おはようございます♪
昨日は失敗したことから
気付けたことを書きました。
人はみんな優秀であることをどこか先祖代々受け継いできて
それが無意識の基準になってしまうこと
あるのかもしれません。
でもね、生命には様々な性質のものがあるように
人にもそれはあるのだと思うのです。
サラさんの様子を観察する中で
もう昔からおっちょこちょいですし、
抜けていることが多かった。
気を付けていても
その性質は消えませんでした。
サラさんが冷静沈着で、何事にも動じず
抜けることなくそつなくこなしてる姿は
なんだか想像つきません。
優秀が基準にあると
そうならなきゃ、ならなきゃダメと
責める気持ちが湧いてきますが
そもそもないものにはなれない。
自分に備わってない性質になろうとしたり
あるものをなくそうとすることは
とても苦しいものです。
この性質を受け入れていくしかないのです。
生命がこの器を通して
表現していることだから。
私たちにできるのは
この様子を無条件に受け入れていくこと
学びや成長があるのだとしたら
ないものになろうとすることではなく
ないものになろうとしていたことに気づき
ここに生まれる生命の働きそのままを
受け入れてよかったのだという
無条件な自然に触れていくこと。
そこに触れるたびに
少しずつ緩み、ほどけていくことなのかもしれません。
そうそう、
最近近しい人たちを通して
その神聖さに触れる機会がありました。
そのこと、また言葉になったら書いてみますね。