最後の仕事なのに、感慨に浸る余裕はなかった

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コラム

僕が会社で最後にやった仕事を覚えています。

目黒にある会社の、社名看板でした。

施工したのは、たしか3月15日頃だったと思います。

それが、約50年続いた会社の最後の仕事になりました。

こう書くと、

「最後の看板をどんな気持ちで見たんですか?」

と聞かれそうですよね。

でも、正直に言います。

そんな感慨に浸っている余裕はありませんでした。

少し前まで、仕事が欲しかった

会社を畳むと決める少し前まで、僕は仕事が欲しくて仕方ありませんでした。

リスティング広告の費用を増やしたこともあります。

トリックアートの仕事がもっと取れれば、まだ何とかなる。

そう思っていました。

問い合わせが来ることを期待して、見積もりを出した案件が決まるのを祈るような気持ちで待っていた。

「頼むから決まってくれ」

そんな状態でした。

ところが、会社を畳む方向が決まると、今度は新しい仕事を取ることを止めました。

広告も止めました。

新しい問い合わせが来ても、断りました。

といっても、その頃には問い合わせ自体、あまり多くありませんでした。

2月、3月と状況が変わっていった

銀行から連絡が来たのが、1月か2月頃。

2月には弁護士へ相談しました。

その頃から、自分の役員報酬も下げました。

母の給与も下げました。

そして3月には、弁護士の指示を受けて、僕の役員報酬はゼロになりました。

新規受注も止めました。

それまでに受注していた仕事については、最後までやりました。

その一つが、目黒にある会社の社名看板です。

それが最後でした。

「これで最後か」なんて考えていなかった

約50年続いた会社です。

父親が創業して、僕が二代目として引き継ぎました。

いろいろな看板をつくりました。

大きな仕事もありました。

テレビに取り上げてもらった仕事もあります。

本も出しました。

だから最後の仕事なら、

「これで会社の歴史も終わりか」

とか、

「最後までいい看板をつくろう」

とか。

そんなことを考えそうなものですよね。

でも、僕にはそんな余裕はありませんでした。

会社を無事に畳めるのか。

個人破産しなくて済むのか。

家はどうなるのか。

弁護士とのやり取りはどうなるのか。

そんなことばかり考えていました。

精神的にも、かなり落ちていました。

笑顔も、もうあまり出なかった。

今振り返れば、あの頃にはかなり鬱っぽい状態だったと思います。

だから、

「この仕事が終わったら、本当にこの会社の仕事は終わるんだな」

なんて、しみじみ考える余裕はなかったんです。

最後って、意外とそんなものなのかもしれない

会社を畳んでから時間が経った今だから、

「あれが最後の仕事だったな」

と思います。

目黒にある会社の社名看板。

3月15日頃の施工。

会社名はここには書きません。

でも、その仕事だったことは覚えています。

最後の日に、社長室で一人、会社の歴史を振り返ったわけでもない。

最後の看板を見ながら泣いたわけでもない。

何か特別な言葉を残したわけでもない。

ただ、目の前の仕事を終わらせた。

そして、新しい仕事はもう取らなかった。

それだけです。

会社を畳むというと、外から見ると大きな出来事です。

実際、大きな出来事でした。

でも、その渦中にいる本人は、意外とそんなにドラマチックではありません。

次にやらなければならないことがある。

心配なことがある。

怖いことがある。

それを一つずつやっているうちに、

気づいたら、最後の仕事が終わっていた。

僕の場合は、そんな終わり方でした。

今になって思います。

あの目黒の社名看板が、僕が社長として受けた最後の仕事だったんだな、と。

当時は感じる余裕すらなかったことを、今になってようやく感じています。
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