全体と分離という感覚

全体と分離という感覚

記事
コラム
おはようございます*^^*

最近、長いお付き合いのご縁ある方とお話頂く
機会を頂くことが続いていました。

当初お電話頂いたときよりも、大きく変化変容されておられて
環境も変化されています。
穏やかに過ごされておられます。

そしてお話していても風通しがよく、すぐに気づきが現れる。
一つ前で表現した”捨て身”にも繋がるのかもしれませんね。

変化する変化しないの違いは、どれだけ大事なものだったとしても
そっと手放しできるかどうか・・・

許せないという心地をそっと手放せるかどうか・・・

そこの違いかなと。
そして、同時に全体へと開かれているように感じています。


私たちは半分半分の世界を見ている。


全体と分離


一気に全体へと解放される方もおられるようだけど、
このサラにはじわじわと浸透している感じです。

分離から全体へ・・・


全体の感覚で存在しているとき、
この目は無条件に全てを映している感じ。

鏡とよく表現されていますね。
映し出されているものと、一体になっているような感じがしています。
鏡ですから、この目を通してあるがままを映します。

自分と相手という感覚ではなく
この中に現れる命としてひとつのような感覚。

ここでは何もわからないけど、でも安らいでいる・・・そんな感じ。


分離は慣れ親しんだ感覚です。

自分と世界。
自分と相手。

この目を通して、投影として目に映ります。

あの人はこうだ、この人はああだ。
あれは正解、これは間違い。
この出来事はこういうことだ。

そのように自分というアイデンティティーを通して
認識された世界。


捨て身や手放しは
分離された個人として

”これは私のもの”

そのように掴んでいる物や考えを手放されることになるので
背後の全体が少しずつ開かれて

個人という分離の感覚が
溶けていくような感じだなあと。

そして、自然と楽で風通しがいいような心地が
現れてくる・・・

全体の動きと一緒に、ここにいるというように。


個人として見える世界の現象も
不思議と変化が起きてくるという感じがしています。


全体を感じながら存在することで
ささやかに奇跡と感じられるような現象として
生命からの分かち合いが起きてくるのかなあと・・・


それが起きるか起きないかどうかもわからない。


でも何が起きても
何が湧いてきても
間違っていないんだという体感とともに
安らいでいるという中に存在できる
楽が深まってくるように感じているのでした。
















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