はじめまして。
ココナラで「こころの安全基地」をしています、沖縄の母「ちむ」と申します。
突然ですが、あなたは今、
「誰かに話を聞いてほしいけど、身近な人には話せない」
「いつも人に気を遣ってしまって、本当の気持ちを言えない」
「頑張っているのに、なぜか心が疲れている」
「このままでいいのかな……」
そんな気持ちを抱えていませんか?
もしかすると、悩みそのものよりも、
「安心して自分の気持ちを話せる場所がないこと」
が、あなたを苦しくさせているのかもしれません。
私自身も、長い人生の中で何度も「こころの安全基地」を必要としてきました。
私もずっと「頑張る側」の人間でした
私は小さい頃、よく遊び、よくケガをして帰ってくるような子どもでした。
でも、子どもの頃から私にとって大きな恐怖だったのが父親でした。
食事中も、行儀が悪いといつ手の甲が飛んでくるかわからない。
当時は「しつけ」だったのかもしれません。
でも、大人になった今振り返ると、子どもの私にとっては、安心して過ごせる家庭ではなかったのだと思います。
そんな中で私は、心の拠り所を探すように中学2年生で彼氏ができました。
その後、大恋愛の末に22歳で結婚。
高校生の頃は看護師を志望していましたが、母から「お金がないから働いてほしい」と言われ、高校卒業後すぐに歯科助手として働き、親へ仕送りをしていました。
そして、
「子どもを育てるにはもっと収入が必要」
そう考え、働きながら歯科衛生士の専門学校へ。
資格を取得し、妊娠、結婚、出産。
20代は3人の子どもを育てながら、仕事でも役職につき、家族を守るために一生懸命働いていました。
今振り返っても、本当に必死だったと思います。
でも、心と身体は「もう限界」と教えてくれました。
27歳の頃、突然「ドンッ」と身体の中で音が鳴るような強い動悸を感じました。
「心筋梗塞なのでは?」
そう思うほどの恐怖でした。
病院を受診し、エコーやレントゲンなどさまざまな検査を受けても、大きな異常は見つかりません。
約1年、病院を巡り、最終的に心療内科へ。
適応障害やうつの診断を受けました。
20代の私は、
「頑張れば何とかなる」
「家族のために頑張らなきゃ」
と、自分の心や身体の声を後回しにしていたのだと思います。
そして32歳の頃。
仕事のお昼休みに家へ戻り、そのまま倒れ込むようになりました。
そこで初めて、
「もう無理なんだ」
と、自分の限界を受け入れました。
そこから「心と身体」に向き合う人生が始まりました
5人家族。
家のローンもあり、共働きでなければ生活を維持することも難しい。
「この身体と付き合いながら、これからどう働いていけばいいんだろう?」
そう考えた私は、自分で仕事をする道を選びました。
整体の先生からサロン経営について学び、その約1か月後には自分のサロンをオープン。
女性のダイエット、健康食、美容、心身のケアなどに携わりながら、気づけば5年ほどサロンを経営していました。
そこでたくさんのお客様と向き合ってきました。
そして、あることに気づきました。
身体を変えたい人ほど、心のケアが必要なことが多い。
食事を変えようとしても、心が疲れていれば続かない。
自分を変えようとしても、自分を否定し続けていれば苦しくなる。
「痩せたい」という言葉の奥に、
「自分を好きになりたい」
「自信を持ちたい」
「人生を変えたい」
という気持ちが隠れていることもありました。
実際に、サロンに通う中で自信を取り戻し、人生の方向を変えていった方もいました。
その時、私は強く感じたんです。
人の人生の一部分に関わり、その人が自分らしく前へ進んでいく姿を見ることが、私は好きなんだ。
そして、私自身も人生のどん底を経験しました
順風満帆に見えた人生も、大きく変わりました。
コロナ禍。
そして、一番の心の拠り所だった母親が急逝しました。
母がいなくなって初めて、
「私はこんなにも母に支えられていたんだ」
と気づきました。
心の支えを失い、心身ともに限界になり、再びベッドから起き上がれなくなりました。
「もう、消えてしまいたい……」
そう思うほど、人生に絶望していました。
そして離婚。
家族、家、仕事。
大切にしていたものを、次々に失いました。
子どもたちとも離れて暮らすことになり、
「もう一生会えないかもしれない」
そんな絶望感の中にいました。
車に荷物を詰め込み、行く場所も定まらないまま遠方へ。
お金もなくなり、快活クラブで過ごした時期もありました。
「これからどうしよう」
それでも、生きていかなければならない。
まずは日当を稼ごう。
そう思い、休みを調整しやすかった夜の接客業を始めました。
そこから少しずつ生活を立て直し、1年ほど経った頃にはアパートを借りることもできました。
そして少しずつ、
「私、ちゃんと生きている」
という感覚を取り戻していきました。
私が伝えたいのは、「ひとりで抱えなくていい」ということ
今でも、離婚当時のことを思い出すと悔しい気持ちはあります。
自分の意見を十分に伝えられなかったこと。
病気や心の状態で、何が起こっていたのかさえ、はっきり覚えていない部分もあります。
でも、時間が経った今、私はこう思います。
人生には、自分ひとりの力ではどうにもならないことがあります。
そんな時に必要なのは、
「もっと頑張ること」
ではなく、
「誰かに助けを求めること」
なのかもしれません。
私自身、たくさんの人に支えてもらいながら、ここまで来ました。
そして子どもたちとも会いたい時に会え、学校や塾、バイトの送迎をしたり、電話で悩みを聞いたり。
母親として、できることを少しずつ取り戻していますが
これからも、ずっと生きている限り、悩みはあるはずなので
子供たちが頼ってくるときには、いつでも寄り添い続けたいと思っています。
もうすぐ長女も、高校を卒業します。
「こころの安全基地」があるだけで、人はまた前を向ける
私が人生を通して感じたこと。
それは、
心の安定は、人生の安定につながる。
ということです。
そして、こころの安全基地は、一つじゃなくていい。
家族でもいい。
友達でもいい。
恋人でもいい。
専門家でもいい。
そして、
「顔も知らないからこそ話せる誰か」
でもいいと思っています。
誰かに話すことで、
「私、本当はこう思っていたんだ」
「ずっと我慢していたんだ」
「本当はこうしたかったんだ」
と、自分の気持ちに気づくことがあります。
心の中に溜め込んでいたものを言葉にするだけで、少し呼吸がしやすくなることもあります。
そして心の中が少し整理されると、
「じゃあ、私はこれからどうしたい?」
と、自分の人生を考えられるようになる。
私は、そんな瞬間に寄り添い、あなたの人生の前進をサポートする存在でありたいと思っています。
# 沖縄の母「ちむ」として
「こんなこと、人には言えない」
「誰かに聞いてほしい」
「ただ話を聞いてもらいたい」
「自分の気持ちを整理したい」
そんな時は、無理に答えを出さなくても大丈夫です。
まずは、話してください。
私はあなたの人生を代わりに決めることはできません。
でも、
あなたが自分の本当の気持ちに気づき、自分自身の人生を歩いていくための「こころの安全基地」になることはできます。
私自身も、人生不器用で
たくさん迷って、転んで、立ち止まって、それでもここまで生きてきました。
だからこそ、綺麗な言葉だけではなく、
「人生、そんなこともあるよね」
と言える場所を作りたい。
沖縄の母「ちむ」として、あなたのお話を聞かせてください。
あなたの心にあるものを、ひとつずつ外に出していきましょう。
決して、ひとりで抱えなくて大丈夫です。
あなたの人生が、ここから少しずつ前へ進んでいきますように。
「話してみようかな」
そう思った時は、いつでもここにいます。
☆沖縄の母「ちむ」☆