おはようございます。
今年もあと少しですね。
このブログも今日は今年最後になるかな?と。
ここの表現はサラという存在を通して
気付いたことや、感じたことを元に
書いているものだけど、
今年一年、ありがとうございました。
田舎だけが自然を感じられるのではなく
都会でも同じ息吹はあること。
ここにきて一年半だけど、そのような感覚に触れています。
目に映る自然は私たちにそのような大事なことを
いつも語り掛けてくれている。
先生のようなもの。
木は伸びようと力んでいない
川は流れようとしていない
雲は彩雲だったり、綺麗な形をそのままにしようともしない
波はこんな波は嫌だとも騒いでいない
花は枯れてもも文句を言っていない
私たち人もまた同じ働きの中にあって
呼吸は起き、からだの中は自然に働き
自分でしているものなんて
何一つないのだけど、
何とか出来るんだ
その思いが抵抗を生み出してる。
実際現れてる現実は間違いはなく
その自然の働きの上に起きていることなのだけど
自分の都合を持ち出して
そこに抵抗して苦しんでいるのは私たち自身。
抵抗していること
あ~私は本当はこういうことの望んでいるのだなだったり
怖いのだなという弱さへの理解が起きると
それがあるがままへの降参となって
結果的に抵抗が緩み楽になったりします。
この私という様子から生まれるものも
自然の働きなので
それを理解してあげることもとても大事だなことなのだと・・・
お話の中でも
結婚もしていない、子どももいない
会社も辞める。
なんて不幸なのだというもやもやを抱えておられましたが
結婚していないとダメ
子どもがいないとダメ
仕事は長く続けなければならない
このような生まれた環境で作られた価値観を、現実に貼り付けて
その間違いのない様子に抵抗が起きてるのです。
社会のルール、基準
また、スピリチュアルの概念でさえも
その世界の中では多くの人たちの
真ん中になっているかもしれないけど
それに応じて、全体の働きは起きているわけではないので
その価値観が崩されていくという体験をされる方々が
多いかもしれません。
この自然への回帰の時期の中では・・・
不調和に見える、今目の前の様子も
そう見えてるだけでそうではないのです。
そう見える目の曇りが
サラさんも自らに現れる体験を通して
少しずつ、晴れてきている感じなのです。
曇りはサラという個人のフィルターが
生み出していた物語だったと・・・
私たちの背後はいつも晴れています。
価値観はどんどん崩されることが起きてくるかもしれないけれど
それは真の自由のはじまり
そんな風に感じています。
お互いに良い年が迎えられますように・・・🌠