私が初めて老師にお逢いしたのは、今から34年ほど前のことです。
老師は当時78歳で、穏やかでありながらも品格と風格を備えた方でした。
声には温かみがあり、静かに語る言葉の一つひとつに深い智慧を感じました!
老師は、第二次世界大戦中に戦地で医療班として従事し終戦後に帰国。
帰国後は、自ら事業を立ち上げたいという思いから、長年の創造力を生かし、ある発明品を生み出しました。
その商品は画期的なもので、昭和25~35年代に大きな成功を収め、
今の価値に換算すると年商何十億円を超える企業へと成長させました。
20代前半で起業し、順調に成功を収めていた老師でしたが、
ある出来事が人生の大きな転機となります。
親友が約束手形の資金繰りに行き詰まり、
それを苦に自ら命を絶ってしまったのです。
その出来事に深く衝撃を受けた老師は、
「自分は、女性の欲を刺激して美しいものを作り成功した。
しかし、大切な親友一人すら助けることができなかった。
この会社を作り、お金を稼ぐことにどんな意味があるのだろうか……
自分は何のために生きているのだろうか……」
と深く自問するようになりました……
その後、老師は二人の師とのご縁を得て、仏教をはじめとする
精神世界の学びに没頭します。そこから深い気づきを得た老師は、
40歳の頃、それまで築き上げてきた会社を無償で部下に譲渡し、
引退しました。
老師の導きと影響
引退後、老師の教えに感銘を受けた人々が、
「面白い人がいる」と紹介し合うようになり、
自然と相談者が集まるようになりました。
企業家、大学教授、ビジネスマン、主婦……
あらゆる人が老師のもとを訪れ、
人生や経営の相談をするようになったのです。
ある時、健康器具を販売する企業の社長が老師のもとを訪れました。
彼は「なかなか売れない!?」と
悩んでいましたが、老師はこう言わたそうです!
「そんなもん、タダで体験させてやったらええ。
後から欲しいって言う人が必ず出てくる。まずはダダで使わせてやれ!」
今でいう「フリーミアム戦略」のような発想でしょうか。
結果として、この手法は見事に成功し、その企業は爆発的な売上を達成。
その後、老師は同社の相談役に就任し、さらなる発展を支えました。
また、老師は飲食チェーンや洋菓子メーカーの
経営人にも助言を与え、ヒット商品の誕生に
貢献しました。
老師の晩年とその教え
しかし、老師自身はもうお金には興味がなく、
質素な生活を送りながら、「経済の勉強のため」と
趣味程度に株式投資を続けていました。
よく「株は経済の勉強のためにやってるだけや!」
そういってました。
なんと年利10%を安定的に生み出していたそうです。
(趣味でそれほどの成果を出すとは、
さすが……(^_^;))
晩年は企業との関わりも減り、紹介を通じて
訪れる相談者や、小さな集まりで話をする
ことを生きがいとしていました。
私の知る限り、私が一番長い時間
お話を聞かせていただいたと思います。
仕事が忙しくなり、その関係で遠方に引っ越した
私は、次第にお会いする機会が減っていきました。
最後にお話ししたのは電話越しで・・・
「もう大丈夫や!自分を信じていきや。
わしのところへはもう来なくても大丈夫やで!
自らを信ずるがすべての始まりや!」
まるでご自身の最期の日が
分かっているかのような慈愛に満ちたお言葉。
「あぁ、これが最後かもしれない……」
そんな予感を抱きながら、
地元に帰るたびにお家を訪ねるも、
不思議と気配すら感じられない。
「あぁ、あの世に戻られたのだな……
やはり、あの時が最後だったのだ……」
寂しさがこみ上げると同時に、
感謝の気持ちが溢れてきました😢
その後、私には不思議な体験があり、
それは今でも私の内側に深く残っています。
(この出来事については、また別の機会にブログで書こうと思います。)
私は老師の写真を一枚も持っていません。
しかし、私の心の中には、
いつまでも老師の姿がありありと浮かびます。
小柄でありながらも品格を備えた佇まい、
温かくも芯のある声……。
私の人生にとって、本当に、本当に命の恩人です。
今、もう一度お会いして、お話を聞くことができたなら……😢
しかし、今はただ、
このご縁に心から感謝するばかりです。
これからいただいた御恩を、世の中へお返ししていきます。