、自分の番じゃない?

我々世代も、先代に負けずによく働いたと思う。

学校を卒業して会社に入り、結婚して、子供ができて、住宅ローンを払い、教育費を払い、家族を養う。

気がつけば何十年。

もちろん、それは立派な人生だと思う。

家族のために使った時間を無駄だったなんてまったく思っていない。

でも、子供も大きくなり、住宅ローンや教育費といった責任も少しずつ軽くなっていく。

そして定年を迎える。

普通はここで、

「収入が減る」

「肩書きがなくなる」

「会社という居場所がなくなる」

と考える。

でも見方を変えたら、全然違うんじゃないだろうか。

自分の時間が返ってくる。

これまで家族のため、会社のため、誰かのために使ってきた時間を、これからは自分のために使える。

だったら、

ここからは自分の番じゃない?



定年って、人生の下り坂が始まる日じゃなく、

自分の時間が返還される日

とも取れるのかもw



昔から「友達100人」なんて戯言だと思っていたw

子供の頃、

「友~達~100人~で~きる~かな~?」

という謎の歌があった。

でも私は子供の頃から、

100人も覚えられんしw

と思っていた。

別に大人になって人間関係の大切さに気づいたとか、そういう深い話じゃない。

単純に、

そんなにたくさんの人に興味がなかったw

でも大人になってみると、世の中には「数が多いほどいい」とされるものがものすごく多いことに気づく。

友達の数

年収

貯金

肩書

フォロワー

いいね

もちろん数字は便利だ。

目標にもなるし、自分の現在地を知る指標にもなる。

もちろん、私だって数字は見る。

問題は、

その数字の次に何があるのか?

ということだと思う。

フォロワー1万人。

それで何がしたいの?

年収1,000万円。

それで何がしたいの?

貯金5,000万円。

それで何がしたいの?

そこに答えがあるなら、数字は立派な手段になる。

でも答えがなくなった瞬間、

数字そのものが人生の目的になってしまう。



「そんなのに参加したらフォロワーが減っちゃう」

知り合いのマダムに、沼人がいる。

あるとき友人からダンスの発表会に誘われたらしい。

普通なら、

「行きたいか?」

「行きたくないか?」

で考えると思う。

ところが彼女が言ったのは、

「そんなのに参加したらフォロワーが減っちゃう」

だった。

私は思った。

あんたはいったい誰の人生を生きてるの?w

行きたいなら行けばいい。

行きたくないなら行かなければいい。

でも、その判断基準が、

「フォロワーが減るかもしれない」

になっている。

いつの間にか自分の気持ちより、画面に表示される数字のほうが上になっている。

これって結構怖いと思う。

まさに数字の沼でもがいている。



Instagramも会社も、誰かが作ったプラットフォーム

考えてみれば、Instagramも会社員も似たところがある。

Instagramには、

フォロワー数、いいね、アルゴリズムがある。

会社には、

給料、役職、評価、人事制度がある。

どちらも、

誰かが作ったシステムの中で評価される世界

だ。

もちろん、それ自体が悪いわけじゃない。

私だって会社員として働いていた時代もあれば、Instagram広告を使いまくってるw

便利なものは使えばいい。

問題は、

そのプラットフォームと自分自身を同一化してしまうこと。

Instagramがなくなったら?

フォロワー1万人という数字はどうなる?

会社を定年したら?

「○○部長」という肩書きはどうなる?

プラットフォームが終わった瞬間に自分まで空っぽになってしまうなら、それは少し危ない。

プラットフォームを利用するのと、プラットフォームに人生を預けるのは違う。



スマホもAIも、みんな持っている

昭和時代と比べれば、今はとんでもなく便利な時代になった。

スマホがある

パソコンがある

インターネットがある

そして今はAIまである

昭和時代なら何日もかけて調べていたことが、今なら数秒。

でも、ここで一つ問題がある。

みんな持ってるんだよねw

自分だけがスマホを持っているわけじゃない。

自分だけがGoogleを使えるわけじゃない。

AIだって、これからますます誰でも使うようになる。

だから、

「AIを使える」

ことに大した価値はない。

重要なのは、

それを使って何をするのか。

現時点では、そこに戻る。

道具は進化しても、それを使う人間が、

「何をしたいのか?」

を持っていなければ何も始まらない。



私の投資の師匠は、元々得意先の課長だった

私には、投資の師匠と呼んでいる人がいる。

今ではFXで億単位のお金を動かす、いわゆる億トレーダーだ。

でも、私たちの出会いは投資とはまったく関係ない。

約25年前。

彼は東証一部上場企業の課長。

私は中小レベルの倉庫運送会社の部長だった。

彼の会社は売上の90%を超える超お得意さま。

つまり最初は、

上場企業の課長と、取引先である倉庫運送会社の部長。

完全な仕事上の付き合いだった。

それがいつの間にか、プライベートでも付き合うようになった。

そして彼は40代で早期退職する。

当時の年収は800万円前後だったと思う。

今のように「FIRE」なんて言葉が飛び交う時代じゃない。

終身雇用や年功序列がまだ当たり前のように信じられていた時代だ。

そんな時代に、

目の前にある年収800万円前後の安定を、自分から手放した。

その後、地元で後継者のいなかった新聞販売店を買い取り、経営を始めた。



最初は二人とも、ど素人だったw

ほどなくして、私が彼に投資や競馬、FXなんかを誘い教えた。

こう書くと、私が投資の達人だったみたいだけど、

二人とも完全など素人ですw

当然、さんざん負け倒した。

私自身もこれまで軽く1,000万円以上は負けている。

そして彼はなんと!

約25年間の累計で3,000万円以上。

途中では、早期退職でもらった退職金にまで手をつけた。

私がきっかけを作っただけに、

「めっちゃ悪いことしてしまった……」

と、さすがに罪悪感に浸ったこともあるw

でも彼は、元々ものすごく研究熱心な人だった。

競馬でも私のように勘だけで馬券を買うのではなく、過去のデータを集め、条件を分類し、傾向を調べ、自分なりの理論を作りレース展開を想像していた。
(ちなみに私が想像するのはゴール前の直線だけw)

要するに統計論だ。

今ならAIにデータを渡せば、

「これ分析してちょw」

で秒で終わるようなことを、当時は自分の頭と手でやっていた。

そして、その研究癖をFXにも持ち込んだ。

まず、ダウ理論に関する書籍を徹底的に読みあさり、

負ける。

そしてまた調べる。

仮説を立てる。

試す。

また負けるw

修正する。

また試す。

それを繰り返した。



そして25年目のある日、突然ゾーンに入った

彼は25年間ずっと同じように負け続けていたわけじゃない。

研究を重ねるうちに、徐々に負けが少なくなっていった。

大きく負けていたものが小さくなる。

負ける回数が減る。

自分なりの理論が少しずつ形になっていく。

でも、いわゆる華々しい成功者になったわけではない。

そんな時間が長く続いた。

それでも彼は研究をやめなかった。

1年でもない。

5年でもない。

10年でもない。

25年間。

そして去年。

まるで突然ゾーンに入ったかのように、それまで積み重ねてきたものが一気につながった。

そして、

億トレーダーになった。

私が投資やFXを教えたはずの人が、いつの間にか私の師匠になっていたw



「諦めなければ夢は叶う」ではない

私は、

「諦めなければ夢は叶う」

という言葉を、あまり信用していない。

だって、そんな保証はどこにもないからw

何十年努力したって叶わないことはある。

努力した人全員が成功するわけでもない。

でも師匠を見ていると、よく似ているけど意味がまったく違う言葉が浮かぶ。

「諦めなければ夢は叶う」んじゃない。

「夢が叶うまで、諦めなかった。」

彼はまさに、それを体現してみせた。

成功する保証があったから25年間研究したわけじゃない。

研究することにただ夢中だっただけ。

負けたから考えた。

考えたからまた試した。

そして、それをやめなかった。

振り返ってみたら、

夢が叶うところまで続いていた。



ちなみに師匠はアクスイクスなんて知らないw

ちなみに彼は、

アクスイクスなんて一度も使っていないw

私が普段使っている言葉で言えば、

「FXで億トレーダーとして生きている」

というアファメーションを見事に達成したことになる。

では私はどうなのか?

実は私自身、

アクスイクスに、

「億トレーダーとして生きている」

というアファメーションを入力して、かれこれ4年以上になる。

そして現在……

未だに億トレーダーにはなっておりませんw

一方の師匠。

アクスイクスを一度も使わず、25年間研究。

そして億トレーダー。

今のところ、

収入面でみれば師匠の圧勝だw

アクスイクスを扱っている本人がこんなことを書いて、営業的に大丈夫なのかとも思うけど、事実だから仕方ないw

でも、この二人を比べてみると、ものすごく当たり前のことにも気づく。

とはいえ師匠はべつに、

「億トレーダーになりたい」

と願っていたわけじゃない。

ただ、指標にはしていた。

そして25年間、研究した。

私は4年間アファメーションを入力してのんびり過ごしている。

師匠は25年間、自分自身を使って実験してきた。

そりゃ強いわw

ちなみに私のAXXYXXアファメーションについては、達成するまで継続しますw



でも億トレーダーになった彼にも、取り戻せなかったものがある

そんな師匠が、あるとき私にこんなことを言った。

「仕事ばかりで子供の成長を見る間もなかった。もっと子供と遊んでやればよかった。」

私は、この言葉が妙に心に残っている。

お金を持っていない人が、

「金なんて大したことないよ」

と言っているわけじゃない。

実際に億というお金を作った人が言っている。

彼は約25年間で失った3,000万円以上のお金を、結果的には取り戻すことができた。

会社を辞めても、上場企業サラリーマン生涯年収を超える資産を築くことができた。

60代後半のある日突然にだ。

でも、

子供が小さかった頃の時間だけは取り戻せなかった。

億のお金があっても買い戻せない。

彼自身が言っていた。

「お金は年を取ってからでも稼げる。でも、子供との時間は二度と戻らないし、お金でも買えない。」

要するに、今という時間は二度と戻らないってこと。

これを億トレーダー本人から直接聞くと、すごく重く感じた。

私たちは、増やせるもののために、増やせないものを使っている
考えてみれば、お金は増やせる可能性がある。

フォロワーも増やせる。

資産も増やせる。

会社なら売上だって増やせる。

でも、

時間だけは増やせない。

それなのに私たちは、

増やせるものを増やすために、増やすことのできない時間を使っている。

もちろん、それが悪いわけじゃない。

お金だって必要だ。

仕事だって必要だ。

私だって億トレーダーになりたいw

でも問題は、

何のために?

というところだと思う。

年収1,000万円。

その次は?

フォロワー1万人。

その次は?

資産1億円。

その次は?

その数字を手に入れた先に、自分がやりたいことがあるならいい。

でも数字を増やすこと自体が人生の目的になってしまったら、いつまで経っても終わらない。



『死ぬ瞬間の5つの後悔』

『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本がある。

緩和ケアに携わった著者が、人生の終わりを迎える人たちとの経験からまとめたものだ。

その中には、

「もっと自分に忠実に生きればよかった」

「そんなに働きすぎなければよかった」

「もっと挑戦すればよかった」

という趣旨の後悔が出てくる。

これを読んで思う。

文明はこれだけ進歩した。

スマホもある。

インターネットもある。

AIまである。

でも、

人間が最後に後悔することって、案外昔から変わっていないんじゃないか。

もっと自分の人生を生きればよかった。

もっと大切な人との時間を大事にすればよかった。

もっと自分を幸せにしてやればよかった。

結局そこに戻ってくる。

文明は進歩しても、人間の幸福を決める基本原則は、それほどアップデートされていない。



私は今のほうが「生きてる」感じがする

私自身、今はトライ&エラーの真っ只中にいる。

いろんなことをやっている。

うまくいくものもある。

全然ダメなものもあるw

会社員時代と比べれば、客観的には不安定なのかもしれない。

でも不思議なことに、

今のほうが不安は少ない。

そして何より、

生きてるって実感するw

たぶん私にとっての「安定」の意味が変わったんだと思う。

昔は、

「明日も今日と同じ状態が続くこと」

が安定だった。

今は、

「明日状況が変わっても、自分で考えて次の一手を打てること」

のほうが安定に感じる。

誰かが作ったシステムの中で一番になることより、

小さくてもいいから、

自分で考えて、自分で作った仕組みをこの世に一つ残して息子に自慢してみたいw

会社じゃなくてもいい。

商売でもいい。

教室でもいい。

サービスでもいい。

投資法でもいい。

作品でもいい。

生き方そのものでもいい。

人生で一つくらい、

「これは俺が考えて作ったやつ☆」

と言えるものがあったら最高。

誰かが作った世界で一番になるより、

小さくても自分の世界を一つ作る。

私は今、そっちに興味がある。



定年したら、本当に人生は小さくなるのか?

だから私は、定年を目前にして、

「これから収入が減る」

と戦々恐々としている同世代を見ると、こう思う。

本当にそうなの?

会社からもらう給料がなくなることと、

あなたがお金を生み出せなくなることは、まったく別の話じゃね?

私の師匠は40代で、上場企業の課長という立場と、目先の年収800万円前後という安定を手放した。

その後25年間研究を続け、60代後半になって億トレーダーになった。

もちろん、誰もがそうなるわけじゃない。

むしろ、そんな保証はどこにもない。

でも少なくとも、

会社から給料をもらう人生が終わるだけで、あなた自身の可能性まで定年するわけじゃない。

それだけは言えると思う。

そして私らの世代には、若い頃にはなかったものがある。

経験。

知識。

失敗。

人脈。

そして何より、

これから少しずつ返ってくる、

自分の時間。

それを全部、

「定年したから再雇用!」

「みんな働いているから働く!」

「何もしないのが怖いから働く!」

という理由だけで、もう一度どこかの会社に残された貴重な時間を全部売る必要があるんだろうか。

もちろん仕事が好きなら働けばいい。

お金が必要なら働けばいい。

私だって働くかも?

でも、

「自分は残りの時間を何に使いたいのか?」

を一度くらい考えてからでも遅くないと思う。



君はこの世に生まれて、何をした?

家族のために働いた。

子供を育てた。

会社のために頑張った。

住宅ローンを払った。

それだけでも十分だと思う。

よくやった。

だからこそ、

ここからは自分の番じゃない?

私の師匠は25年間、自分なりにチャートを研究した。

そして結果として億トレーダーになった。

でも私がカッコいいと思うのは、「億」という数字より、

25年間、自分が面白いと思ったことを研究し続けた

という事実のほうだ。

私自身はまだ途中。

アクスイクスに4年以上、

「億トレーダーとして生きている」

と入力して気楽に過ごしているけど、未だ達成していないw

それでもいい。

まだ人生は終わってない。

これから何になるのか、自分でも分からない。

だから面白い。

人生の最後に、

もう一度、自分自身に聞いてみたい。

君はこの世に生まれて、何をした?

そのとき、

大したことでなくてもいい。

一つくらい、

「これは自分で選んで、自分でやった」

と言えるものがあれば、私はそれで十分だと思う。

家族のために生きた時間。

会社のために使った時間。

誰かのために頑張った時間。

それはそれで、もう十分。

ここからは、自分の番だ。

さて。

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