僕は、夕焼けを見るたびに美しいと感じます。
では、その「美しさ」はどこから来るのでしょう?
遠い昔、地球に生まれ育った僕たちのご先祖様が持っていた感覚の名残かもしれません。
夕焼けは、1日の終わりを告げる合図であり、「今日も生き延びた」という安心感を僕たちに与えてくれるのです。
朝日を見ると、心が洗われるような清々しさを感じますよね。新しい1日の始まりを祝っているようで、胸が少し高鳴ります。
でも、たまに「また1日が始まってしまった」と思うことも。これも現代人のちょっとした本音でしょうか😆
美しいと感じるものは、生物としての生活リズムと深く結びついているのだと思います。
イケメンや美女がモテやすいのも、その健康的なバランスが「強い遺伝子を持っている」と本能的に感じさせるからでしょう。
黄金比と呼ばれる美の基準も、自然界のバランスから導かれたものです。
例えば貝殻の形や植物の配置など、自然界に溢れる「美しさ」は僕たちの感覚を通してずっと受け継がれてきたのかもしれません。
SNSの世界も似ています。
多くのフォロワーを持つアカウントは、その人の魅力や知恵が反映されていて、まるでデジタルな遺伝子が選ばれるように支持されています。
それが生存戦略だとしたら、そこには人間が求める「希望」のようなものがあるのでしょう。
でも、面白いことに、その美しいアカウントや人々には「歪さ」が共通しています。
音楽で言えばジャズのような、クラシックの正論を少し崩したようなもの。他にはない、ちょっとした歪さが魅力の核を作り出すのです。
夕焼けには昼と夜の狭間という曖昧さがあり、夜景は暗闇に光る人工の矛盾があります。自然界でも、鮮やかな色を持つ生物には猛毒が宿っていることがあり、その毒が薬にもなることがあります。
つまり、この世界には「完璧」なんて一つもなく、全ては少しずつ歪んでいるのです。
だからこそ、僕たちは時に苦しい人生を諦めずにいられるのかもしれません。
美しさを追い求めすぎると、それは当たり前のものになってしまいます。だけど、身近にある「歪さ」を見つけてみると、そこにこそ本当の美しさが宿っているのです。
だから、目の前の当たり前に思えるものを、もう少しよく観察してみてください。この星は、僕たちが思っている以上に美しいのです。