導仁です。
一日の終わりに、ふと振り返ってみると。
「今日も何もなかったな」と思いながらも、
よくよく思い出すと、ほんの少しうれしかった瞬間が紛れ込んでいることがあります。
予定どおりにはいかなかったけれど、ひとつだけ片づいた仕事。
思ったより冷たくなかった上司や同僚の言葉。
買ったコーヒーが、いつもより少し好みの味だったこと。
それでも私たちは、そうした小さな「うれしい」を
「こんなの、たいしたことない」と流してしまいがちです。
喜びという感情は、本来とてもシンプルです。
「自分にとって大事な何かが、少し満たされたとき」に、
心の中に灯る反応です。
うまくいってほしいと思っていたことが、思ったよりうまくいった。
気になっていた人との距離が、ほんの少しだけ近づいた。
自分の大事にしたい価値に、ちょっとだけ沿えた。
そういう瞬間に、
体の中では「安心」「ほっとする」「うれしい」といった感覚が、じわっと広がっています。
でも、頭の中にはしばしば別の声があります。
「この程度で喜ぶなんて、まだまだだ」
「もっとできている人もいるのに」
「こんなので満足していたら、成長できない」
その声に押されて、
心に生まれた喜びを、きちんと受け取る前に手放してしまうことがよくあります。
小さな「うれしい」を受け取り損ねてしまうのは、
誰かの成果と比べてしまったり、
理想の状態と照らし合わせて「まだ途中だ」と感じたり、
「喜びよりがんばりを優先するべきだ」と思ってきた時間が長かったりするからかもしれません。
どれも、
適当でいたくない、ちゃんとしていたい、
誰かをがっかりさせたくないという、
まじめさの裏側にあるものです。
だからこそ、小さな喜びほど、見過ごされやすくなるのだと思います。
でも、本当に私たちの心を支えているのは、
大きな喜びよりも、
日々の小さな「うれしい」の積み重ねなのかもしれません。
大きな出来事は、そう何度も起こりません。
一方で、今日もなんとかここまでやってこられたこと、予想より少し穏やかな会話ができたこと、思っていたより自分はちゃんと動けていたこと。
こうした小さな事実は、実は毎日のように起こっています。
それを「当たり前」として扱うか、
「今日の自分のうれしい」として一度受け取るかで、
心の疲れ方は少し変わっていきます。
今夜、小さな「うれしい」をそのまま受け取るためにできることは、ほんのささやかなことです。
心に残っている瞬間を静かに思い出して、
「あの場面、ちょっとほっとできたな」
「あの一言、うれしかったな」と、自分にだけ認めてあげる。
誰かと分かち合うかどうかは別にして、大きな成果と結びつけずに、
「今の自分の生活の中に、こういううれしさがあるんだな」
と事実として受け止めてみる。
これは、自分を甘やかすためではなく、
「がんばりっぱなしで終わらせないため」の選び方です。
喜びを受け取ることは、
今日まで続いてきた努力や、日々の選択を肯定してあげることにもつながります。
小さな「うれしい」を受け取るとき、もうひとつ大切なのは、「誰と分かち合うか」を自分で選ぶことです。
誰かに話してみてもいいし、自分だけの秘密にしておいてもいい。
大事なのは、「誰にも話さないから、存在しなかったことにする」にはしないこと。
心の中で自分とだけ乾杯してみるでも、ノートにそっと一行だけ残しておくでも。
それだけでも、喜びは確かに「あったもの」として、今のあなたの中に残ります。
小さな「うれしい」を、そのまま受け取れていますか。
もし「いいこともあるはずなのに、あまり覚えていない」と感じるなら、
今夜だけでも、ほんの少し足を止めてみてもいいのかもしれません。
今日のどこかにあった「うれしい」のひとつを、
なかったことにしないで終わること。
それが、静かに自分を支える力になっていきます。
導仁より。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もし今、誰かに話してみたいと思うことがあれば、ココナラに小さな相談場所を用意しています。
整理できていなくても、言葉にならなくても、大丈夫です。