こんにちは。
日傘をさしてお散歩してきました。
暑くなってきましたね。
田んぼにはおたまじゃくしがたくさん泳いでいました。
”昔、おたまじゃくしすくいしたなあ・・・”なんて
ポッと記憶が湧き上がり。
懐かしさに包まれたりと。
今の時期しかない光景が広がり
少し前とは変化していました。
移ろい変わっているのですね・・・
最近ご縁ある方は、
目を背けていた今ここの感情に向き合われておられる方が
多い気がします。
見てみぬふりしていたところに光が差し込んできているみたいです。
わかりやすいたとえだなあと感じたことの中に
電車に乗っていて気持ちよくうとうとしていました。
そのとき頭の上に荷物が落ちてきました。
それが自分のものであれば、仕方ないな~と気にならず流せるのですが
他人の物であれば
”なんで?!”とむかっとすることが多いですよね。
それは”自分感”というのか
それぞれの価値観、例えば”人に迷惑かけてはいけない”
があれば、ものすごくそこが疼き、怒りが出てくるかもしれませんね。
そして電車から降りれば
もう目の前には電車の光景もその人も居ないのに
ずっと頭の中の想像に傷つけられ続けていることが
多いように感じます。
人から怒りをぶつけられるということがもし起きた時
その人から表現されるような
掴む想いや、価値観がなければ
ただただその方を通して湧き上がる想いだけで
”自分”に向けられてる感が薄まってくるようにも思います。
癒えればいいなという想いが湧いてきたり・・・
それもコントロールできないことなのですけれど。
それが感じられるにつれて
他人も同じくコントロールできない中での
表現だとも感じられるようになる。
他人からというより
ここの自分というスペースの中にあるものが
反応していただけだったのだという
気付きが自然に起きてくるかもしれません。
今ここのその反応した想いに
スルーせずに、ただただ目を向け、感じてあげることが
(どんな価値観があるのか探したり考えることは必要なく)
癒すことでもあり、
自分という感覚が薄まる、楽になるきっかけでも
ある気がしています。
これもまたコントロールできないことなのですが・・・
縁起というか、きっかけだけですね。
本当に・・・