ギフテッド、つらい学校生活をやり過ごす方法あれこれ ~卒業が近づくと楽しくなる謎~

ギフテッド、つらい学校生活をやり過ごす方法あれこれ ~卒業が近づくと楽しくなる謎~

記事
コラム
幼稚園保育園から始まって、小学校、中学校、高校。人によっては大学に大学院。線路は続くよどこまでも♪よろしく続く学校生活。過ぎ去ってみれば、あっという間かもしれません。けれど、学生の間はまだかまだかとうんざりしていたことを思い出します。そんなままぱんだの経験を交えて今回は、ギフテッドと学校生活について考えてみようと思います。ギフテッドが心のエネルギーの消耗を最小限に抑えつつ、つらい学校生活をやり過ごす方法とは?

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悟りを開く(いい感じに諦める)

というと、お釈迦様ですか!?な~んて突っ込まれそうですが(笑)。いえいえ。ここで言う悟りを開くとは、「学校生活とはこういうもの」と完全に割り切ってしまうことです。これができると幾分ラクになります。学校とは、みんなで同じことをする場所。同じ時間に同じ科目を勉強して、お昼を食べて掃除する。一人だけ違うことをするのは許されないし、一人でやってしまうのもご法度!みんなで協力してやらなければいけません。そして、それらをスムーズにこなすためには先生の言うことを素直に聞く必要があります。そう、ギフテッドにはできないことばかり。仮にできたとしても、自分の本当の気持ちを抑え込んでいるので、遅かれ早かれ限界が来ます。で、不登校になったり、先生と揉めて親が呼び出されたりするわけです。中学の途中で完全不登校になった子ぱんだ1(ギフテッド)や、担任の先生と口を利かなくなって親が呼び出された小3の頃のままぱんだのように。

そもそも日本の学校教育は明治時代、全国に小学校が作られたことに始まります。その目的は富国強兵でした。欧米列強に対抗しなくっちゃ!ということ。軍隊では、集団の秩序や同調圧力が大事。だから当然、学校教育も統制のとれた国民を育成するために軍隊式になります。当時の世界情勢を考えればまあ納得なのですが、そこから150年以上経った現在でもあまり変わっていないのは何だかな…と思ってしまいます。時代は変わったんですけどね。今の時代はもうホームスクーリングでいいんじゃない?って、ままぱんだは思っています。デジタル機器の進歩だって、目覚ましいものがありますもんね✨

先生に期待しすぎない(冷めた目で見ておく)

こんなこと言うと、可愛くない子どもだ…って思われそうですけれども。経験上、これは結構大事だなと感じています。まあ高校生にもなれば冷ややかな(あっ、「冷静に」です)目で先生を見られるでしょう。しかし、中学生くらいまでは、やはり先生ってすごく「大人」に見えるものです。ここに落とし穴がありまして…。なにかあったとき、先生に言えば助けてもらえる、何とかしてもらえる、そう思ってしまうのです。でもね、実際は力になってくれるとは限りません。それどころか、傷口に塩を塗るかのような対応をされることも。

自分がやっている係で批判的な意見が多かったとき、フォローするどころか「風当たり強いな~」と鼻で笑った先生。答えを見たと決めつけて怒鳴るように叱責した先生。この時点でもう、先生の人間性を信じることをやめましたね。もちろん、中にはいい先生もいました。でも、出会った先生があまりに合わない人が多かったため、ままぱんだは今でも学校の先生が苦手です。

そんなままぱんだが身につけたのが、先生を冷めた目で見るということ。期待しすぎず、冷静に観察するということです。その結果、先生が熱血だったとして、自分もそこに合わせるということではありません。先生は先生、自分は自分です。そこに明確に線を引くのです。熱血な先生に「ノリが悪い」と言われても、涼しい顔をしておけばOK♪先生からしたら気に入らない生徒でしょうが、気に入っても気に入らなくても担任である以上、生徒に対する責任はありますからね。気に入られなくても大丈夫です。事実、ままぱんだは「ああ、気に入られてないわ(というか嫌われてる)」と感じたことは多々あれど、進級・卒業できなかったことはないですから。

卒業を楽しみにする(終わりが近づくと楽しくなる)

これ、小・中・高・大学と経験済み。どういうことかと言いますとね、卒業が近づくとなぜか「頑張ろう!」と思えるんですよ。そう、あと少し、あと少しでこの環境ともおさらばできる。だから頑張ろうって。卒業まであと○日、ってカウントダウンが始まると、みんなは寂しげなんだけど、ままぱんだは一人ウキウキしていましたね(←このあたり、空気読めてない)。卒業式当日だって、式のあと教室で先生と泣きじゃくっているクラスメートとは対照的に、涙なんて一滴も出ませんでした。だってそれは、鳥かごからの解放にも等しい瞬間だったから。擬態しながらよく頑張った(耐えた)、もう明日からここに来なくていいんだ、終わった(卒業した)んだ。色んな思いが交錯して…、でも学校でほっとできる唯一の日。それが、ままぱんだにとっての卒業式だったのです。

だから、卒業を楽しみに自分の中でカウントダウンして日々をやり過ごすというのも手だと思っています。ただし無理は禁物。心身に不調をきたしていたら、しっかり休むべきです。ままぱんだは高校時代、どれくらい休んでも卒業できるか緻密に計算してサボりながら通っていました。それほど嫌だったということです。そんな、計算間違ってたら卒業できなくなるような危ないことするくらいなら、休まず登校したほうがいいんじゃない?という人は、おそらく学校や社会に順応できるタイプでしょう。

と、このようにつらつら書いてきましたが、学校生活を卒業しても、社会人となってからの職場も似たようなものです。空気読めなかったり協調性に欠けていたりすると、色んな場面で苦労します。軽く絶望させてしまったでしょうか?でもね、それでも人生なんとかなるものです。だから、学校生活は悟りを開いても(いい感じに諦めても)、自分の人生は決して諦めないでほしいなとままぱんだは思っています。「こうあるべき」に縛られることなく、自分の人生を生きられたら、それはとても幸せな生き方だと言えるのではないでしょうか。
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