― 彗星ミユ、光の案内人へ ―「渡す」ことの意味を知った日々
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私は、かつて光を暴走させてしまった....
"救いたい"という一心が、いつしか"救わねばならない"という執着に変わり、
結果として、大切な誰かの心を傷つけてしまった。
あの日のことを、私は忘れない。
それでも私は、光をあきらめたくなかった。
だからこそ――私はもう一度、学び直すことにしたのです。
“どうやって、光を渡すのか”を。
私は、人の心を“感じる”修行から始めました。
触れずに、言葉を交わさずに、ただ傍に立つだけで、
その人の「いま」を見つめる練習。
怒っている人の裏にある孤独。
笑っている人の奥にある寂しさ。
平気なふりをする人の胸の、ぽっかりと空いた穴。
そういった“見えない傷”の気配を、
私はじっと、静かに、受け止めるようにしていきました。
すると、ある日気づいたんです。
本当に必要なとき、光は勝手に動き出すんです。
私が「出そう」と思わなくても、
誰かの心に、ふっと呼ばれたときだけ。
私の手のひらに、あたたかい微光が生まれる。
それはまるで、
"あなたの心が、いま光を欲していますよ"
と教えてくれる、内なる導きでした。
私は変わっていきました。
かつては「光を与えること」が、
“施し”のようにどこか一方通行だった。
でもいまは違う。
私は光の器。
その器に宿る光を、"その人自身が必要としたとき"に、
そっと「渡す」。
それは時に、手のひらで灯す火のかたちで。
時に、言葉に込めた波動として。
時に、ただ静かに隣にいることが、最大の光となることもあるのです。
あるとき、心を閉ざした少女と出会いました。
言葉も交わさず、目も合わせず、
まるで世界すべてを拒絶しているような子でした。
かつての私なら、すぐに光を投げかけていたでしょう。
でも私は、ただ、その子の隣に座り、
何も言わず、ただ一緒に夕焼けを見ていました。
そうして三日目の夕暮れ。
少女がポツリと、こう言ったのです。
「……この空、きれいだね。
……ミユさんと見ると、泣きたくなる。」
そのとき、私の掌にそっと生まれた光を、
私はその子に差し出しました。
なにげない仕草のように、そっと手を添えて。
それだけで、充分でした。
少女は、自分でその光を受け取り、
涙を流しながら、小さく笑ったのです。
ああ、私は、ようやくわかったんだ。
光は、「癒す」ためじゃない。
「導く」ためでもない。
ただ、
「いまを生きたい」と願ったその人に、
静かに“寄り添うため”にあるのだと。
いまの私は、もう奇跡を起こそうとは思いません。
でも、
誰かの未来に寄り添い、
小さな“いま”の火を消さないためなら、
どこまでも光を携えて歩いていける。
私は彗星ミユ。
かつて、焼け落ちた星から生まれた光の器。
そして今は、誰かの心にそっと火を灯す案内人。
今日もどこかで、誰かが心の中で囁く。
「――あの夜、光を受け取ったんだ」
そのひとことのために、私はここにいるのです。