歴史がわりと好きで、自他ともに認めるサムライ気質な私は、職場でモヤモヤする気持ちになった時には、独特の方法で乗り切っていました。
「とはいえ、ミスしたところで切腹とか言われない時代でよかった」
「とはいえ、変更不可のバカ殿の下でなにもできず、一族郎党みな殺し、お取り潰しの上、お家断絶、とかない時代でよかった」
「とはいえ、この藩もうムリ!と出ていったら、出奔とか言われて後ろ指を刺される時代じゃなくてよかった」
「とはいえ、士農工商みたいに職業一生固定システムじゃないんだから、いつでも転職できるし!」
選択肢はいつだって自分にあると思えると、ずいぶんと気持ちが楽になったものでした。
また最近テレビアニメが始まって話題の「チ。 ―地球の運動について―」を見ては「興味があることを自由に学べる時代でよかった」。
15世紀のヨーロッパにおいて、タブーとされた地動説を証明することに命を懸ける人々の物語ですが、実際に興味の対象によっては迫害や虐待されることもあった国や時代があったわけです。
その時代からみれば、成果を出せばむしろノーベル賞をもらえる現代は、きっと夢の世界ですよね。
同性愛者はイスラム圏では今でも刑罰や死刑の対象となり得ますが、ロサンゼルスに行けば、結婚も可能です。
同じ現代にもかかわらず、国によってモノサシが違うのです。
歴史から離れて、現代の日本バージョンもあります。
「とはいえ、今の日本に生まれた時点で相当ラッキー」
「飲み水でお風呂に入れるなんて贅沢」
「時間通りに清潔な電車もバスもくるなんて最高」
「至る所に無料で使える清潔なトイレがあるって素晴らしい」
「Youtubeで無料でこんな有益な話が聞ける現代ってすごい」
「オンラインだけで繋がれている仲間がいるなんて、数年前では考えられなかった」
そう考えると、なんだかなと思っていた現状が、途端にとても幸せなものに思えてきます。
鏡の中の自分を観察して、もっとこうだったらいいのにな、と思う日は、林真理子さんのエッセイを思い出します。
ご自身的には、日本では称賛されない容姿だと思っていたけれど、アフリカのとある国に行った際に
「アナタのような美人は見たことがない。牛30頭に値する」
ようなことを言われ、激しく求婚されたという話でした。
その後、土産物屋で売られているポストカードを見てビックリ。
そこに写っていたのは、現地で超美人とされているモデルで、まさにご自身と瓜二つだったそうです。
すごいと思ったのはその後です。
「帰国しても、世界のどこかには自分を美人として称賛してくれる国がある。
そう思っただけで救われる」
と思われた、とのこと。
この考え方は何においても通用するのではないか、と思ったのです。
私が勝手に縛られている価値観は、現時点の日本においてのもの。
他の国、他の時代ではきっと基準が違うでしょう。
もしかすると、実は私は剣術の腕がピカイチかもしれません。
けれど戦国時代なら重宝されたその才能も、現代では無用の長物です。
自分の特性と時代がマッチしてこそ、最大限に評価されるわけです。
同じ日本であっても、平安時代の美人のお雛様フェイスは、現代の美人の基準とは異なります。
かつての中国では足が小さいことが美人の象徴とされていたため、女性は足を布で縛り小さく変形させる慣習がありました。
現代では到底理解できないことですが、昔の中国では実際にあった話です。
林真理子さんは実体験として感じられたわけですが
自分の中の何かが原因で「生きづらいな」と思った時には、
「地球上のどこかには、自分の特性と時代が驚くほどマッチして、最大限に評価される場所がある」
と妄想したらいいと思うのです。
なんなら違う惑星まで広げてみてもいいかもしれません。
どうせならそんな世界線を信じて、楽しんでみてもいいのかなと思う次第です。
そんな取り留めのない話も大歓迎です。
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もしご興味があればお気軽にお試しください。