ここまで、依存と未病の関係について書いてきました。
甘いもの。
カフェイン。
ジャンクフード。
ダイエット。
ご褒美。
SNS。
旅行。
占い。
一見すると、それぞれ別の問題に見えます。
しかし、根っこには共通しているものがあります。
それは、人が苦しいとき、外側から自分の状態を変えてくれるものを求めやすいということです。
甘いものを食べると、少し楽になる。
コーヒーを飲むと、少し動ける。
SNSで反応があると、少し満たされる。
旅行に行くと、少し解放される。
占いで答えをもらうと、少し安心する。
これらは、すべて一時的に自分の状態を変えてくれます。
だからこそ、人はそれを何度も求めるのです。
■ 依存は「幸福の取り違え」から始まる
依存は、単に何かをやめられない問題ではありません。
もっと深く見ると、
幸福とは何かを取り違えてしまう問題
でもあります。
現代では、幸福が分かりやすい形で並んでいます。
おいしいもの。
おしゃれなもの。
楽しい場所。
旅行。
買い物。
反応の多い投稿。
誰かに認められること。
もちろん、これらは悪いものではありません。
人生を豊かにしてくれるものでもあります。
しかし、これらがないと満たされない状態になると、幸福は外側にあるものになってしまいます。
すると、人は常に次の刺激を探すようになります。
■ 刺激型の幸福
刺激型の幸福は、分かりやすいものです。
甘いものを食べた瞬間。
買い物をした瞬間。
SNSで反応が来た瞬間。
旅行先できれいな景色を見た瞬間。
誰かに褒められた瞬間。
そのときは、確かに気分が上がります。
しかし、刺激型の幸福には特徴があります。
それは、長くは続きにくいということです。
一度上がった気分は、やがて元に戻ります。
元に戻ると、また次の刺激が欲しくなります。
この繰り返しが強くなると、幸福は「得るもの」になっていきます。
もっと食べたい。
もっと見たい。
もっと買いたい。
もっと行きたい。
もっと認められたい。
この「もっと」が続くと、心は休まりにくくなります。
■ 安定型の幸福
一方で、もう一つの幸福があります。
それは、安定型の幸福です。
体調が大きく崩れていない。
不安に振り回されすぎない。
食事が安定している。
よく眠れる。
自分で判断できる。
日常の中に小さな満足を感じられる。
人と比べすぎない。
刺激がなくても落ち着いていられる。
これは、刺激型の幸福ほど派手ではありません。
SNSに載せても映えないかもしれません。
でも、この幸福は人生の土台になります。
何か特別なことがなくても、今日をある程度穏やかに過ごせる。
これは、とても大きな幸福です。
■ 未病とは、幸福を感じる力が落ちた状態でもある
未病とは、病気になる前の状態の乱れです。
しかし私は、未病を体だけの問題とは考えていません。
未病とは、判断力が落ちることでもあります。
欲求に振り回されやすくなることでもあります。
そして、幸福を感じる力が落ちることでもあります。
本当は、日常の中にも小さな満足はあります。
温かいご飯。
よく眠れた朝。
季節の変化。
何気ない会話。
少し体が軽い日。
安心して休める時間。
でも、状態が崩れていると、それらを受け取る力が落ちます。
すると、もっと強い刺激でないと満たされなくなります。
これが、依存と未病がつながる大きな理由です。
■ 人生には苦がある。それでも世界は美しい
仏教では、人生には苦があると説かれます。
思い通りにならないこと。
老いること。
失うこと。
欲しいものが得られないこと。
嫌なものと向き合わなければならないこと。
人は、そうした苦の中を生きています。
だからこそ、甘いものに救われる日もあります。
旅行に行きたくなる日もあります。
誰かに認められたくなる日もあります。
何かにすがりたくなる日もあります。
それは弱さではなく、人間として自然なことです。
ただ、それでも私はこう思います。
人生には苦がある。
それでも、世界は美しい。
旅行先だけが美しいのではありません。
特別な日だけが美しいのでもありません。
誰かに認められた瞬間だけが価値ある時間なのでもありません。
私たちは、すでに美しい世界に住んでいます。
ただ、疲れすぎていると、それが見えなくなります。
不安が強いと、それを感じられなくなります。
依存に振り回されていると、目の前のものを受け取る力が弱くなります。
だから必要なのは、もっと強い刺激を探すことではありません。
世界を感じられる状態に戻ることです。
■ 依存から抜けるとは、感じる力を取り戻すこと
依存から抜けるというと、何かを我慢することのように思われがちです。
甘いものをやめる。
カフェインを減らす。
SNSを見ない。
買い物を我慢する。
旅行を控える。
もちろん、必要に応じて距離を取ることは大切です。
しかし本質は、そこだけではありません。
依存から抜けるとは、
感じる力を取り戻すこと
でもあります。
食事を整える。
睡眠を整える。
休息を取る。
自分を責めすぎない。
不安を見つめる。
日常を少し整える。
自分で判断できる状態に戻る。
そうすると、強い刺激に頼らなくても、少しずつ日常を受け取れるようになります。
そのとき、幸福は外から取りに行くものではなく、今の状態の中から感じられるものに変わっていきます。
■ 命縁弁証学で見る幸福
命縁弁証学では、人生を「命」「縁」「果」「行」の流れで見ます。
生まれ持った傾向がある。
今の環境がある。
その結果として、悩みや行動が現れる。
そして行動によって、未来が少しずつ変わる。
依存も同じです。
依存だけを見ても、本当の問題は見えません。
なぜそれが必要になったのか。
どんな状態を補っていたのか。
何が乱れていたのか。
どこを整えれば、自分で選べるようになるのか。
ここを見る必要があります。
幸福も同じです。
幸福を外側の刺激だけに求めると、常に次の何かが必要になります。
しかし、自分の状態が整ってくると、幸福は少しずつ内側に戻ってきます。
それは、特別な快感ではありません。
自分の人生を自分で選べている感覚。
今日を何とか生きられる安心感。
小さな美しさを受け取れる余裕。
刺激に振り回されすぎない静けさ。
そうしたものが、幸福の土台になるのだと思います。
■ 依存は悪ではなく、道しるべでもある
ここまで依存について書いてきましたが、依存をただ悪いものとして扱いたいわけではありません。
依存は苦しみを生むことがあります。
人生を狭めることもあります。
判断力を奪うこともあります。
しかし同時に、依存は自分の状態を教えてくれるサインでもあります。
甘いものがやめられないなら、疲れや不足があるのかもしれません。
カフェインが手放せないなら、休めていないのかもしれません。
SNSを見続けてしまうなら、不安や孤独があるのかもしれません。
旅行ばかり求めるなら、日常が苦しくなっているのかもしれません。
占いに答えを求め続けるなら、自分で判断する力が弱っているのかもしれません。
依存は、責めるものではなく、見立てるものです。
そこに、未病を整える入口があります。
■ まとめ
依存を減らすことが、このシリーズの最終目的ではありません。
ダイエットに成功することだけが目的でもありません。
本当に目指したいのは、
刺激に振り回されず、自分で選べる状態に戻ること
です。
幸福とは、強い快感をたくさん集めることではありません。
幸福とは、状態です。
体がある程度整っていること。
心が少し落ち着いていること。
自分で判断できること。
日常の中にある小さな美しさを受け取れること。
人生には苦があります。
それでも、世界は美しい。
その美しさをもう一度感じられるように、状態を整えていく。
それが、私の考える「依存と未病」の出口です。