最近、食品への消費税について考える機会がありました。
物価高が続く中で、食品の消費税を下げるべきかどうかという議論があります。
その中でよく聞くのが、
「食品の消費税を下げると、お金持ちにも恩恵がある」
「高い食材を買う人ほど、減税される金額が大きくなる」
「だから食品減税は、本当の意味で低所得者対策にならない」
という意見です。
たしかに、数字だけを見ればそういう面はあります。
1,000円の食品を買う人より、10,000円の食品を買う人の方が、減税される金額は大きくなります。
けれど、私はこの考え方に少し違和感があります。
なぜなら、食べることは単なる消費ではないからです。
人は、食べなければ生きていけません。
お金持ちであっても、そうでなくても、腹が減れば同じように食べます。
お金持ちになったからといって、ご飯を人の3倍食べるわけではありません。
誰しも、結局は一人分の体で、一人分の命を生きています。
食事は、命をつなぐ根本的な営みです。
体を作り、心を支え、明日を生きる力になります。
だからこそ、食品への課税を「誰がいくら得をするか」だけで見るのは、少し狭い見方ではないかと思うのです。
もちろん、格差の問題はあります。
所得の高い人と、日々の生活に苦しむ人の負担能力が同じではないことも事実です。
しかし、その調整は本来、所得税や資産への課税などで行うべきではないでしょうか。
生きるために必要なものは、できるだけすべての人に同じ条件で届くようにする。
そして、稼いだ分については、所得や資産という出口で、累進的に負担する。
この分け方の方が、私は人間らしいと思います。
食べるという命の入口で、
「高いものを買える人からは多く取ればいい」
「お金持ちにも得になるから、食品への負担を軽くする必要はない」
と考えてしまうと、どこかで人間の尊厳を見失ってしまうように感じます。
良い食材を選ぶことは、必ずしも贅沢とは限りません。
農薬を減らした野菜。
添加物の少ない食品。
きちんと育てられたお米や肉や魚。
土づくりに時間をかけた農産物。
こうしたものは、ただ高級だから選ばれるのではありません。
健康を守りたい。
家族に良いものを食べさせたい。
自分の体を大切にしたい。
そういう思いから選ばれることもあります。
それを単純に「高いものを買える人への優遇」と見るのは、少し乱暴ではないでしょうか。
むしろ、食べ物に負担が重くかかる社会は、結果としてこうなりやすいと思います。
安い食品ほど買いやすくなる。
手間をかけた食品ほど遠ざかる。
体を整える食事ほど、手に入りにくくなる。
これは、未病という視点から見ても、あまり良い形ではありません。
病気になってから医療費をかけるより、日々の食事で体を整える方が、本来は自然なはずです。
それなのに、命を支える食べ物がどんどん遠ざかっていくなら、社会全体が未病を深めてしまうようにも見えます。
食事は、贅沢の前に命です。
商品である前に、人間が生きる土台です。
だから私は、食品への税について考えるとき、単に「誰が得をするか」だけではなく、
「人間が生きることを、社会がどう扱うのか」
という視点も必要だと思います。
貧しい人も、豊かな人も、一人の人間として食べて生きています。
その当たり前のことを忘れてしまうと、制度はどこか冷たいものになります。
制度は人間のためにあるはずです。
人間が制度に合わせて、命の根本まで削られるべきではないと思います。
そしてこれは、占いや人生相談にも通じることだと感じています。
悩んでいる人を、弱い人として見るのではなく、
一人の人間として尊厳を持って見ること。
不安を抱えている人を、依存させる対象として見るのではなく、
自分の状態を整え、自分の足で歩くための存在として見ること。
食べることが命の根本であるように、
悩むこともまた、その人が真剣に生きている証です。
私は、占いと中医学の視点を使いながら、
その人の悩みを決めつけるのではなく、今の状態を一緒に整理していきたいと思っています。
人は、迷っていても尊厳があります。
不安の中にいても、その人自身の人生があります。
だからこそ、占いは人を縛るものではなく、
自分の感覚を取り戻すための道具でありたいと思っています。